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今こそ、「人と会うこと」と「書く」ことが大事

今日のおすすめの一冊は、『なぜ、学ぶ習慣のある人は強いのか?』(日本経済新聞出版)の中から石山恒貴氏の文章です。その中から「越境学習」という題でブログを書きました。

本書の中に経営学者の野中郁次郎氏の「外に出て対話を重ねよう」という文章がありました。

《外に出て対話を重ねよう。他者に共感するほと、人は成長するのです。》(リモートワークだけでは企業のイノベーションは活動は劣化する)私が提唱する知識創造理論のベースにあるのは、人は他者との関係性の中で人になる、つまり成長するという考え方です。
新しい意味や価値は、人々の「いま・ここ・わたしだけ」という身体性をともなうアナログな感覚やクオリアからしか生まれてきません。その一人称的な感覚を、誰もが共有できる客観的な形式知に転換するためには、二人称の共感関係が媒介しなければなりません。
つまり、異なる主観を持つ者同士が互いの「暗黙知」に共感し合い、「われわれの主観」ともいうべき相互主観性を育むことが、高い付加価値を生み出す創造的活動の起点になるのです。
相互主観性を育むための一番の方法は、物理的な距離を縮め、同じ体験を共有することです。しかし、コロナ禍によってリモートワークが定着しつつある世の中の流れは残念ながらそれに逆行しています。結果的に企業の知識創造の原点をなす動きが阻害されて、あたらしい価値を創出するイノベーション活動が劣化するのではないかと私は危惧しています。同じことは個人の学びにも言えるでしょう。
いかにして自分以外の誰かと「いま・ここ」を対面で共有し、安易な妥協や忖度を超えて素直な対話を重ねる「知的コンバット」を実践するか、それこそが、本来の学びの形ですからね。
だからこそ、どんどん外に出て、様々な人と出会うことが学びに向かう姿勢としてはもっとも重要なのだと私は思います。コロナ禍においても、対面の機会はできるだけ確保していただきたいというのが正直なところです。
また、知識創造を促進する方法として勧めたいのは、「書く」という行為を徹底的に突き詰めていくことです。「書く」ことは究極の知的活動であり、そこに本気で向き合えば、単に事実を記したりするだけでなく、自身の奥底にある暗黙知を形式知化させることにつながります。
「書くという行為を徹底的に突き詰める」とは、徹底的に過去を振り返ることです。つまり、それは自分自身を深く反省しながら、ありとあらゆる知、それこそ身体記憶も経験値も、想像力も、総動員して、本質を考え抜く作業なのです。その作業に真摯に向き合っていると、勝手に筆が動くようになり、新しいアイデアがわーっと出てくる可能性も高いと思います。

立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏は、人生において必要なのは「人・本・旅」だといいます。「人と会うこと」、「本を読むこと」、そして「どこかへ出かけていくこと」、の三つが大切だというのです。

この三つは、知的好奇心を満たすために最も必要なことだとも言えます。好奇心がなくなったとき人は老いるといいます。新しいモノやコトに関する興味・関心や、もっと知りたいという欲求が知的好奇心です。好奇心がある人は、「面白そう」「わくわくする」「何か気になる」「興味がある」「楽しそう」といういう気持ちを持っています。

また、書くことはアウトプットです。いくら好奇心があったところで、それをアウトプットしなければ、自分だけの個人的な楽しみで終わってしまいます。つまり、広がりがありません。同様に人と会うこともアウトプットすることです。人と話していれば、必ず自分のことも話すからです。

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