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後戻りできなくなった日

10年が過ぎたというので、今まであちこちに書き散らかしていた話を少しまとめて書き残しておこうと考えました。

10年前の3月は、4月に控えたミラノのデザインウィーク、サローネに向けて準備中でした。サローネは基本家具デザインが中心のイベントなので、電化製品などをデザインすることが多いおいらにとっては毎年関わるイベントがあるというわけでもないのですが、この年はたまたま新しい(絵が描ける)素材を使ったスペインメーカーの超高級ベビーカー発表会を兼ねてミラノのデザイナーがペイントをする企画があり、その人選を任されていたため、おいらと、友人のデザオナーと建築家を誘ってイベント準備をしていました。

早くも話を脱線させると、この企画はデザインウィーク中ずっと展示はしてありますが、多くのサローネイベントがそうであるようにプレスを呼んで司会が入ったイベントがあったのは1日だけ。ここでおいらも自分が落書きしたベビーカーの前でインタビューを受けたり、ゲストとして来ていた(デザインとは何の関係もない)当時のバスケットイタリア代表チームキャプテンと話をしたりしたのですが、このイベント司会がアマデウスだったのです。そう、今年のサンレモ音楽祭の司会のアマデウスです。立派になったものだと感慨深いです。(←育ての親の気分)

話を戻して、3月の11日がやって来ました。情報はインターネットであっという間に広がる時代ですが、それまではインテルの話以外でほとんど使うこともなかったTwitterに共有される情報でもリアルタイムで日本の津波による被災状況や原発事故現場の状況が伝わってきました。

911の時もすでにインターネット時代でしたが、あの頃は、動画も一旦ダウンロードして再生する感じで、まだストリーミング再生ではなかったと思います。やっぱり記事に書かれた情報が先行していたと思います。それが311では世界中の人が同じ時間に同じ映像を見ていたようです。どこかの国のニュースでアナウンサーの後ろに映っていたLive映像の福島第一原発が爆発し、アナウンサーが言葉を失うシーンが象徴的でしたね。

日本では枝野さんが「ただちに健康に影響が出るものではない」と連日繰り返し、テレビでは『専門家』の人達が「水位が今以上に下がると危ない」と繰り返していました。そしてアメリカ軍はおトモダチ作戦として原子炉に近づいて水をかけるウソみたいな作戦を実行してくれたのだけれど、多くの作戦参加兵はその後アメリカに帰国して被ばくによる後遺症で苦しむことになります。

イタリアでは事故から3日後には福島の原発はメルトダウンしているだろうという専門家のコメントがあちことで報じられていました。おいらはガゼッタで読みました。日本というか、東電がメルトダウンを公式に認める発表をしたのは2ヵ月以上してからなんですね。

さて、前出のイベント用に事務所へサンプルのベビーカーが届き、おいらも落書きを始めるところでこのベビーカーのデザイナーでもあるオランダ人メーカー社長と話をしていたら、イベントで展示したサンプルはオークションにかけて売り上げをどこかに寄付しようと思うというので、それなら日本の被災地応援募金してはどうかと提案したらすぐに賛成してもらえました。なので、おいらの落書きにはメーカーとは関係なく勝手に「がんばれ日本」のメッセージを入れました。インタビューでもどこかで「Forza Giappone」と言っているはずだ。ただ、結局このベビーカーは子供用品企業ということで、チャリティーのオークションはアフリカの子供たちの学校建設支援というユニセフ募金に支払われたらしい。

この年はおいらの関わったこのイベント以外に、イタリア人デザイナーたちが中心となって日本への募金集めを目的とした展示イベントがありました。こっちはもっとたくさんのデザイナーが関わり、日本人デザイナーでは富田一彦さんなんかが参加していました。このイベントは声がかからなかったのだけれど、そういう展示会があるというのでオープニングに顔を出しました。

参加しているデザイナー15組くらいだったと記憶してますが、半分くらいはおいらも知っている人だったようです。会場ではそういう知人たちといろいろおしゃべりしたのだけれど、主催者の一人に名前が出ていた知人デザイナーのジュ―リオに「この展覧会、いろいろありがとう。日本人としてお礼しておくよ。」というと「まあ、ヒロシも知ってる通り、イタリア人は日本が好きなんだよ。」と答えてくれましたっけ。

きっと世界中でこうした小さな日本への善意応援活動が数えきれないほどあったはず。どの国からどんな応援をしてもらったか、日本人は決して忘れてはいけないと思います。

さて、当時はまだウチの子供達も土曜日だけのミラノ日本人学校補習校へ通っていました。日本企業の駐在の人は数年ミラノ勤務してまた日本に帰ったり他の国へ行ったりするので、子供を日本人学校に毎日通わせる人が多いけれど、我が家の子供たちは平日はイタリアの学校で教育を受けたので、日本語を集中的に勉強する目的で土曜日だけの補習校に午後だけ通っていました。

余談だけれど、我が家の子供たちが(休みの)土曜日にも補習校へ日本語の勉強に(1回3時間だったと思うけれど)行っていると聞いたイタリア人家庭のお母さんたちには「かわいそうに、土曜日まで勉強だなんて」という人もいたけれど、子供達を見ていると、日本語を学べたことはもちろんだけれど、補習校でイタリアの学校経由以外の友人が出来たのも大きな人生の収穫だったようです。何しろ小学校の1年から高校卒業までずっとクラスメイトだった友達だからね。

イタリアで子育てを始めた頃は、いくら頑張っても(補習校に通わせても)将来的にイタリア育ちの子供たちと夏目漱石の本の話なんかは出来ないんだろうなあと思っていました。それが、補習校を高等部まで卒業した娘たちはパパの本棚から村上春樹や米原万里を持って行くようになりました。ミン ジン リーさんのパチンコは英語版を持って行ったけど。

311後その日本人学校で、とある日曜日に日本の被災地支援募金イベントをするとお知らせがありました。当日はイタリアで活躍していたスポーツ選手も会場(アルコバレーナと呼ばれる体育館)に来てビンゴ大会の賞品を提供してくれるとか。名前を見るとインテルにいた長友選手、カターニャにいた森本選手、イタリアセーリエAに在籍していたバレーの狩野舞子選手などの名前があります。

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おいらは息子に長友選手と森本選手の写真を渡し、NAGATOMOのユニフォームを着せて会場へ向かいました。すると当日の会場で「選手にはサインを求めてはいけない」「選手と2人で写真撮影を求めてはいけない」とか、あれこれとルールがアナウンスされました。そういうわけで、せっかく準備して来たのに、サインはムリかとパパは諦めていたのです。

すると、ビンゴ大会が終わって、選手の子供達との交流も終わったところで会場から出てきた息子がニコニコと持たせていた写真にしてもらったサインを見せてくれます。何でもビンゴゲームの途中で選手の周りに子供が集まっているときに写真とペンを渡すとササッとサインしてくれたそうです。選手達もセキュリティー上の問題で一応サイン禁止と運営会から言われてはいるけれど、セキュリティーのバイトの人の目が届かないところではこうしてサインしたりしてくれたらしい。息子も息子で、やはり日本育ちとイタリア育ちの違いだね "Si arrangia ehi"。

そういうわけで、サインはゲットできたし、イベントもお終いとなり、参加選手達が出口の前に並んで最後の募金箱への募金をお願いしてる前を通って一般客は校門から出て行くことになっていたところで、おいらは長女にカメラを渡し「パパが募金して長友選手と握手するところを写真に撮ってくれ」と、禁止されていた選手との記念撮影にも無理やり成功。これをおいらがインテリスタなことを知っている親や先生たちは「もう、ヒロシさんたら」と笑って見ていたらしい。

おいらが校門から出た後で、息子は長友選手の前を通るときに、さっとペンを渡してくるっと後ろに向き背番号のところにサインをおねだりしたそうです。でも今度は「またお前か、でもここはセキュリティー見てるからダメだ」とサインしてもらえなかったみたい。まあ、こういうのも勉強だと思うので、いい体験だったと思います。

ともかく、海外在住組もそれぞれの場所で出来る応援をしていたわけです。

* * *

あれから10年の間に、がれきの始末や除染は少し進んではいますが、実は福島原発事故あとで廃炉に向けた作業は全く何も進んでいないのが現実です。メルトダウンしたデブリは今日も1ミリも変わらず事故当時そのままで、人が近付けば即死します。たまりにたまっている放射能汚染水もALPSで処理後にもトリチウム以外の核種が完全に取り除けていないことが分かっているし、たまりにたまって置く場所がなくなて来た汚染土は初期に詰めた袋が破損するような状況になって来ているので、せっかく集めた汚染土を全国に広くばらまこうかというバカげたアイデアが議論され始めました。汚染水も海洋放出しようと言い出す始末。海外でもやってるという人は詐欺師で、海外の原発で冷却に使ったトリチウム水の放出があるのは他の核種なんかは言っていない冷却水だからで、日本のそれは他の核種もオールスターの放射能汚染水なので、比較さえできないのです。その他の核種が入っていることを踏まえて東電が汚染水に含まれているトリチウム濃度基準を出しているのを見て「海外の基準より厳しい」とか言ってるバカは「海外のトリチウム水には他の核種は含まれていない」ことを隠しています。だからウソつきの詐欺師なのです。

10年前に世界各国で日本のことを心配してくれた多くの人々も、自分たちの生活圏へ直結す海へ放射能汚染水を放出すれば日本への信用はまた下がり落胆されることになるでしょう。海は世界中繋がっているからね。

この10年、日本で失われた10年と言われていたのが20年と足踏みをしている間に世界状況も大きく変わりました。当時既に世界最先端の製品などで存在感を示していた韓国は、この10年の間に文化面でも世界的ブームのK-Popをはじめ、大ヒット小説や大ヒット映画何度も生まれすっかりアジアを代表する最先端の国になっています。一番イケてる国。中国の大国としての登第は言うまでもなく、好き嫌いは置いといてもアメリカに匹敵する影響力を持つ国になったことは事実で、これからの10年で経済的にもアメリカを追い越していきそうです。

そんな中、日本は80年代の栄光が忘れられないまま、未だにオリンピックや万博で国威を煽りながら、どこかで満塁逆転ホームランを打とうと基本セオリーを忘れた大振りばかりの国になってしまったようです。研究開発も地道な大学での研究費は削りに削って、バカげたムーンショット型研究とやらに予算を付けたりしているのが象徴的です。でも。現在の新規登録特許数でファーウェイとサムスンが世界1位、2位になるのを見ても分かるように、地道な基礎研究を予算をケチらず多くこなしたところだけが本当のイノベーションにも手が届くようになるのです。基礎を省いて一番おいしいところだけなんてうまい話はないのです。そして近年国際ニュースになる日本企業の話題と言えばデータ改ざんとお決まりのようです。(こうやって国の信用は下がっていくんですよね。)

311で日本の原発が事故をしたのを受けて、ドイツではすぐに脱原発に舵を切りました。今ではヨーロッパの再エネトップランナーの国の1つになっています。実は同じようにチェルノブイリ事故の後に即脱原発を決めた国がありました。イタリアです。ただ、ドイツのように即再エネへ舵を切れるような時代ではなく、他の既存の発電所を使ってやりくりし、足りない部分は隣国から買うようになります。それでもとにかく原発は止めるべきと判断したわけです。そのフランスではまだ原発を使っていたのでそれならやっぱり自前の原発を再稼働させた方がいいのじゃないかと考えたのが2011年当時のベルルスコーニ首相。ところがその再起動に向けての国民投票前に311が起きたので、投票結果もほぼ全面的な再起動反対でイタリアの原発は1986年に止まったまま、2021年現在は最後の施設の廃炉作業中です。

イタリア人は時として非常に賢明な判断をするのですが、これもその一例。さて、そんなイタリアはヨーロッパの中でもギリシャの次に破綻するのではないかと心配されていたように、決して優等生な国でもないし常に内政にも不安を抱える不安定な国でもあります。そんなヨーロパの経済面での問題児国よりもここ数年で一人当たりGDPが低くなった国があります。日本です。

おいらがイタリアに来た25年前には考えられなかったことですが、これが日本の現実。そして、ヨーロッパの問題児みたいに扱われるイタリアは、実はルネサンス以降の500年、こうしてのらりくらりとやっているのが現実で、なんだかんだで今の地位をずっと保っているのです。

かつて古代ローマ帝国時代に天下を取り、ルネサンス期は統一国家ですらなくそれぞれの都市国家がヨーロッパの新しい時代の牽引役を果たし、それからは繫栄する隣国を傍目に、ずっとのらりくらりしているのです。

おいらは日本もこののらりくらりすることを覚えればいいのではないかと思っているのです。

というのも、経済指標は一つの指標ですが、それが全てではないことを思い出して、他の国のことはいいから自分達の生活をどうするのか、どうしたらより幸せに暮らせる国になるのかを考えるように社会の仕組み自体をリセットする時期なのだと思うのです。

イタリアは世界一の経済大国ではないけれど、世界一美味しいものを食べている国だと世界中で思われています。世界遺産は世界でダントツに多く、街並みは美しく、文化面でも未だに世界有数のファッションの発信地として機能しています。世界中の空港内の免税店に並ぶブティックも、多分フランスと並んで一番出店ブランドの多い国です。なんかおかしな国でしょう。

日本は80年代に世界のトップランナーとして経済面、技術面で実質的に天下を取った時代を過ぎ、今後もうあんな時代は戻ってこないだろうけれど、それはそれとして、今現在をどのように快適に生活できる国にするか、いかに楽しく休暇が過ごせる国にするか、国の発展の先が見えたなら今後は個人の生活の質の向上を目指すような成熟した社会を作ることを目標にした方がいいと思うのです。イタリアとは全然違う国だけれど、今後ののらりくらりとした社会を作るヒントはイタリアに見付けることができるんじゃないのかと思っているのです。今の日本の経団連だの派遣会社だのがやってるビジネスモデルって、未だに人件費を抑えた薄利多売の後進国モデル。もう多売ができないんだからビジネスモデル自体が機能していないのです。

どうしてイタリアからヒントを得ればいいのにと思うかと言えば、日本も経済力や技術力でどこかに先を越されても、のらりくらりと楽しい生活を国民がしていけるだけの文化の厚みと歴史がある国だからね。しかも世界中で既に評価されている文化。ちなみにおいらがここで言う文化は浮世絵、着物、能、狂言、歌舞伎、映画、和食などです。個人的にはアニメやマンガはその内別の国に重心が移ることもあると思っているので。

311後の10年はかなり無駄に過ごしたけれど、今後の10年はガラッと方向転換して日本ならではの魅力が溢れるような国になるといいよね。

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しかし、長友選手と写真撮ったのってもう10年も前の話なんだなあとしみじみ思うある春の日。

Peace & Love

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