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今、やる羽目になったことを一所懸命やる

今日のおすすめの一冊は、小林正観さんの『啼かなくていいホトトギス』(中経出版)です。その中から『「優勝劣敗」のはなし』という題でブログを書きました。

本書の中に『今、やる羽目になったことを一所懸命やる』という心に響く文章がありました。

「本当の自分」を探して、20年あるいは30年たったという人がいます。「本当の自分探しをして20年もたつんだけれども、なかなか本当の自分に出会えません。どのようにしたら本当の自分に出会えるのでしょうか」と聞いてくる人がいます。 

「本当の自分」を探しているというのは、今、自分がやらされていること、やる羽目になっている仕事が、「本当の自分」ではないと思っていることを意味しています。「もっとちゃんとした仕事が、もっと社会的に多くの人がすごいと言ってくれるような仕事が待っているはずだ。自分にはそのような役割があるはずだ」と思っている人が多いようです。 

私の考えはいつも一緒です。 今やらされていること、今やる羽目になっていることが本当の自分です。 主婦をずうっとやっている。 しかし、もっとほかに何か自分にすべきことがあるのではないか。 

あちこちの国へ出かけていって、食事もできない子どもたちを救ってあげたり、水の少ない砂漠で水を供給したり、というような仕事が待っているのではないか。私にはそういうような仕事が回ってくるのではないか、と思っている人が多いように思います。 

たとえば、主婦を20年やり続けている。それがたぶん、本当の自分なのです。 今やらされていることが本当の自分です。 特に変わったこと、特に社会的にすごいことをやったから本当の自分なのだ、ということはないでしょう。

今、やらされている、やる羽目になっていることが、本当の自分なのだと思います。 本当の自分探しというものをしていることで、今の仕事が、今やるべきことが、おろそかになっているかもしれません。 

おろそかになっていることで、まわりの人は、あなたの本当に持っている能力を認めたがらないのです。 今やっていることを投げやりに、反抗的に、とげとげしくやっていれば、それ以上の仕事を頼もうという気にはたぶんならないでしょう。 

もう40年も前の話、私が二十歳のころに、旅先でよくこんな質問を受けました。旅をしている20代のOLさんが多かったのですが、そのOLさんたちがこんな質問をするのです。

 「コピー取りとお茶くみしか私には仕事がありません。 4年制の大学を出たにもかかわらず、コピー取りとお茶くみしかやることがありません。そのために大学を出たわけではないので、毎日がむなしくて嫌々仕事をしています。本当の私、本当の私の仕事に出会うためには、どのようにしたらいいでしょう。取りあえずは今の会社を辞めたいのですが」 というような質問でした。 

私の答えはいつも一緒です。 「私がもしあなたの上司であるならば、コピー取りとお茶くみを嫌々やっている人に、それ以上の難しい仕事を頼むことはないと思います。 コピー取りとお茶くみさえもちゃんとできないのであれば、それ以上に何かの企画を頼んだり、何かの商談をまとめてくれと責任を持って委ねたりということにはならないのではないでしょうか」 

やる羽目になったことは嫌がらずにやる。 これが宇宙の法則です。 この宇宙の法則を味方につけないかぎり、たぶん楽しい人生が回ってくるこ とはないでしょう。

人は、生まれてくるときに自分のストーリーや脚本を決めてくるといいます。もしそうだとするなら、「嫌な仕事」も、「やる羽目になったこと」も、「事故や病気も」もすべて、自分でそれをやることを決めてきたということになります。

だから正確にいうと「やる羽目になったこと」ではなくて、「やろうと思ってきたこと」だということです。だとすると、それに文句を言ったり、嘆いたりするのはおかしいことになります。だって、自分が決めたことですから。

すべてのことは、自分が生まれる前から計画してきたこと。何かの意味があって、今のタイミングで、この場所で、計画したこと、なのだと言えます。

「今、やる羽目になったことを一所懸命やる」

目の前に起こる一見すると理不尽で不思議な現象を、「ああ、そうなりましたか」と言って、淡々と受け入れる人でありたいと思います。

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