安田について

はじめに


これは、俺から見た安田についての記録である。俺はこの数年間、誰よりも安田と時間を共に過ごし、誰よりも安田を見ていた。他人が見たことのない、誰も知らない安田を俺は知っている。安田が見てきた景色を、同じように俺も見てきた。俺の半分は安田で、安田の半分は俺なのだ。
安田を語るのであれば、俺ほどの適任はいないだろう。誰に頼まれた訳でもない。誰かに伝えたい訳でもない。俺が知っている安田について、ただ淡々と書き記す。もちろんだが、安田のことを大袈裟にも語るつもりも、控えめにも語るつもりもない。もしかすると、俺の中で安田に対するイメージが膨らみ、記憶が書き換えられている可能性がないとは言い切れない。ただ、誤解はしないでほしい。俺が安田についてありのままを語りたいだけだと言うことは、理解した上で読んでいただくことを、強くお願いする。
もちろん、24時間ずっと安田といる訳ではなく、安田がいない時間を過ごすこともある。しかし、安田がいない時間も、安田の存在は常に感じている。安田がいない場所でも、気がつくと安田について話をしている。それぐらい、俺の日常は安田で染まっている。つまり、安田といる時間も、安田といない時間も、俺の中には常に安田が存在しているのだ。しかし、たまにふと思うことがある。安田は、本当に実在しているのだろうか。

1.安田と交通系ICカードについて

安田は、いつもSuicaのチャージが足りていない。2人で地下鉄に乗る時は、だいたい俺が改札の中で、安田がSuicaにチャージするのを待つ時間がある。これは、今に始まったことではない。安田との出会いは俺が高校3年生の頃。安田は一つ年下で、当時は高校2年生だった。18歳と17歳。時は流れ、今では34歳と33歳になった。16年に渡り、俺は改札の中でただ安田のチャージを待っていることになる。知り合った当時はお互い愛知県で暮らしていた。安田と出会い、俺が上京するまでの約6年間は、manacaのチャージを待っていたことになる。そして、安田が俺の2年あとに上京してきてからは、Suicaのチャージを待っているのだ。
出会ってから今日までに、安田のチャージを待っていた時間を数えたら、いったいどれくらいの時間になるだろうか?短命な生物なら、寿命を迎えてるのではないだろうか。チャージを終えた安田は、特に悪びれる様子もなく、あっさりとした謝罪をし、その場をやり過ごす。安田は、チャージが足りていないという理由で、他人を改札の中で待たすという行為に、さほど罪悪感を感じていない。先ほども述べたように、この行為は今に始まったことではない。長年に渡り幾度も繰り返しているということは、安田の中でこの行為は、一種の習慣であり、日常の一コマに過ぎない。改札の中で、一人立ち尽くし、行き交う人の流れを遮らないように、気遣いながら待つ俺もまた、安田にとっては日常の一コマなのだ。
それと同時に安田は、チャージが足りずに改札に引っかかるという、誰もがストレスに感じるであろうこの行為も、さほど気にしていないということになる。本来であれば、チャージをしておくことにより、改札をスムーズに通過できるという利便性があるから、交通系ICカードを利用する訳だ。しかし、安田はその利便性を全くと言っていいほど、有効活用できていない。つまり安田は、交通系ICカードはチャージが足りなくて、改札を通過できないのが当たり前で、たまに通過できれば良いという捉え方であり、他人とは全く別の使い方をしているのだ。安田にとって交通系ICカードは、特別便利なものではなく、運が良ければそのまま改札を通過できる、ただその程度の物にすぎない。
そう考えると、安田が他人を改札の中で待たせていることに、さほど罪悪感を感じないのも納得できる。安田からしてみれば、他人がたまたま改札を通過できただけの話なのだ。むしろ、改札を通過できなかった自分を、不運だと感じているであろう。にもかかわらず、改札の中で待っている他人に対して、謝罪をするのだから、安田は人として道徳的であるということが分かる。安田は交通系ICカードのチャージが、いつも不足しているだけであり、歴とした人格者なのである。


2.安田とガンジーのTシャツについて


安田は多くの人と同じように、Tシャツを来て生活をする。俺が見る限り、安田はTシャツがかなり好きなようだ。安田は、夏はもちろんのこと、冬場でも室内ではTシャツ一枚で過ごすのだ。俺が三枚長袖を着て、それでも少し寒いと思う部屋の中でも、安田はTシャツ一枚で過ごしている。俺は当然、安田に寒くないのかと尋ねる。すると安田はこう答える。
「寒い」
安田は寒いのにもかかわらず、冬場の室内では常にTシャツ一枚で過ごすのである。安田はそのぐらいTシャツが好きなのだ。それだけではない。安田は一枚のTシャツを10年以上も着続けるのだ。それもかなりのヘビーローテーションで着ている。10年以上前からよく見るTシャツを、今でもかなりのハイペースで見かける。10年も経てば体型も変化する訳で、安田が着ているTシャツの8割が、肩幅に合っていないのだ。布は限界まで伸びており、脇から肩にかけて扇上に皺が広がっている。誰が見ても窮屈そうだと思うほどサイズが合っていなくても、安田はそのTシャツを着るのである。
そして、どんなに生地のいいTシャツであっても、ハイペースで10年以上も着続ければ劣化する事ぐらい、考えなくても分かるはずだ。しかし安田は、自分が10年以上前から着ているTシャツの生地が、ティッシュペーパーぐらい薄くなっている事に、全く気づいていないのである。ルーティンでそのTシャツを着ているせいで、少しずつ少しずつ薄くなっているTシャツの変化に気づいていないのだ。安田の思うTシャツの限界は、俺が思うTシャツの限界より、かなり先にあるらしい。このままいけば、どんどんTシャツの生地が薄くなり、他人には認識できないほど、限りなく透明に近いTシャツを着ていると言い張る日が来るかもしれない。
俺は安田が着ているTシャツで、特によく見るものが三つある。一つ目は、WAIKIKIと書かれた、スヌーピーのTシャツだ。これは安田の母親の千代子が、友達とハワイ旅行へ行った時にお土産で買ってきたものらしい。千代子はスヌーピーが好きらしく、自分が好きなスヌーピーのTシャツを息子のお土産に選んだらしい。安田もこのTシャツを気に入っているらしく、普段からよく着ているのを見かける。これは余談だが、安田は国内から出たことはまだない。
二つ目は、紫色のガンジーのTシャツだ。ガンジーといえば、インド独立の父と言われた人物だ。先ほども述べた通り、安田は国内から出たことがなく、インドに縁もゆかりもない。安田は、ガンジーを崇拝している訳ではなく、ただデザインを気に入ってガンジーのTシャツを着ているのだ。野球に興味のない若者が、ニューヨークヤンキースの帽子をファッションとして楽しむ感覚で、安田はガンジーのTシャツを、ファッションとして楽しんでいるのだ。安田=ガンジーのTシャツと言っていいほど、このTシャツを着ているイメージが強い。その理由は三つ目のTシャツにも繋がる。
三つ目のTシャツは、オレンジ色のガンジーのTシャツだ。安田はガンジーのTシャツを、紫色とオレンジ色の二色も持っているのだ。どちらも胸に大きくガンジーの顔がプリントされているが、デザインは若干違っている。安田はある時、買い物先でガンジーのTシャツを気に入り、同じタイミングで二枚購入した訳だ。一枚だけではなく、二枚も同時に購入したということは、ガンジーのTシャツがかなり安田の好みだったらしい。女性がニットなどを色違いで二枚買ったという話は耳にするが、ガンジーのTシャツを色違いで二枚買った話は、安田以外で耳にしたことがない。それどころか俺は、安田以外でガンジーのTシャツを着ている人に、いまだに出会っていない。安田はガンジーのTシャツを心底気に入っており、二日連続でガンジーのTシャツを着る事もある。二日連続と言うことはすなわち、ガンジーのTシャツから、ガンジーのTシャツに着替えている事になる。この二枚のガンジーのTシャツは、安田のトレードマークと言えるであろう。


3.安田と辺見えみりについて

安田の好きな女性のタイプをご存知だろうか?ちなみに安田は、女性選びに対して、一切の妥協を許さない男である。その証拠に、安田は上京してから7年間、一度も恋人がいない。これは、安田が男として魅力がないからではない。安田は、女性に求めるハードルが、かなり高いのだ。そもそも安田は、恋愛にさほど興味がないのだろうか?いや、それも違う。安田は時に、女性に対して驚くほど積極的になることがある。
安田が上京してすぐの年明けのこと。安田が深夜に、近所を一人で歩いていると、前から3人組のフィリピン人女性が歩いて来た。年齢はおそらく、40代半ば。フィリピン人女性たちは、年明けまもないからなのか、かなりテンションが上がっていた様子で、すれ違いざまに安田に向かって「ハッピーニューイヤー!」と声をかけてきた。安田は、拙い英語で新年の挨拶を交わし、そのまま通り過ぎようとした。その時だった。一人のフィリピン人女性が、安田にハグを求めてきたのである。安田は迷うことなく、そのハグを受け入れた。そして二人はそのまま、ディープキスをしたのであった。ここから先がどうなったかは、ご想像にお任せする。この事からも分かる様に、安田は、元旦の深夜の路上で、フィリピン人女性とディープキスをするほどの積極性は持ち合わせている。その気になれば、いつだって行きずりのディープキスぐらいする準備はできている。ところが、安田をその気にさせる女性が、フィリピン人女性を最後に現れないのだ。
そんな安田にも、以前から好きだと公言している女優が二人いる。一人目は大政絢だ。安田は、大政絢のことを「あやちゃん」と呼ぶほど、好意を寄せている。二人目は榮倉奈々だ。大政絢とは対照的に、榮倉奈々のことは「なな」と呼び捨てにしている。あやちゃんとなな。この二人だけが、女性に対して一切の妥協を許さない安田の、お眼鏡にかなったという訳だ。安田が認めている女性は、俺の知る限りこの二人だけだ。長年の間そう思っていた。しかし、事実は違った。安田が密かに思いを寄せている女性が、もう一人いたのだ。俺は、思い掛け無い出来事で、その事実を知ることになる。
その事実が発覚したのは、俺と安田が度々訪れる喫茶店でのこと。その喫茶店の店内には、たくさんの本棚があり、漫画や小説や画集など、様々なジャンルの本が置かれてある。普段は本を手に取ることはなかったが、その日にたまたま座った席の横に、90年代のアイドルや女優の写真集がたくさん入った本棚があった。俺が座っている席から、手が届く位置にあったため、俺は興味本位で、名前も知らない女優であろう女性の写真集を手にとった。おもむろに写真集の中を覗いてみると、それはヌードの写真集だった。俺はこの手の本をあまり見たことがなかったが、女性の体の美しさや、一枚一枚の写真の作品性の高さに驚いた。俺は、安田にも共感してほしいと思い、その本を渡した。安田も俺と同じ様に、食い入る様に写真集をじっくりと眺め「なるほどね」と、つぶやいた。その後も、俺が本棚から適当に写真集を手に取り、俺が見終わった写真集を安田に回すという流れができた。ヌードの物もあれば、水着だけの物もあった。それぞれの作品性の違いも興味深いものがあり、次々と写真集を手に取った。お互い夢中になって、黙ったまま写真集を見る時間がしばらく続いた。すると突然、安田が思いもよらぬ一言を呟いた。
「次、辺見えみり取ってもらっていい?」
俺は、安田のその言葉に驚きを隠せなかった。安田は、今までの“俺が本を取り安田に回す”という流れを遮ってまで、辺見えみりの写真集が見たかったのだ。何冊か前から、本棚の中の背表紙にある“辺見えみり”という名前を見つけ、俺がそれを手に取るのを心待ちにしていたという訳だ。そして、なによりも驚いたのは、安田が辺見えみりを好きだったという事実だ。前にも言ったように、安田が好きなタイプを聞かれた時に、決まって答えるのは、あやちゃんとななの二人だけだ。辺見えみりなど、一度も聞いたことがない。安田はずっと、辺見えみりが好きだったことを、隠していたのである。
俺はこの事から、一つの真実に辿り着いた。長年に渡り、安田を見続けて強く感じていることがある。それは、安田はすぐに見栄を張る節があるという事だ。安田は少しでもいいから、自分を大きく見せたいと思いながら生きている。飲食店でご飯を食べる時も、どれを注文したら自分が一番お洒落に見えるかをまず考える。無難なメニューではなく、必ず少し外したメニューを注文するのだ。数人で中華料理屋に行った際も、皆んなが餃子、麻婆豆腐、回鍋肉など、お馴染みのメニューを注文していく中、いつも頼んでますと言わんばかりの表情で「あと、ピータン一つ」と言うのが安田なのだ。もちろん安田はピータンなど好きでもないし、食べるのすら初めてだ。しかし、ピータンを頼めば、美食家だと見られるという計算で、ピータンを注文しているだけなのだ。
この事からも分かるように、大政絢と榮倉奈々の名前を出しておけば、女性選びのセンスがある男だと見られるという計算で言っているだけで、この二人は表向きのフェイクにすぎない。安田が本当に心の底から思いを寄せているのは、それまでの流れを遮ってまで写真集を見たかった、辺見えみりなのである。
安田は、俺がなかなか辺見えみりの写真集を手に取らない事に痺れを切らし、自ら辺見えみりの写真集を指名するほど、辺見えみりの写真集が見たくてしかたなかったのだ。俺は安田に言われるがまま、辺見えみりの写真集を本棚から取り、そのまま安田に手渡した。安田は辺見えみりの写真集をじっくりと眺め、隠しきれない笑みを浮かべた。そして、辺見えみりの写真集を見終えると、冷めたブラックコーヒーを一気に飲み干したのだった。

4.安田と体毛について

安田には、以前から気にしているコンプレックスがある。それは、一般的な成人男性に比べて、体毛が濃いということだ。体毛が濃いと言っても、様々なケースがある。胸毛が濃い人もいれば、腕毛が濃い人もいるであろう。では、安田の場合はどうだろうか?胸毛や背中の毛に関しては、ほとんど生えていない。むしろ、つるっとしており、体格の良さも相まって、ミケランジェロの彫刻のような美しさすら感じる。腕毛に関しては、確かに若干濃いかもしれない。しかし、気にするほどのものでは無い。脇毛も、毛の量は確かに多いが、これも悩むほどのものでは無い。上半身の毛に関しては、何の問題も無いのである。問題なのは下半身の毛の量だ。安田の下半身には、異常な量の毛が生えている。
まずは、アンダーヘアの毛の量についてお話しよう。俺は、安田に下半身を見せられる事が頻繁にある。安田は、30歳をすぎても中学生みたいな感覚があり、下半身を見せるという事が、一番面白いと思っているのだ。安田に下半身を見せられた俺は、かなりの確率で
「おはようございます。今度コンサートに行かせていただきます」
と言ってしまう。すると安田は
「いや、葉加瀬太郎じゃねーよ」
と訂正をする。俺はあまりのアンダーヘアの量に、バイオリニストの葉加瀬太郎さんだと勘違いしてしまうのである。これは一見、俺がふざけているように映るかもしれない。しかし、それは間違いで、誰が見てもそう思ってしまうほどアンダーヘアが濃く、ボリューム感があるのだ。そして、太ももからすねにかけても、びっしりとおびただしい量の毛が、生えている。安田の下半身を見慣れている俺ですら、何度見ても毛量に驚かされる。
安田の下半身の毛量の異常さを、思い知らされた出来事がある。俺と安田が銭湯へ行った時の事だ。俺と安田は、しばらくの間、湯船に浸かって雑談をしていた。俺は、そろそろサウナへ行こうと思い、安田を誘った。俺と安田は湯船から立ち上がり、サウナへ向かおうとした。その時であった。俺は、安田のある異変に気がついた。湯船から立ち上がった安田が、何故か網タイツを履いているのだ。俺は何が起きているのか、全く理解できなかった。脱衣所で衣服を脱ぎ、全裸の状態で風呂場に来たはずだ。そして、全裸の状態で湯船に浸かった。それなのに何故、安田は網タイツを履いて湯船から出てきたのか。おれは安田が、イリュージョンを披露しているのかと思った。しかし安田はイリュージョニストではない。仮に安田がイリュージョニストだったとしても、湯船から網タイツを履いて出てくるというイリュージョンなど、この世に存在しない。では、何故安田は風呂の中で網タイツを履いているのだろうか。俺はその問いに、自ら答えを見つける事ができず、安田にその問いを投げかけた。すると安田は、こう言い放った。
「毛だよ、毛」
安田の声が風呂場に響き渡った。俺が網タイツだと思っていたものは、網タイツではなく、異常な量の毛だったのだ。湯船から立ち上がった際に、毛の流れが整い、肌に密着し、あたかも網タイツを履いているかの様に見えていたのである。俺はその日から、風呂場で安田とはぐれた時、顔を見て探すのではなく、下半身が黒い人物を探すようになった。
この話からも分かるように、安田の下半身の毛の量は異常なのである。安田自身も、下半身の毛の量の異常さに羞恥心を抱いており、脱毛サロンのチラシを見ては、脱毛をしようか悩む日々を過ごしている。
しかし、安田は最近、下半身の毛のコンプレックスの他に、毛に関するコンプレックスがもう一つ増えてしまった。それは頭頂部の薄毛である。ここ一年ぐらいで、急激に髪の毛の量が減っているのだ。これは、10代からの友人である俺にとっても、かなりショッキングな出来事だった。安田は、下半身の毛の量を減らしたいという悩みと、その真逆の、頭頂部の毛の量を増やしたいという悩みを、同時に抱えることになった。頭頂部を生やしてから、下半身を減らすのか。下半身を減らしてから、頭頂部を生やすのか。安田はさらに悩みを抱え、そのストレスでますます薄毛が進行している。同時に治療を開始するという手もあるが、毛を減らす治療と、毛を増やす治療を同時に始めて、安田の身体は耐えられるのだろうか。安田の体毛や頭髪が、今後どのように変化していくのか、俺自身とても興味深い。安田が理想的な毛の量を手に入れられる事を、友人として切に願う。

5.安田と食について

安田は食べることが大好きで、食べることが生き甲斐と言っても過言ではない。しかし、安田の胃袋が満たされることは滅多にないのだ。俺が安田に向かって、頻繁にかける言葉がある。
「まだ食べるの?」
安田はとにかくよく食べるのだ。よく食べると言うよりは、ずっと食べていると言った方が正しいのかもしれない。安田の食に対する執着心は、時に恐ろしいものがある。
以前、俺が安田の家に行った時のこと。俺が安田の家に行くのは、だいたい23時から25時ぐらいの間で、その日もそのぐらいの時間だったと思う。安田の家は常に鍵が開いているため、インターホンを押すこともなく、家に到着したらそのまま家に入る。俺が家に入ると、安田は大概何かを食べているのだ。その日も安田は晩飯を食べていた。安田は白飯を、お茶碗では食べない。お茶碗の二回りほど大きな、どんぶりで白飯を食べる。その日は、どんぶりいっぱいに白飯を入れ、その上にスーパーで買ったお惣菜を乗せて食べていた。俺が来ていることにも構わず、誰にも取られまいと言わんばかりに、無我夢中で飯をかきこんでいた。あれほど一心不乱に飯をかきこむ姿は、日本昔ばなしの登場人物か、安田ぐらいしか見たことがない。普段は温厚な安田も、飯を食べている時は狂犬と化す。飯を食べている時にむやみやたらに近づくと、威嚇される危険性があるのだ。俺はひとまず、安田が飯を食べ終わるのを、じっと待つことにした。しばらくして、安田がどんぶりを高く持ち上げ、一気に飯をかきこんだ。そして、安田が最後の一口をかきこむのと同時に、キッチンの方から機械音がなった。
「ピー、ピー、ピー」
炊飯器の米が炊き上がったのだ。安田は飯を食べ終わると同時に、また次の飯を食べるつもりだったのである。俺は一瞬パニックに陥ったが、何とか冷静を装い
「まだ食べるの?」
と言った。安田は俺がいる手前、冷凍にする用に炊いただけだと言い訳を言ったが、俺がいなければ、またどんぶりいっぱいの白飯をかきこんでいたに違いない。
安田は大食いのくせに、食べるのが異常なほど遅い。一緒に食事をしていると、小学生の女の子と食事をしているのかと錯覚するほど、ゆっくりと食事をする。定食屋で一緒に食事をした時のこと。お互いに定食を注文して待っていると、先に安田の定食が運ばれてきた。安田は律儀な性格なので、俺の定食が運ばれてくるまで待とうとしたが、俺は気を使わずに先に食べてと伝えた。(もちろん気を使わないでほしいのも事実だが、食べるのが遅いから先に食べ始めてほしかったのだ。)しかし、安田は俺の定食を待ち、俺の定食が到着してから一緒に食べ始めた。案の定、俺が食べ終わる頃に安田の定食はまだ半分ほど残っていた。そして、俺が食べ終わると同時に安田は店員を呼び止めこう言った。
「すいません、ご飯のおかわり大盛りで」
その定食屋はご飯のおかわりが自由だった。俺が食べ終わってから、さらに大盛りのご飯を食べ始めたのだ。安田は大盛りのご飯が運ばれてくると、小学生の女の子のスピードでゆっくりと食事を続けた。安田は、食べることに何よりの幸せを感じている。だからこそ、人よりも少しでも長い時間食事を続けたいのである。俺は人生で安田の飯待ちをどれほどしただろうか。改札の中でチャージを待つ時間を合わせたら、国家資格の一つぐらい取れたかもしれない。
最近の安田は年齢もあってか、少しずつお腹に肉が付き始めている。安田が肥満の仲間入りする日も近いかもしれない。それでも安田は、ゆっくりと大盛りを食べ、おかわりをする人生を歩んでいくのであろう。最後になったが、これだけ伝えてこの章を締めくくることにする。安田は猫舌だ。

6.安田とでん六豆について

安田は飯を食い終わっても、まだ食べることを諦めない。飯の後は、必ずお菓子を食べるのである。安田の部屋のゴミ箱は、常に大量のお菓子の袋で溢れかえっている。『安田と胃袋について』でも書いたように、食に対して強いこだわりを持っている安田が、必ず家に常備してあるお菓子がある。それが、でん六豆だ。でん六豆と聞いて、どんなものか想像がつかない人もいるであろう。でん六豆とは、よくおばあちゃんちに置いてある、緑色の甘い豆菓子だ。安田は、上京した20代の頃からほぼ毎日、でん六豆を食べ続けている。安田が上京したのが2016年の12月。安田曰く、でん六豆を好んで食べ始めたのは上京してからすぐのことだったらしく、上京してから今日までずっと、でん六豆と共に東京の日々を歩んできたことになる。2024年の現在では、でん六豆歴も7年になる。気が付けば、でん六豆が安田の生活の一部になっていた。今ではでん六豆が生活の糧となり、厳しい東京の日々の支えになっている。
安田が上京して、でん六豆を食べ始めたぐらいから、俺はある安田の変化に気がついた。それは、安田のファッションに緑色が増えたことだ。服装を見ると、必ずどこかに緑色が取り入れられている。緑色といえば、でん六豆だ。安田はでん六豆の緑色を、無意識のうちにファッションに取り入れているのだ。でん六豆をファッションとしても楽しむために、なるべくでん六豆の色に近い、でん六豆グリーンの衣服を好んで着るようになったのだ。安田はそれほどまでに、でん六豆に魅了されている。
安田は、この先の人生もでん六豆と共に歩んでいきたいと語っている。しかし、安田がでん六豆を愛する一方で、でん六豆に対して抱いている不安もあった。それが、若者たちのでん六豆離れである。確かにそう言われてみると、でん六豆には年配の人が好んで食べるイメージがある。10代や20代が自らでん六豆を好み購入するケースは、どのぐらいあるのだろうか。
この、若者たちのでん六豆離れについて、安田は日本社会そのものを表していると考えている。一昔前は、祖父や祖母と共に暮らしている家庭が一般的であったため、幼少期に自然とでん六豆を口にする機会があった。実際に安田も、幼少期に食べた記憶があるらしく、大人になって懐かしさもあり、再び自ら手に取ったとのこと。しかし、現在の日本ではそのような家庭が減少し、若者たちがでん六豆に触れる機会が失われつつあると安田は言う。自ずと、若者たちのでん六豆離れが加速しているのだと危惧している。(これは安田が言っているだけであり、実際のところどうなのかは不明である。)安田は今後、日本からでん六豆が消えてしまうのではないかと懸念している。安田の声に耳を傾け、でん六豆を食べる若者は今後増えるのだろうか。少なくとも安田がいる限り、東京の街からでん六豆が消えることはないだろう。

7.安田と○○について

つづく

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