見出し画像

沖縄移住3周年

3年前の2020年3月26日。
沖縄へ移住しました。

その年に中学生になった子は、
今年、中学を卒業していった。

新型コロナとともにあった3年間だった。

なんでもっと遊ばなかったんだろう。そう思ったけれど、遊ばなかったのではなくて、遊べなかっただけ。

離島に行きたいな、と思っても、離島に住む人たちに迷惑をかけられないな、と思って控えたり。セルフロックダウンなんて言葉もあったっけ。

マスクを外して外出できる。
それが普通なのに、いま、新鮮な気分だ。

移住1〜2年目は、仕事を3つ掛け持ちしていた。心理士の仕事を避けて、リハビリのつもりで沖縄に移住したはずなのに、出稼ぎに来たみたいだと自分でも呆れた。

沖縄にいつまでいるか分からない。

そう思うと、繋がった縁を大切にしたい。沖縄にいるうちに、何でも経験したい。そう思っていたら、文字通り昼も夜も休日も働くことになって、毎週日曜日だけお休みの状態が続いた。慣れない環境、新しい仕事、新しい出逢い。毎日疲れ果てて、床で寝ていた。ワンルームを借りているのに、部屋に辿り着けず、いつも玄関の床で寝ていた。もし、あの時期、誰か訪ねてきて、床で寝ている私を見つけた人は、事件現場かと思ったかもしれない笑。

沖縄に来て、今日で2年。
2年前の今日、沖縄へ引っ越してきました。

2年の間にできることを、する。

その思いから、どこか焦りもあって、いろんなことを、ぎゅうぎゅうに詰め込んだ2年間でもありました。1年目から、縁があれば、どこでも行ったし、声がかかれば、働いた。縁を大切にしたかった。だけど、ヘロヘロすぎてお断りした仕事もあった。縁がつながり、3つの仕事をすることになった時は、「あれ、私、出稼ぎに来たんだっけ?」と思ったこともあったけど。

沖縄1年目の慣れない環境のなか、新しいこと尽くめの日々。地名も分からないし、道も分からないし、知ってるひともいないし、仕事で必要な知識や経験も不足していて、なにもかも分からないから、すべて吸収しようと必死だった。知識不足や力不足を感じることも多かったし、なにより体力不足を認めざるを得なかった。

2022年3月26日の日記より。

沖縄の暖かさのおかげで、床で寝ても、風邪を引くことも、新型コロナになることもなく、朝は床で目覚め、カチカチに固まった体をゆっくりと動かし、痛てててと呟きながら、シャワーを浴び、充血した目のまま、また出勤していた。

沖縄の日差しは、白くて強い。だから、毎日充血しているんだと思っていたけれど、あれ、疲労だよね。今思えば。おつかれさまです。

沖縄に移住して、1年目の健康診断で、腎臓の数値が引っかかる。それまで、なんの異常もなかったのに。一人暮らしを始めて、インスタント食品を食べ続けたり、食生活の乱れが影響していたと思う。2年目の健康診断では、腎臓の再検査を受ける必要が出てしまった。食生活を変えなければ。

食生活は、もちろん乱れていたんだけど。

疲労だよ。働き過ぎていた。

私は小心者なのに、変に真面目で、いつも気を張っていて、緊張していた。常に心が休まらなかった。常に、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、あれもできていない、人にどう思われただろう、と肉体疲労だけでなく、思考が忙しかった。小心者だからこそ、自分の超自我が厳しい。

私を止める為に、体調不良は起きる。

もうへろへろのへとへとだった。3つのうち、2つの仕事は、沖縄移住2年目で終了。大変お世話になりました。

沖縄移住3年目の仕事は、ひとつだけ。

これで、集中して、仕事ができる。

そう思ったけれど、うまくいかないことが続いた。自分にできることをした。少しでも状況が改善するように働きかけた。それでも、ひとりでできることには限界がある。身体的にも精神的にも不調が出る。床で寝るのをやめて、布団で寝ているのに。動けなかったり、眠れなかったり、いろいろ出る。腎臓の数値も優れない。なんでだろうね。そういうときは、もう、ここにいるべきではないよ、というお知らせなのかもしれないね。

仕事の内容は、好きだったのにな。それさえも、もう嫌だと思うようになっていくのが、悲しかった。沖縄にいることが、とても退屈だと思った。茨城に帰省した時、沖縄に帰りたくなかった。那覇空港に到着した時の、あの絶望感。あんな気持ちになるなんて、思いもしなかった。

もう無理だと思った時、私のことを気にかけてくれたYさん。私の事を気にかけてくれる人がいる。分かってもらいにくい現状を、同じ境遇だからこそ理解しあえる人がいることの救い。本当に助けられました。ありがとうございます。

他にもたくさんの友だちや先輩が、私のまとまらない混乱と辛さを聞いてくれた。救われました。みんな、似たような経験をしていたりして、分かってもらえた時のあのホッとする感覚は、忘れてはいけない。聴いてくれる人がいることの貴重さも、忘れてはいけない。

どの経験も大変だったけれど、その分、貴重な経験をさせていただきました。しなくていい経験もあったかもしれないけれど、それでも、どの経験も自分の糧になっている。縁を繋いでくださった皆さま、本当にありがとうございます。嫌味じゃなくて、本当に感謝しています。

実際に経験したからこそ、知ることができた沖縄の暮らし。沖縄の現状がある。旅行に来たり、見学しただけでは、見えてこないことがある。それは、移住を選んだからこそ、得られた経験だ。

それと。前の私だったら、きっちりやらなければ、自分を許せなかったようなことも、まあ、仕方ないよね。そういうこともあるよね。と諦められるようになったのも、沖縄移住のおかげかもしれない。もちろん、やるべきことは、やった。それは、自分への誠実さだし、最後までやり遂げた自分を誇らしく思う。それが、自信にもなっている。

新型コロナの影響で、制限されたり、自粛したこともあったけれど、そのおかげで、やってみたこともある。

オンラインツールを使って、茨城や沖縄、日本各地の友だちとオンラインイベントをしたり、おしゃべりをしたりもした。離れた土地の友だちが、オンライン上で知り合い、つながる。それが、とても嬉しいなと思った。

友だちや家族とオンラインでつながると、ここが沖縄なのか茨城なのか、分からなくなって、どこに住んでも同じなのかもしれないなと思ったりもした。

辛い時、私に必要だったのは、友だちや家族とのつながりだった。ありきたりだけど、それが私にとって一番大切なものだと実感できたことが、沖縄移住で得た教訓かもしれない。

どこに住むかは、大事。

だけど、

誰と一緒にいるかは、もっと大事。

そう思うと、茨城に帰ろうかな。

だけど。

まだ、沖縄にいたい。

その気持ちもある。

仕事もなくなっちゃったし。
なにがしたいかも分からないし。

ただ、沖縄にいたい。

その気持ちだけで、ずるずると過ごしています。

沖縄移住4年目。
40代、無職。

私にとって、沖縄移住とはなんだったのか。
まだ、答えを出したくない。

まだ体験していない沖縄を、見に行こう。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?