三宅香帆「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」を読んでみた

発売(4月)から短期間で10万部以上を売り上げた、話題の新書。

「本を読む時間がなかなか取れない」という悩みは、多くの方が感じているであろうことなので、その辺りで「忙しい人のための読書法」的に受け取られて、読まれている感もある。

ただし、読めば分かるけど、本書は「そういう本」ではない。


結論から言うと、本書は「働いていても本が読める」社会をつくろう、という力強いメッセージの発信、明確な意志をもつ「プロバガンダ」本である点に魅力がある。

著者の分析は、まず近現代の「労働と読書の関係」の探求からスタートする。この時点ですでに、意志は明確だ。明治以降、労働者は読書を通じて、「自己啓発」をはかってきた。

特に「サラリーマン」と言われる、ホワイトカラー層の出現が日本の労働者の状態を大きく変える。サラリーマンとは、通勤時や余暇を「読書に時間を費やすことができる階層」の誕生という意味をもつことが明らかにされる。

読書どころではなかったアジア・太平洋戦争期を経て、戦後、労働者の生産性を高める方向で読書が広がっていく。

そしてなんといっても90年代、特に1995年に当時の日経連(現在の日本経団連)が「新時代の『日本的経営』」方針を打ち出したころから、急速に新自由主義的な思考が労働者を追い立てていくことになる。

https://maga9.jp/240529-1/

様々な変遷を経て、読書が労働者の生産性を高める「道具」となったこと、読書の目的が「労働力の価値を高める」ために必要な情報を得るためのものに変化していく、ということに着目した時点で、本書の言うべきことは明確になる。

興味深いのは、著者の視点が、カール・マルクスが「時間は人間の発達の場である」(『賃金、価格および利潤』)と論じたものと重なり合う点だ。

「ここでマルクスかよ」と思われるかもしれないが、労働を考えるうえで、マルクスに触れないほうがおかしいのだ(本書には出てこないが…)。

本書で「読書はノイズ」というキーワードが強調される。
「ノイズ」とは、読書を通じて得られる、多彩で多様な情報を指す。
それは必ずしも労働生産性を高めるものとは言えない。資本の論理で言えばむしろ、労働者を「牛馬のように」働かせるためには、不要な知識や知恵を与えてしまうものだ。

しかし、読書を通じて得るものは、他国の文化や、歴史の真相や物語、または人間の感情や思いを深く知る上で大切なもの――つまり、人生をより豊かに過ごし、自身を成長させ、人として「発達」させるために必要なもの。

当然、そのために必要なのは「本を読む時間」である。

「働いていても本が読める社会を」という本書の結論を、私は「読書を自らの人生のために取り戻そう」「読書こそ、たたかいである」という呼びかけと受け止めた。
「たたかえ、読書人」。それが私の感想だ。


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