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教科書から小説文が消える!?

文科省が、高校の教科書から「小説文をなくす」という方針を打ち出した。実用文が読めない日本人が多いので、実用文に力を入れていくという。ところが、広島の「第一学習社」が、小説文をのせた教科書を作った。各高校から第一学習者に注文が殺到している。現場の先生たちは私と同じ危機感を抱いたのだと思う。他の教科書会社は「どうして文科省の指針に従ったのに損をするのか」と不満いっぱいだという。


私が初めにこれを聞いた時に違和感を感じたのは、実用文ならAIでかけるじゃないかという事だ。書式を決め、あらかじめ用意された何通りもの文章を組み合わせ、容易に作れるではないかという事だ。実際、今はブルーカラーが仕事をAIにうばわれると騒いでいるが、ホワイトカラーの仕事もAIにうばわれて行っている。例えば銀行業務・株の取引き・社員の査定・医療、数え上げればきりがない。

これだけAIが生活に浸透してくると、必ずAIと人間の間に摩擦が生じることになる。なぜなら、人間は自然の一部であり、AIは人間が造ったものだからである。
例えば、人類の文明は、自然を服従させることで、発展してきた。都市部の衛星写真を見てほしい。どこまでも自然を切り開き、限りなく増殖を続け、とどまるところを知らない。これは、がん細胞の増殖に似ている。まわりの健康な細胞を破壊し、環境を破壊し、ついには患者を死に至らしめる。

現代の地球が抱えている問題も同じである。現代人があまりにも効率を考えすぎ、地球全体のバランスから見てどうかという視点が欠けていたために、地球は、人の住めない惑星になるとも言われている。

こう考えたときに、教育も同じなのである。ゆとり教育で「道徳」「倫理」を30年に渡って勉強しなかった世代ができた。これは、現在の日本で起きている様々な問題と、関係がないだろうか。「親の子に対する虐待」「DV」
「いじめ」「自殺」「望まれない妊娠」「差別」等々。

国語の「小説文」は、子供達の情操を養い、他人の痛みを分かち合い、「愛」「おもいやり」「人を信じたい気持ち」を思い出させてくれるきっかけとなる教材ではないのか。

効率、サイコパス、富裕層、貧困層、など嫌な言葉が飛び交う世の中だが、持続可能な社会を築きたいなら、未来の子供たちに出来る事は、人間とは何なのかを教えることではないか。それをきちんと踏まえた上でないと、AIとの共存は計れないと思う。

つまり、肉体を機械に改造したり、脳の情報をチップスにインストールして、人間を生かす方法を模索している研究者が多くいる。人間も自然の一部なのである。人間が自然を思うままに改造した今の結果を見ると良い。地球は滅びつつあり、ほとんど衰退しているのである。

だから、生徒さん達には、色々なことを勉強し、一番大切なものが何かを自分の頭で考え、行動できる人になって欲しい。勉強は現実に生かされなければ、何の役にも立たない。終身雇用制が崩れている今、これから、あなたたちは、嫌というほどそれを知ることになるだろう。


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