「太宰治はほんとうは死にたくなかったのだろうか?」#日記


大丈夫、今日はシラフです。

週末に邦画の「人間失格」を見て、出だしの海のシーンで「死ぬかと思った」と小栗旬(敬称略)が言い放って、ははあ、これはやはり、予想通りにコメディとして見るべき映画なんだと感じた。

小栗旬演じる太宰は、深刻さをほとんど出さない。小栗の演技自体が、深刻にならない軽い感じなので、監督の蜷川実花は小栗を主演に据えたのだろう。

対する太宰の愛した三人の女性は、各々の個性をいかんなく発揮する名女優ばかりだ。女性はしたたかで、深い愛情でもって、浅はかな(に見える)太宰を包む。宮沢りえと二階堂ふみのどっちが良いかといえば、どっちもです。

太宰は可愛い。海へ心中して「やっべ、死ぬかと思った」と一人で生還する。『斜陽』のもとになった女性、太田静子に会いに伊豆まで行ったときも、「日記、どこ?」と、静子のことよりも日記が(静子の文才が)気になってしょうがない。当然、静子にバレるけど、バレながらも言い訳をしてなんとか日記を手に入れて、大ベストセラーになったあとで訴えられるところとか、もう情けなくて可愛い。

世が世なら、太宰はyoutuberになって、自分の生活を面白おかしく披露してたのかもしれない。

真面目な三島由紀夫になじられるシーンも(三島由紀夫もなんだかんだと太宰が好きなんだろうな。最期は同じだし。似た者同士だったのかも)、坂口安吾と泥酔しながら笑い合うシーンも、好きだ。安吾とはキャラが違うから、互いに友達でいられたのかも。

太宰が亡くなったあとで、安吾は「あれは死ぬつもりはなかった。サッちゃんのほうが死ぬ気満々で太宰を連れていった」と書いてて、映画のラストもそういう流れだし、もしかしたら太宰は死ぬ気はなかったのかもしれない。

死ぬ気はなかったけれど、自分が作り出した物語が、フィクションが、現実を塗り替えていって、巨大な濁流となって運命を飲み込んでいった。

『人間失格』を書くシーンだけは、命を削る演技でよかったです。


***

上記は映画の話であって、実際の太宰がどうだったかはもちろんわからない。残されたものを読むだけでは、本当のところはわからない。

わからないけれど、太宰が残しがフィクションーー小説は面白いし、100年、200年経っても読まれる作品というのは、やはり「傑作」だ。(僕も僕なりの傑作が書きたい(恐れ多いから小声で))



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?