辺見庸 断たれた死者は断たれたことばとして

わたしが通っていた小学校の、震災直後の写真を見ましたが、ことばを失いました。三階建ての校舎が全部焼けただれていて、校庭にはまだ死体があるのです。黒こげの車が何十台も校庭に山積みになっていて、窓から教室に突っこんだのもある。アブストラクトアート(抽象芸術)のようであり、地獄のようでもありました。車の中には焼けただれた人もいたのです。こんなことは報じられないでしょう。しかし、3月11日の現実は、まさに超現実だったのです。
被災地ではまた、燃料が足りず、死者を火葬できなかった。臭くなるので、身元確認もできていない死体を埋めてしまうわけです。埋めざるをえない。手、耳、片足だけの部位を埋める。死者は陸だけではありません。どれだけの人間がいま、海底で暮らしているのか。

断たれた死者は断たれたことばとして
ちらばり ゆらゆら泳いだ
首も手も 舫(もや)いあうことなく
てんでにただよって
ことばではなくただ藻としてよりそい
槐(えんじゅ)の葉叢のように
ことばなき部位たちが海の底にしげった
(「水のなかから水のなかへ 『眼の海』から)

これが真景なのです。こうした現実は報道されません。ですから、報じられたものは偽造なのだと。なぜマスメディアは死を隠すのか。地獄や奈落と向き合わないのか。それは、死に対する敬意がないからだと思うのです。「死者・行方不明者2万人」と報じる。いまだに石巻市だけで行方不明者六百数十人、身元不明者が確か百数十人います。2万人の死体を脳裡に並べてみよ、と言いたい。

さきほど、広島のことを述べましたが、現代史の大量殺戮はもっとあるわけです。一番嫌なのは、数値をならべて説明し、わかったような顔をしている連中です。その数値をリアリティの間にある真空地帯、そこを言葉で埋める作業を彼らは拒否し、放棄しているのです。広島型原爆百六十個分のセシウム137をまきちらした、放出したということがどういうことなのか。その意味を言葉で立ち上げることができないだけではなく、その意欲もない。

・・・詩篇は「リトマス試験紙」ということですね。直視するか、しないか、があらわになる。

実は、大震災の以前から、大きなパラダイム(枠組み)の変化はすでにあったのです。震災がそれを暴いてくれた。この国のマスコミ、文芸、市民運動を含めて、戦後しばらくは、状況に対する否定的な思惟というものがありましたが、80年代ごろから現状を倦まずに批判し疑っていくという理念の芽を打ち消してきたのです。やがて疑問を持つこと自体を封じ、肯定的な思惟を強いるようになってきた。今回の出来事はそのことを明らかにしました。

たとえば、大正期の関東大震災、3・10の東京大震災、広島・長崎への原爆、そのときの言葉と比べると、今回の出来事に関わる言葉はずいぶん貧相で、ファッショ的であることに気づきます。関東大震災のあとに出た川端康成の短編小説「空に動く灯火」はじつに見事な作品ですが、今だったら謝罪会見をさせられるような内容ですよ。折口信夫の詩もそう。折口は「あゝ愉快と 言ってのけようか。/一擧になくなっちまった。」と書いている。言語空間はいまのほうが明らかに閉じられているのです。

関東大震災では戒厳令が敷かれ、それ自体法的にもデタラメな戒厳令ではあったのだけれど、いまはどうでしょう。自分たちで、「心の戒厳令」を強いてくれている。使用言語を限定するとか、テレビCMをやめるとか。国家権力が強制したわけでもないのに、みんな整然としたからファシズムをやっている。

・・・まさに草の根ファシズムですね。

そうですね。「おのずからのファシズム」です。それに対する言い知れぬ薄気味悪さ、耐えがたさ。そうしたものが『眼の海』を執筆しているとき、心の底に流れていましたね。(中略)

・・・「犯意」というのはそうしたものに向けられたわけですね。それを受容するか拒否するか。

読み手の自由でしょう。ただ、詩は時に権力や世間への言語の犯罪であっていいのだと思います。「震災詩」といわれるものは世情におもねます。韻律のどこかが戦争協力詩に似たのもある。そちらのほうが本当の犯罪だと思う。われわれは戦争協力詩人、戦争協力記者の末裔であるという出自を忘れがちです。そんなDNAがいま、ますますはっきりしてきている気がします。

もうひとつ、困りものは、「P・C」です。ポリティカル・コレクトネス。「政治的に正しい」とされる用語や表現のことです。われわれは差別用語を使いません、女性蔑視をしません、下品な用語を用いません。たとえば、チェアマン(議長)をチェアパーソンにするとか。

メディアでもリスク管理を常にしていて差別的な用語を使わないようにするけれど、差別に対して根底から体を張って反対しているわけではない。言葉の表面は差別用語がなくても、社会はますます差別的になっている。P・Cが今風ファシズムを支えています。『週刊金曜日』や市民運動を含む、そうしたP・Cという感覚のもつ思考の危うさ、オポチュニズム(「ご都合主義」)の大きな裾野が広がっています。

NHKが巨額のお金を投じて制作した「坂の上の雲」には開いた口が塞がりません。日露戦争における日本人の勇ましいこと、美しいこと、満州・朝鮮の支配をめぐって戦われたじつに悲惨な戦争なのに、本質が隠され、民族昂揚があおられている。被災地でも「坂の上の雲」が人気だといいます。

ファシズムは何年何月何日あの場所から始まったというものではないのです。イタリアにおいてもドイツにおいてもね。何年も時間をかけ、いろんな言葉の積み重ね、つらなりで立ち上がってくるのです。

どちらかと言えばファシズムは気持ちがよいもの、やさしいものなのです。ファシズムが最も嫌うのは、たとえば、整然としないもの、不謹慎な語り口、まつろわぬものと言葉そして劣情です。ファシズムとは人の劣情の最もたるものなのに、P・C同様に劣情を排除しようとする。この国はとうの昔からファシズムをやっていて、3月11日以降より一層ファシズムになったと私は思います。

いくつもの過去を殺してきた
オポテュニストたちの声
フサオマキザル群によく似た
悲しいシュプレヒコールよ
(オポテュニストたちの声門音『眼の海』から)

・・・現実を覆い隠そうとする者、美化しようとする者への怒りですね。欺瞞によって支えられ、自分の足場が崩れることを恐れるものもの。

いや、足場なんて立派なものではないですよ。サリン事件から16年を経てオウム裁判が終結しましたが、これは比喩でもなんでもなく、この裁判に勝ったのは麻原です。司法もマスメディアもオウム裁判では本質的に負けたのです。麻原の精神が裁判に耐えうるものか、「佯狂」か、といった基本的事実さえ解明できなかったのですから。仮に裁判に耐える精神だったにせよ、司法の言葉は彼には届かなかったし、ついに彼に事件について語らせることができなかった。この社会の言葉は彼の内面を少しも突き動かすことができなかったのです。というより、この社会は麻原の内面をほんとうは知りたがっていなかった。一日も早く死刑にしたいだけなのではないでしょうか。

メディアを含めて、審理をつくすべき、百年かけてもオウムの謎を解明しなければならないという意欲は当初から希薄だった。なぜかといえば、オウムを突き詰めてゆくと、そこにわれわれ自身の似姿を見るからです。勝ったのは麻原です。個として判断せず、疑問を持たずに集団化していくという構図は生きている。そうしたオウム的なるものが、われわれのなかに生きているのです。である限り、オウム的カルトとテロは今後もありうると予感します。

問題は国家権力だけではありません。われわれなのです。大震災発生のあと、国家はだれが演出していたのでしょう。ある日突然みんながわざとらしく作業服みたいなものを着出すとか、被災地を天皇や皇太子が見舞うようにするとか、テレビやラジオがCMを自粛し、地域共同体は祭りを取りやめたりね。ああいうことを演出しているのは実は国家権力だけではないのです。国家権力に強制されたわけでもないのに、自分たちでやってしまう。頼まれもしないのにペン部隊をやってしまう。女性の皇位継承に関して、それが日本の国家のありようにかかわる大きな問題だなんて新聞が平気で書く。国家のありように何故皇位継承が関係あるのか。

もう一度言いますが、われわれは戦争協力記者や戦争協力詩人や戦争協力作家、戦争協力農民や戦争協力クリスチャンたちの末裔だということです。例外はないのです。自分の父母、祖父母が違うなどということはありえない。その歴史と血を負うたわれわれがいま、個としてどのように振る舞うのか、なにを表現するのかということです。

2011年3月11日は終わりではなく、始まりだと私は予感しています。ほんとうの破局はこれからやって来るのだと思います。毛沢東なんか私は信じませんが、いくつか面白いことをいっています。たとえば「革命とは飯を食う問題だ」とか。あれこれ理屈をならべるより、飯が食えなくなれば人民大衆は騒ぎ出すというリアリズムです。米国や欧州ではすでに反貧困=反資本主義のうねりが起きています。数年前なら予想もしえなかった運動がいまはある。飯を食う問題が深刻になってきているからです。欧州の信用危機はさらに拡大するでしょう。

反貧困の運動は早晩、日本でも大きくなるでしょう。飯を食う問題は大震災以降いよいよ大変な事態になっていますから、ただ、反貧困のうねりが、古典的イメージの階級闘争として組織化されていくかどうかはわからない。わたしはとても悲観的です。さしあたり言えるのは、この社会には魅力的な政党も階級闘争をみちびく思想も絶無に等しいということです。とすれば、階級矛盾はかぎりなく増大するけれども階級闘争としては発展することはなく、発作的、痙攣的な暴力として矛盾が爆発する公算のほうが大きいのではないでしょうか。

毎年3万人以上の自殺者、なんらかの精神疾患を持つ人は一説に800万人ともいわれ、増えつづける一方の失業者、貧者たち、震災・原発メルトダウンは「棄民」に拍車をかけています。これがこの国の実相です。そして言葉の空洞化はとどまるところがありません。『眼の海』はそれらを前提に書かれたのです。とっくの昔に石原吉郎が言っているけど、「ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体である私たちを見はなすのです」という事態が現在なのだと思います。

石原は「いまは、人間の声はどこへもとどかない時代です。自分の声はどこへもとどかないのに、ひとの声ばかりきこえる時代です。日本がもっとも暗黒な時代にあってさえ、ひとすじの声は、厳として一人にとどいたと私は思っています。いまはどうか。とどくまえに、はやくも拡散している。民主主義はおそらく私たちのことばを無限に拡散して行くだろうと思います」(「失語と沈黙のあいだ」)と書きました。

わたしは長い間、この言葉を意識してきました。『眼の海』を書いているときもずっと意識していました、「自分のこえはどこへもとどかないのに、ひとの声ばかり聞こえる時代」とは、市民運動をも巻き込む新しい形のファシズムなのではないか。そんなふうに思っています。『眼の海』はファシズムのいまに、私という個が、よるべない他の個にとどける「ひとすじの声」なのです。『眼の海』はもはや狂気を隠してはいません。なぜなら狂気もわたしたちの実像だからです。


辺見庸 「死と滅亡のパンセ」

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