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中央銀行は万能ではない

今から35年前、東京丸の内にあった古川総合ビル内で働いていた。古河電気工業株式会社勤務ではなかった。そこにいくつか外資系金融機関がオフィスを借りていた時のことである。勤務先はスイス銀行コーポレーション(SBC)といってスイスの三大銀行のひとつだった。外資系でも職員に上下関係が残っており先輩のいうことは素直に聞かなければならない。

しばらくすると親切な先輩が外銀の在り方について面白いエピソードを話してくれた。スイス銀行の副支店長が秘書を呼び出してあることを依頼した。日本銀行職員と会いたいという。秘書はあわててメモをとりだしてその依頼内容を書いてアポをとろうとした。そして副支店長にたずねた。日本銀行へは何時にお出かけになりますか。タクシーは何時くらいに古川ビルの玄関につければいいですか。その副支店長の反応が面白かった。

なにをいっているんだ。わたしはこのオフィスにいる。彼らがわたしが指定する時間に訪ねてくるようにしたまえ。私はこのエピソードを忘れたことがない。

あるオンラインイベントでアメリカの中央銀行について話す機会がある。持続的な金融引き締めによりインフレ抑制に入っている。引き締める方法は金利を段階的に上げること。金利というのは連邦債の金利を指す。これは中央銀行の判断で引き上げることができる。金利の上昇は債券市場で連邦債の価格低下をまねく。いたしかたない。

そうすると連邦債を買い付けている中小の銀行の資産が目減りする。それを見た投資家が株式を売却する。株価が下がり、預金者がなにかしらやばいことが起きていると判断して預金を一斉に引き上げる。銀行はそれで事業ができなくなり破綻する。

預金者の資金を守るために中央銀行はまた借金をしてつまり連邦債を発行して銀行に貸し付けをする。つまりなにかしらの保険を与えるわけだ。これが慢性的に行われると金融が空回りするようになる。中央銀行はインフレ抑制と金融システム安定の板挟みになる。

このことから3つのことがいえる。ひとつはインフレ抑制は中央銀行だけではできない。次にいくつかの銀行破綻はやむを得ない。そして預金者の資金を守るにも限界がある。以上から中央銀行はその役割において万能ではないといえる。

まずどうしてインフレ抑制が中央銀行だけでできないのだろうか。確かに金利を上げて大きなインパクトを与えることはできる。その効果は債券市場ではある程度理論通りにいくであろう。しかし株式市場とマネーマーケットには間接的な影響しか与えられない。金融市場全体の影響力を直接コントロールすることはできない。しかもそれを連邦債という債権のひとつの金利だけでコントロールできるわけはない。

次にアメリカ財務省が中小の銀行への規制を強化する。例えば資金の最低保有額を上げてそうでないとビジネスやハウジングへのローンを規制するというものだ。しかしそうしてしまうと銀行側は一切リスクをとってローンを組むという事業展開ができず縮小されてしまう。ビジネスにならない。そして商業銀行というのはリスクを嫌いそれほど攻撃的にビジネスをしているわけでもなく使える金融商品も限られている。

そのような緩い規制の中で銀行は業務をしている。インフレに対しては弱い部分もある。預金者が怖がって一斉に引き上げてしまえば事業をするすべを失ってしまうというわけだ。このジレンマは財務省そして中央銀行のエコノミストでさえもなかなか打開できないであろう。いつまでも預金を守ることを確約できない。預金者にとっては預金を大手の商業銀行へ移した方が安全という道をとることになろう。

中央銀行は万全ではない。

わたしはまだバンカーとしてかけだしのころ日本銀行というのは銀行の中の銀行であってなにかしらの番人のような位置付けてあると理解していた。それはいまでも正しいであろう。ただなにか万能な権威のある銀行であるというのは誤解である。特別な銀行ではあるものの権威があって政策的に正しいことがいつでもできるわけではない。政策が失敗することもあろう。なにかしらのディレンマに陥ることは常であろう。

決して中央銀行を見下していいとはいっていない。しかしそうかといってえらいところにいて魔法の杖のようなものを持っているとも言い難い。35年前にスイス銀行の先輩が話してくれたエピソードというのは捉え方次第で変な誤解を生むかもしれない。しかしスイスの銀行員にとっては日本銀行の職員が副支店長のオフィスにくるようにと依頼したのはそれほど間違ってはいないともいえる。