吉本隆明 おもうに宮沢賢治は

おもうに宮沢賢治は、いちどもよく遊び、ほかの子供たちと悪戯をやっては、侵犯するこころを父母に叱られたり、きれいな女性に胸をときめかして恋愛し、やがて結婚して、楽しい生活をしようという発想をとったことはなく、開放されないこころの殻をやぶらないままに、宗教的な歓喜、有頂天、恍惚のところまで登りつめてしまった。
いやチフスで入院したときに看護婦さんに胸をときめかして一緒になりたいといったとか、父母が結婚の相手に擬した女性がいたとかエピソードもある。しかし思春期の手紙をたどるかぎり、その種の挿話はさほど意味をもちえない気がする。
世間知が足りない、経験からみちびいた叡智がない。欲望のデカダンスを知らなさすぎる。
何でも言えそうだが、何となく快楽とか楽しさとかの感性が足りない気がする。リビドーが噴出してゆく導管がない。生真面目な優等生の子どもが、やがて人並みの生活に目覚めてゆく過程をたどる以前に、とても早急にまた深く、信仰にとらえられてしまった。
資質的に、ふつうの快楽とか愉悦とかが不可能だったというべきなのかわからない。ただ漢語の読みくだしの法華経からはいくつか重複していた気がする。
日蓮の「滝ノ口御法難六百五十年の夜」に、おそろしさや耻かしさにふるえながらも、歓喜の題目をとなえて花巻町を叫んであるいたとき、ほんらいならばリビドーが解放されるような歓喜であるべきものが、信仰という対象にむかって固着される。まるで解放の方向と質がふつうとちがっている。
そんなことを言っても仕方がない。ただこれが宮沢賢治の信仰が人びとに、錯合(コンプレックス)ではなく重力の感じをあたえる理由だとおもえる。

吉本隆明「宮沢賢治」

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