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「神がかり!」第01話

――あらすじ――
七年前、折山 朔太郎の家庭はカルト教団により家庭崩壊した。
幼くして親の借金を背負いヤクザの西島という男に身柄を押さえられ借金返済に明け暮れる人生。

親に虐待されていた過去もある彼は自身の不幸な境遇から未来を諦め折り合いをつけて生きるだけの人間になってしまっていた。

そんな時、西島の「お前高校行けよ」という一言で彼の人生は大きく変わり始める。

入学した天都原学園には、かつて家庭を崩壊させたカルト教団の娘、不思議な能力を持って生まれたことから教団の神のような存在であった守居 蛍という少女が在校していたのだ。

もう関係無いことだと自身を納得させながらも彼は次第にその少女に関わってゆく‥‥


第01話

 きゃーー!
 うわーー!

 騒然となる踊り場。

 運の悪いことは重なるモノだ。

 男は足を滑らせた。

 二限目の授業が終わり、移動教室へと向かう最中に階段から足を滑らせる。

 ”たったそれだけ”のこと。

 よくあるシチュエーションだが彼は多少運に恵まれなかった。

 踏み外したのが最も上の段で階下まで数メートルあったこと。

 転げ落ちた先に片付け忘れた文化祭の廃材があったこと。

 それの一つが一メートルほどの折れた木の棒で先が鋭利であったこと。

 些細な運の悪さもこれだけ重なれば一つの結果につながる。

 ――死という最悪の結末に

 「は、はやく!救急車を!」

 「だ、誰か!」

 「だめだ!血が、血が止まらない!」

 阿鼻叫喚。

 休憩時間で賑わっていた廊下はパニック状態であった。

 倒れた男子生徒の胸に深々と突き刺さる木製の支柱。

 ぐったりと仰向けに倒れた生徒は痛みに暴れることも無く、ただ力無く横たわり苦しそうに開いた口から弱い吐息と血の泡を吐き出している。

 それは誰の目にも手遅れであった。

 その瀕死の体の横にへたり込む、もう一人の男子生徒。

 哀れな人物の友人らしい生徒は半狂乱で何かを叫びながら、あけまみれた人体を激しく揺さぶっていた。

 「ダメだよ、そんなにしちゃ……血が止まらなくなっちゃう」

 場にそぐわない落ち着いた透明感のある声が響き、

 同時に、死の門へといざなわれつつある男に白く小さい手が差し伸べられた。

 ――

 学園指定の制服である薄いグレーのセーラー服と膝までの清楚なプリーツスカート。

 上品な装いで知られる私立天都原あまつはら学園の制服は学園生にも近隣住民にも評判が良い。

 その制服を纏った少女は皆がパニックになる中、しっかりとした足取りで”そこ”に向かう。

 「……」

 半開きの口から”ひゅーひゅー”と儚げな息を漏らす男子生徒の傍らに膝を着いた少女は、異物が我が物顔で突き刺さった胸部にそっと両手を添えた。

 ――白く美しい指先

 直ぐに陶器のように輝く肌は溢れ出したドス黒い血に侵食されてゆく。

 大気に触れ変色し粘り気を帯びる液体……

 ――

 目前の光景に息を飲む生徒達は、先ほどまでのパニックが嘘だったかのように静まりかえっていた。

 「……」

 血の池に溺れる男子生徒に文字通り救いの手を差し伸べる少女は、

 それはまるで切り取られた一枚の絵画のようである。

 そして信じられないことに、赤黒く染まっていた少女の白い指先が次第にその透明度を回復してゆく……

 ――カランッ

 自然とそうあることが当然の事の様に、死を象徴していた凶器の木片が抜け落ちて乾いた音を響かせた。

 宛がわれた彼女の白い掌にはうっすらと淡い光が宿っている。

 「これで……多分大丈夫。早く救急車を……」

 横たわる男子生徒の隣で呆然とする友人らしき生徒にそう告げると、彼女はヨロヨロと力なく立ち上がった。

 白い額には無数の玉の汗が輝いている。

 覚束おぼつかない足取りで去って行く少女を追う者は一人もいない。

 神々しささえ感じるその後ろ姿に声をかけられるほど不遜な人間はこの場には居なかったのだ。

 天都原あまつはら学園生の、去って行く少女の名は……

 ――”てる”という少女と再会した時

 俺の心は確かにざわついた。

 再会と言っても子供の頃に一度か二度、話しただけだから向こうが俺のことを憶えていたかどうかは疑問だけどな……

 まぁ兎に角、再会した時、俺の心は通常じゃ無い状態だったと認識している。

 てっきりそういう思考や感情は無くしたと思っていたんだけどな。

 そうして俺は、それからずっと自問している。

 勘弁して欲しい、俺は色々と忙しいんだ。

 何が忙しい?

 生きるために……

 そう、ただ生きるという行為を維持するために俺は忙しい。

 他には何も無い……

 過去にはあったかもしれないが現在いまは無い。勿論未来にも無い。

 なのにあのてるという少女に再会してから俺の頭を巡る答えの出ない問いかけ。

 ――俺はいったいどうしたいんだろう

 ――復讐?

 それは無い。

 そもそもそんなことを考えるには時間が経ち過ぎた。

 ――自業自得?

 いや、他人ひとの不幸を望むほど俺は暇じゃ無い。

 そうだ、俺は今更そんなことは望んでいないんだ。

 なのに何だ……この感情は。

 てる……おまえに感じるこの感情の正体を俺はらない。

 りたいとも思わない。

 ただ俺は俺がどうしたいかりたいだけ。

 ――なんだそれ?

 全く意味が無い。

 俺には意味の無い禅問答だ。

 「……」

 ――ああ、くだらねぇ

 ――
 ―

 「くだらねぇ……」

 無気力な瞳でぼそりと呟く男。

 特に苛立った風で無く、誰かを見下した様子でもない。

 ただ何かを諦めたような無気力な言葉。

 それが俺、折山おりやま 朔太郎さくたろうの口癖になっていた。

 そもそも俺がこの高校を受験したのには大した理由は無かったんだ……

 今の住居と職場から近かったということ。

 入試の成績が特に優秀な者は特待生として入学金と学費が免除されること。

 俺にとって理由はその二点につきる。

 諸々の事情で親も無く経済的にも苦しい俺にとって、これらの条件はここ以外の選択肢を無くした瞬間だった。

 ――私立天都原あまつはら学園

 中高一貫で全国的にも名高い名門校だ。

 文武両道、卒業生は政治家、官僚、学者、プロスポーツ選手など、どの分野でも優れた人材を輩出している有名校だ。

 今日からここに通う事となった俺は高校からの入学組である。

 小中学校も真面まともに通ったという記憶の怪しい俺は、ここでは確実に異分子だろう。

 「おまえ入部したら良かったのに、すっげー可愛かっただろ?」

 「いや無理だろ。クラブ活動が奉仕部って、せっかくの高校生活が台無しだ。まあ、確かに勿体ないくらいの娘だったけどなぁ」

 ざわついた独特な雰囲気の教室で雑談に花を咲かせている新入生達。

 入学式も無事終わり、振り分けられたクラスの教室で、担任、クラスメイト同士の自己紹介などフォーマットされた一連の流れが済んだ放課後に……

 殆どの新入生達は直ぐには帰らず、お互いの親睦を深め合っているようだ。

 ――ガタッ

 そんな同世代のなんと言うことも無い会話を尻目に、異分子であることを自認している俺は場違いなこの場所から早々に退散しようと帰り支度を済ませて立ち上がった。

 「それって奉仕活動みたいな部活やってる”てる”っていう二年の可愛い娘だろ?」

 ――てる

 「そうそう”ほたる”って書いて”てる”」

 「てるちゃんって言うんだ、あの娘。確かに彼女の可憐さは”ほたる”ちゃんって感じだなぁ」

 「やめとけってお前ら。俺は二年に兄貴がいるから聞いてるけど、あの娘って変な宗教関係らしいぜ。あと諸々ヤバイって二年でも敬遠されてるって言うか……」

 ――宗教? 

 てる、宗教、ヤバイ……

 帰り際、偶然拾ったキーワード。

 つい聞き耳を立ててしまっていた俺の左耳に男子生徒達の新たな情報が入っていた。

 因みに、俺の情報収集が左耳だけなのは大抵右耳にはワイヤレスの小型イヤフォンを装着しているからだ。

 帰り支度を済ませていた俺は、後から新たに会話に加わった男子生徒の話の内容に完全に足を止めていた。

 「てる……宗教……」

 楽しそうに他愛も無い会話を続ける同級生達を眺めながら俺は逡巡する。

 ――まさかな……いや、でも可能性的には……ありえる

 俺は軽く頭を振った。

 ――いや、だからってどうするんだ?

 どうと言うことは無い、俺にはもう関係の無い話だ。

 そうやって自己完結した俺は気分を切り替えて中身の薄い鞄を肩に担いだ。

 「やばいらしいぜ。奉仕活動部っていうけど、”けいせつの会”とか言う宗教的な勧誘してるらしいし、あの娘には学園生なら誰も関わらないって話だ」

 「マジかよ……可愛いし雰囲気良かったのに。もったいねーー」

 ――けいせつ……けい……せつ

 その言葉で俺は、今度は完全に歩みを止めていた。

 「それってクラブ活動の勧誘かなんかだろ?どこでやってたか教えてくれるか?」

 そして俺は――

 躊躇する事も無く、近くの席でたむろしている三人の同級生に問いかけていた。

 「……えっと?」

 初対面の男に突然声をかけられ多少訝しげに俺を見る三人。

 「ああ、それなら一階の購買前の辺りだ」

 彼らはぎこちないながらもそう答えた。

 「わるいな」

 俺は愛想無く礼を言うと平然とした顔で教室の出口に歩みを再開する。

 しかし実際は――

 胸のざわつきを押さえきれない俺の足は、誰から見ても明らかに足早になっていたことだろう。

 「……」

 ――俺、折山おりやま 朔太郎さくたろうの小中学時代は借金まみれだった

 俺を束縛している一世会いっせいかい西島にしじま かおるという男に早朝から深夜まで表家業、裏家業関係なく働かされ続けた。

 一世会いっせいかい哀葉あいば組若頭、西島にしじま かおるという男は……

 三十代半ばで痩けた面長な輪郭、いつも不機嫌そうなへの字に固定された薄い唇が特徴の、俺が知る限り最も危険な人物だ。

 一世会いっせいかいからこの辺り一帯を取り仕切ることを任された……

 有り体に言えば”ヤクザ”なんだが、とにかく業界でも特に武闘派として名を馳せている

 俺は幼少の頃からこの恐ろしい男のおかげで殆ど学校にも通えず、こき使われ続けたのだ。

 そんな環境で義務教育を何とか卒業できた俺は、本来なら高校生活を望むことなどあり得ない身分であったし、周りの者達もそう思っていただろう。

 「おまえ……高校いけよ」

 る日、西島にしじま かおるはいつも通りぶっきらぼうな顔で突然そう宣った。

 西島にしじま かおるがそんな素っ頓狂な事を言い出した時は、俺だけで無く周りの者達も最上級に驚いたものだった。

 無論、入学金や学費は自分で工面する、借金返済のための労働は今まで通りこなしながらという抜け目の無い条件だが……

 斯くして、俺はめでたく今年の四月から私立天都原あまつはら学園に通う運びとなったのであった。

 「……」

 ここ最近、俺に起こった奇異な一連の流れを思い出しながら足早に歩いていると、やがて視界に目的の場所がフェードインして来た。

 ――ザワザワ

 放課後はいつも賑わう購買前だが今日は輪をかけて活気に溢れている。

 その理由は……

 入学式のため午前中で帰宅予定の新入生達が、期待に胸を膨らませ明日まで待ちきれないとばかりにクラブ見学や施設見学などを目的として意気込んで残っているからであった。

 彼ら彼女らは午後からの活力補給をするため、購買前や食堂前に押し寄せている。

 「し、新入生の皆さん、あの……クラブ活動は決まりましたか……あの」

 生徒達が入り乱れる人混みの中、小柄な少女が何かビラのような紙切れを手にあたふたと動き回っているのが見える。

 「えっと……高校生活を清く正しく過ごすために……ぜひ、わが……」

 彼女自身は大声を出しているつもりなのだろうが、如何いかんせん声量が足りない。

 自信なさげな言葉と相まって、雑然としているこの場では耳に入る者は少ないだろう。

 なんだか覚束おぼつかない足下の少女。

 その後ろ姿を確認しながら俺は目的の人物だと確信した。

 「おい、あの娘」

 「ああ、二年生みたいだけど……可愛いな」

 俺以外にも何名かの男子生徒達が遠巻きに一生懸命な彼女を眺め、コソコソと話している。

 俺の位置からはまだ後ろ姿しか確認できていないが……

 雰囲気と周りの男共の反応からかなり見栄えのする美少女らしい。

 天都原あまつはら学園指定の制服である薄いグレーのセーラー服に膝までの清楚なプリーツスカート、オパールグリーンのタイは俺より一つ上、二年生の女子ということを示している。

 恐らくは美人であろう彼女に興味はあるものの、上級生という事とまだ環境に馴染んでいないお互いを牽制し合ってか、男子生徒達は遠目に眺めているだけで彼女には接触出来ないでいた。

 ――まぁ、それでも放っておけば誰かが声をかけるのも時間の問題だろう

 「厄介だな」

 本来の目的を思い出し俺は行動に出ることにした。

 ――

 「世の中のためになるクラブ活動で心身ともに……」

 背後から足早に近寄る俺、

 少女まで数歩と言うところで彼女がふいに振り返る。

 自信なさげに勧誘を続けていた少女はどうやら俺に気づいたようだ。

 「えっと、ちょっといいか?」

 少女の直ぐ目の前まで到達した俺はそう言って彼女の顔を見下ろす。

 「?」

 彼女の優しげに少しだけ下がった大きめの瞳がキョトンと見開いた。

 「は、はい、なんでしょう?」

 ――交渉ごとは機先を制するに限る!

これは俺の人生経験からの教訓だ。

 何事もイニシアティブを取った方が後々までの選択肢を多く保持することが出来る

 ……はずだ、多分。

 俺の思慮をよそに、少女は少し緊張気味でありながらも入部希望者の可能性に期待してだろう微笑んでいた。

 ――チッ

 ――なんだよ

 途端に俺のことを自分たちの同類だと思って疑わない輩達から、先を越されたとばかりの舌打ちが聞こてくる。

 ――くだらねぇ、興味ないんだよ!

 俺は心の中でつい、いつものフレーズを吐き捨てながら、目前の少女を改めて確認した。

「……」

 大きめの潤んだ瞳は少し垂れぎみであり、そこから上目遣いに俺を伺う様子はなんとも男の保護的欲求がそそられる。

 ちょこんとした可愛らしい鼻と、綻んだ桃の花のように淡い香りがしそうな優しい唇。

 春の光を集めサラサラとゆれ輝く栗色の髪、毛先をカールさせたショートボブが愛らしい容姿によく似合っている。

 誰の異論も挟む余地の無い美少女であろうが、どこか頼りなげな仕草と雰囲気から美女という表現よりも可愛らしい少女の印象が一際強い。

 ――けど、この娘の場合

 むしろそのイメージの方がずっと魅力的だよなぁ……

 「!」

 俺はそこまで考えて思い直した。

 ――いや、そう言うんじゃないから、ほんと!

 心中で何故か言い訳をする俺。

 「あの……」

 少女は自身の顔を凝視したままの俺に怖ず怖ずと声をかける。

 俺はその言葉で本来の目的を思い出して……

 ――確かに面影があるともいえる

 改めて目前の美少女を見直した俺はそう感じていた。

 「あ、あの……」

 再度、不安げに彼女は声をかけてくる。

 ――

 しかし、俺の脳細胞は只今別の考えで貸し切り状態であった。

 「六花むつのはな……」

 それは自然と俺の口から零れた言葉だった。

 「えっ、なに?」

 「い、いや」

 俺は慌てて口にした言葉を誤魔化す。

 ――くっ!イニシアティブは完全に失ってしまった

それどころか要らない事まで口走ってしまう迂闊な俺。

――ったく、容姿一つでこれだ

 本当に女は怖いな。

 俺は責任転嫁な愚痴を胸に、会話を続けることに……

 ――ドンッ

 再び口を開こうとした時、少女の背後に一人の生徒が軽くぶつかってきた。

 「きゃっ!」

 ほんの軽い接触だったためか相手の生徒は気づかずに去って行ってしまう。

 前方に気をとられていた彼女の手からは勧誘用であろう、ビラの束がパラパラと床の上に散乱した。

 「あっ!あぁ」

 慌ててしゃがんでそれを拾い集めようとする少女。

 購買前で散乱したB5サイズの用紙はそれほど広範囲に散らばった訳ではないが、生徒達が混雑するこの場では直ぐに踏まれて揉みくちゃになってしまいそうであった。

 ――仕方ないな

 相手が自分に注意を割いていたことから無関係を装うには多少の罪悪感を感じた俺は、本心では面倒臭いと感じながらも直ぐに彼女同様しゃがみこんでそれを手伝う。

 「あ、ごめんね」

 気づいた少女は作業を続けながらも困った表情で俺に微笑みかけてきた。

 「……これで全部だ」

 一生懸命ではあるが、アタフタとあまりはかどっていない少女とは対照的に手際良くそれらを纏めて差し出す俺。

 「あ……と、ありがとう」

 「いや別に」

 白い頬を軽く染めた少女は感心した様な瞳で俺を見ながらお礼を言った。

 書類を落としたドジさとか、手際の悪さとか、多少の照れが入って恥ずかしそうに微笑みかける少女は、なかなかに愛らしい。

 「名前なんていうんだ?」

 「え?えっ?」

 僅かな沈黙の後に放った俺の質問に大きめのつぶらな瞳をくるくると動揺させる少女。

 「だから……なま」

 ――ズイッ!

 しゃがんだままのお見合い状態で再度質問しようとする俺と動揺する少女。

 その間に横合いから割り込む白い足!

 「……」

 俺から少女への視線を遮るなかなかの美脚だ。

 「いい度胸ね。入学早々に上級生を校内ナンパなんて」

 頭上からの声に俺は自身の視線をスライドさせ声の主を見上げた。

 「見た顔だと思ったら、たしか折山おりやま……朔太郎さくたろうね」

 そこには、腰まである艶やかな長い黒髪を揺らした色白の女、

 如何いかにもな大和撫子が仁王立ちに立ちはだかっていた。

 「……」

 スラリとした女子にしては高めの身長。

 薄いグレーのセーラー服にオパールグリーンのタイは、目前の少女と同じ二年生のカラーだ。

 しかし何より俺が注目したのは一本芯の通った姿勢から漂う凜とした佇まいで、

 それが只者で無い空気を醸し出す。

 「……」

 本能的に俺の背中辺りにピリリと緊張が走る。

 ――独特の緊張感

 ”なにか”やっているな、それも中々のものだ。

 もはや条件反射ともいえる反応で、俺はしゃがんだ体制ながら四肢に神経を張り詰めた。

 体勢は一ミリも変わっていないものの油断無く黒髪の女を見上げる。

 「ふぅ」

 その女はこれ見よがしにため息をいてみせる。

 ――しゅるり

 そして背負っていた臙脂えんじ色で縦長のハードケースを肩から降ろした。

 形状から剣道の竹刀袋と考えて間違いないだろう。

 なるほど大和撫子の見た目に違わぬ純和風な部活だと……

 「心配になって見に来てみれば案の定、変な輩に絡まれてるし……ホントに自覚しなさいよね、てる。自分の魅力を……」

 少女にそう文句を言いながら自身の前に持ってきたハードケースのジッパーを下ろす。

 「……」

 暫し、なにやら中身を吟味する女。

 どうやらそこには二振りの長物が収まっているようだ。

 一つ目は素振り用と思われる木刀。

 二つ目はごくありふれた竹刀だ。

 ――

 「なにしてんだ?あんた?」

 俺は我慢しきれず思案顔の女に思わず声をかけた。

 「見ればわかるでしょ?大切な友人にちょっかいを出そうとしている害虫駆除用の得物を吟味しているのよ」

 「わかってたまるか!そんな理不尽!」

 ――マジかよ!

 当然の如くに恐ろしいことを言う女だ。

 「そもそも迷うところか?普通、木刀は無いだろ、木刀は!」

 「?」

 ――だからなんでそんな不思議そうな目でこっちを見る!常識無いのかこの女!

 「エイミちゃん駄目だよ」

 先ほどまで散らばった用紙を拾っていた少女、黒髪の女に”てる”と呼ばれた可憐な少女が物騒な友人を諫めた。

 ――ふう……だよな

 俺は胸をなで下ろす。

 「それ買ったばかりだって言ってたでしょ、血液ってなかなか落ちないよ?」

 「そこか!汚れが気になるお年頃かっ!!」

 ――マジか!マジなのか?

 この学園では殴打事件は日常茶飯事なのか?

 いや、俺が言うのも何だけどここは法治国家だ。

 そんなわけあるはずが無い!

 俺は一見、平和の象徴のような穏やかな容姿の少女を恨めしそうに睨んだのだった。

 「ぁ……てへ!」

 それに気づいた美少女はなにやら本日一番っぽい笑顔で切り返す。

 ――笑って誤魔化しやがった!

 可愛いけりゃなんでも許されるのか?

 「……」

 だが憤慨する心中とは裏腹に笑顔の美少女に対して思わず口元が緩む俺……

 俺が世の理不尽を再認識した瞬間である。

 「仕方ないわね、折山おりやま 朔太郎さくたろう。本来なら害虫の言葉なんて聞く義理はないのだけど、竹刀にしてあげるわ」

 黒髪の女は心底残念そうな表情かおでスラリと竹刀を抜き放った。

 「えっと……な、なんか、わるいな?」

 なにやら我が儘を言ってしまった気がした俺は、理不尽な理由で俺を叩きのめす気満々の相手につい礼を言ってしまう。

 ――

 「いや、違うだろ!暴力反対!暴力女!男女おとこおんな!」

 遅ればせながら正気に戻った俺。

 ――っ!

 そして俺が放ったその言葉に、エイミと呼ばれた黒髪の女の眉間が陰った。

 「……なんだか聞き捨てならないワードが入ってた様な気がするけど」

 「き、気のせいだろ?」

 何となく逆鱗に触れたような気がした俺は弱々しく反論する。

 「いいえ!確かに言ったわ”男女おとこおんな”って……それはこの、この私の体型が……ち、ちょっとだけ、ほんのチョコッとだけ平均には足らない胸とか……そんなことを指しているのかしら?」

 「いっ!言ってない言って無い!」

 「無い?胸が!!」

 「いや、それは被害妄想すぎだろ!」

 俺の言葉には耳を貸さず、鬼気迫る殺気を纏って正眼に竹刀を構える女。

 「駄目だ。おい、えっとそこの少女、何とか言ってやってくれ」

 目前の黒髪女には最早、言葉は通じないと判断した俺は、傍らにいるはずの”てる”という少女に助けを求めるも、

 「清く正しい高校生活のためにぜひ、我が部で奉仕活動を行いましょう」

 少女は何事もなかったようにビラ配りを再開していた。

 ――おーいお嬢さん!諦めるの早すぎっ!

 「”てる”さんとやら!何とかしてくれよ!あの女、友達なんだろ?」

 俺は恥も外聞も無く泣きそうな声で少女にすがる。

 ――あれだ、緊急事態だし、命の危険もありそうな勢いだ

 情けなくないぞ俺。

 「えっと……エイミちゃん、その話になると手の付けられない乱暴者になるから……」

 「……」

 俺は彼女の返答に暫し立ち尽くした。

 ――乱暴者になるから……

 なるから……って他人事か!元々お前の関係者だろ!

 なんか優しい笑みで誤魔化そうとしてるけど、けど……

 「……」

 ――か、可愛い……じゃ無かった!!

 「なるから……じゃねぇ!無関係装ってんじゃねぇよ!」

 男ならではの葛藤の末に、非常に可愛らしい少女に怒鳴った俺はそこで……

 ――ゾクリ!

 首元に不意に走る悪寒。

 ブンッ!

 背後から俺の首をなぎ払うかのような鋭い太刀が横一閃していた。

 「うわっ!」

 それを間一髪しゃがんで躱す!

 俺の頭頂部の髪の毛が数本宙に舞っていた。

 ――おーー!

 自然と出来上がっていた俺の周りの人だかり、そこからワッと歓声があがる。

 「すごい!すごいよ!キミ!背中に目があるみたい!」

 可愛らしい頬を上気させて無邪気に感心する”てる”という少女。

 ブオン!

 そんな周囲の状況にも俺はかまっている暇は無い!

 慌てて振り向いた俺は、続いて大上段から肩口に斬りつけられる一撃を今度は仰け反って躱す。

 シュバ!

 空振りした切っ先がそのまま床ギリギリのところで弾かれたように跳ね上がる!

 「うおっ!ツバメ返しだと?」

 俺は体勢を崩していたが、仰け反ったまま後方に一回転することで追い打ちのその一撃をも躱していた。

 尚且つ、その所作は相手から一旦距離をとって追撃に備えるという意味もある。

 ――おおおっ!!

 ギャラリーから先ほどよりも大きな歓声が上がった。

 「うわっ、バク転だ!生で始めてみたよ!」

 興奮気味の少女が手に持ったビラの束は、彼女の豊かな胸の前でギュッと抱きしめられて軽く変形していた。

 ――うらやまし……じゃなかった!

 「お、お嬢さん!てるさん?お願いです!助けてください!」

 洒落にならない状況……

 今の俺は目前の黒髪剣道女を警戒しながらも、すっかり他人事で観戦に夢中なお嬢様に必死で助けを求めるしか手が無かった。

第01話 END


第02話


第03話


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