夏目漱石「それから」 真鍮を真鍮で通して

三四年前(ぜん)の自分になって、今の自分を批判してみれば、自分は、堕落しているかも知れない。けれども今の自分から三四年前の自分を回顧してみると、慥(たし)かに、自己の道念を誇張して、得意に使い回していた。鍍金(めっき)を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。と今は考えている。

代助が真鍮を以て甘んずる様になったのは、不意に大きな狂瀾に捲き込まれて、驚きのあまり心機一転の結果を来たしたというような、小説じみた歴史を有(も)っている為ではない。全く彼自身に特有な思索と観察の力によって、次第々々に鍍金を自分で剥がしてきたに過ぎない。代助はこの鍍金の大半をもって、親爺が捺摺り付けたものと信じている。その自分は親爺が金に見えた。多くの先輩が金に見えた。相当の教育を受けたものは、みな金に見えた。だから自分の鍍金が辛かった。早く金になりたいと焦ってみた。ところが、他の者の地金へ、自分の眼光がじかに打(ぶ)つかる様になって以後は、それが急に馬鹿な尽力の様に思われ出した。

代助は同時にこう考えた。自分が三四年の間に、これまで変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化しているだろう。昔しの自分なら、なるべく平岡によく思われたい心から、こんな場合には兄と喧嘩をしても、父と口論をしても、平岡のために計ったろう、またその計った通りを平岡の所へ来て事々しく吹聴したろうが、それを予期するのは、やっぱり昔の平岡で、今の彼はさ程に友達を重くは見ていまい。

それで肝心の話は一二言で已めて、あとは色々な雑談に時を過ごすうちに酒が出た。三千代が徳利の尻をもって御酌をした。


夏目漱石 「それから」

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