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志村くんからもらったつぼみの花束~志村正彦、音楽文、自分と向き合い続けて生まれた白い花物語~

※2020年2月13日に掲載された音楽文です。いろいろ訂正したい箇所はあるにせよ、あえてそのまま転載します。

昨年12月上旬、スーパーで買い物をしている時、何気なく目に留まった白い花。花びらに光沢感があり、しっとりした質感で、控えめな白色なのに、可憐で上品で存在感があって美しい。思わず購入してしまった。長く楽しめるようにつぼみが多いものを選んだ。ラナンキュラスという花らしい。さっそく部屋に飾った。その花を眺めながら、1通のメールを綴っていた。

志村正彦が亡くなって10年という節目の年で、テレビとラジオで特番が放送されるらしい。志村くんの故郷である山梨県の放送局がメッセージを募集していた。音楽文を書くノリで、450字程度のメールを書いて送信した。それを綴っている時にふと思いついたのが、12月24日に掲載された志村くん宛ての手紙調の音楽文だ。メールを書いている最中にあの音楽文を書きたくなった。つまり番組宛てにメッセージを書こうとしなければ、あの音楽文は存在しなかったと思う。だからあの日、メールを送ろうと思いついて良かったと思っている。

全国放送ではなかったため、ラジオ番組はネット配信で後日聞いた。自分の送ったメッセージが読まれることはなかった。しかしそのラジオ番組を聞いたおかげで、志村くんのことをさらに深く知ることができて、自分にとって何かが変わり始めるきっかけとなった放送だった。
テレビ番組の方も当初は山梨県内だけの放送だったが、全国からの反響を受けて、今年1月24日にBSで再放送された。当時、私はそれを心待ちにしていた。

そんな矢先、私のメールを読んだと放送局からメールが届いた。もう少し詳しくお話を聞かせてくださいと。志村くんに関してなら、音楽文というサイトに自分の思いを綴っていますので、読んでくださいと自分が書いた音楽文を提示した。そして年が明けると、音楽文を読みました、会ってお話を伺いたいですという連絡をいただいた。とりあえず話だけならと思い、会ってみることにした。

ラナンキュラスは購入してから1ヶ月も経つというのに、まだ咲いていた。やはりつぼみが多いものを買って正解だった。何だかこの白い花が魔法の花に思えてきて、信じられない展開になりつつあった当時、どうか良い方へ導いてくださいとお願いするようにもなっていた。

実際に会って詳しい話を聞くと、フジファブリックの曲に対するコメントを求められるだけでなく、私自身を取材したいというものだった。私はてっきり志村くんの音楽について感じていることを話せばいいのだろうと思っていたため、すぐには引き受ける気持ちにはなれなかった。しかもこれから新たに制作する番組は最初から全国放送だという。私は自分が晒されるとしても、知らない場所だけで放送されるならまぁ仕方ないかなと割り切れたものの、全国となると身近な人、音楽文を読んでくれている人たちにも身バレしてしまうと考えて、躊躇してしまった。正直、私は自分の言葉だけを番組内で取り上げてもらえるなら、いくらでもコメントを寄せますという気持ちでいた。言葉や文章だけなら、他者に見せても大丈夫だろうと。それが自分の容姿や本名や生活を公開するとなると、悩まざるを得なかった。常々、音楽文に自虐ネタを書いているように、できることなら容姿は見せたくないし、正体を隠し通したまま、音楽文を書き続けたいと思っていたから。もしも私の容姿や生活ぶりを見て、幻滅されて音楽文を誰にも読んでもらえなくなったらどうしようとか、コメントももらえなくなってしまったらなどと、どんどんネガティブな方向に考え出していた。志村くんに関する番組で取り上げてもらえるのは光栄なことでもあるけれど、それ以上に私にとってはまず音楽文が大切な存在だから、その大切な存在と今までのような良い関係を保てなくなってしまうことが一番不安だった。

そこで私は1週間ほど悩み続けた。テレビに出ることのメリットとデメリットを頭の中で列挙し始めていた。日常生活を取材されるということは様々書いている様子や書いた作品を紹介してもらえる可能性がある。1年間、自分なりに書き続けて応募し続けていたけれど、何も成果は出せていない。書いていることを世間に知ってもらえるチャンスかもしれない。そう考えれば悪い話ではない。

メリットはそれくらいしか思いつかなくて、マイナス志向の私はデメリットを考える方が得意だった。いくらでも考え付く。まず今の時代、ネットでいろいろ陰口を叩かれるのではないかと考えた。そうなったとしたら落ち込んで、音楽文などを書けなくなったらどうしようとか、そもそも生活を晒すということは自分にとって大切な場所を他者に教えるということだから、自分の癒しの場所や隠れ家的な穴場を公開したくない気持ちもあった。自分ひとりの独占できる大切な場所で、そこで書きたいことを思い付いていたから、そんな創作に大切な場所を簡単には教えたくないという気持ちがあった。しばらくまるで「ロマネ」の気分だった。

<曖昧なことだったり 優しさについて考えだしたら 頭の回路 絡まって 眠れなくなってしまうよ>

考えすぎて、寝不足の日々が続いた。ラナンキュラスの最初に開いた花は散ってしまって、それでもまだ小さなつぼみが残っていた。私は枯れ欠けた花と咲こうとしている小さなつぼみを眺めていた。

<そうしたら本を読んでも 哲学について考えてもダメだね>

悩み過ぎた私は本でもワインでもなく、近しい人たちに助けを求めた。友人4人と年の功を頼りに年配3人に相談した。
友人4人は見事に半々に意見が分かれた。おもしろそうだからやってみたらと推してくれる2人と、今の時代、いろいろ怖いからね、慎重にと2人。私も慎重派だから、やっぱり断るべきかなとこの時は思っていた。だが絶対反対するだろうと想定していた母親が案外あっさり別にいいよと言ってくれたから、拍子抜けしてしまった。失うものなんてないからと。もしも昔みたいに順風満帆だったら、そんな話は断りなさいと言ったかもしれないけれど、家族抜きで自分の話だけなら好きに話せばいいと。私はたしかにその通りだなと思った。私は何を守ろうとしていたんだろう。別に今さら守るものも、失うものもない。例えば、自分に配偶者や子どもがいたら、守るべきものがあるから躊躇って仕方がない。でも幸い、私には迷惑を掛ける相手がいないのだ。ある意味、テレビに出るなら恵まれた条件だ。孤独な方が誰にも迷惑を掛けずに済む。

<おお どうなったって知らないぜ 怖いもんなんてどこにもないぜ>

そんな気分になりつつ、友人に会って、最後に後押ししてもらった。テレビに1回出たくらいで、人生が劇的に変わることなんてないから、経験と思って気軽に楽しめばいいと。もしも現状の人生に満足しているなら、やる必要はないかもしれないけれど、満足していないなら、なおさらやってみればと。これで私の心は決まったようなものだった。たしかにそうだ。空想癖があるから、どんどん話を膨らませて悪い方にも良い方にも考えてしまっていたけれど、1回ほんの数分テレビに出たくらいで、生活が一変することはないだろう。今まではこの手の話があれば、すぐにお断りして悩むことさえ放棄して、現状維持、平穏な生活を心掛けていたけれど、現状を守り過ぎて、何も結果を残せていない人生だし、生活を変えたいと思っていたし、じゃあやらないという選択肢は必要ないと考えた。

<世界が僕を待ってる 「WE WILL ROCK YOU」もきっとね 歌える>

辛うじて咲いているラナンキュラスの花を見つめながら、私は決心した。やってみようと。人生変わらないかもしれないけど、変えるきっかけくらいにはなるかもしれないから、やってやろうと。

間もなく番組制作側から正式に取材を依頼され、私はがんばりますと引き受けた。
やると決めたからには今の自分ができることを惜しむことなくすべてやってやろうと心に決めた。質問されたことに対しては10倍くらいの文量で答えた。質問されてもいないのに、自分が思っていること、感じていることをすべて文章で表現した。ある意味、送信メールは音楽文になっていた。読む方はたいへんだったと思う。的外れ、見当違いなことも多々書いてしまったし、必要ない言葉も多々あったはずだが、すべて目を通してくれたらしい。こんなどうしようもない自分の言葉を真摯に受け止めてくれて、真剣に質問してくれて、向き合ってくれて、何だか私は感動し始めていた。

同時にやるべきことがたくさんあった。学生時代に書いたものも参考資料として必要らしい。高校時代のものの発掘作業に取り掛かった。いくら物持ちが良くても、残っていても、本棚の奥底に眠っているようなものを発掘するのはなかなか一苦労だった。いくら普段通りで良いと言われていても、本やCDも少しはキレイに並べたい。つまり部屋の掃除も必要になって来るわけで、部屋作りは大好きな分野だから、しばらく発掘作業と部屋の片付けに追われた。

部屋はどうにかなるとして、一番の問題は自分の容姿だった。撮影日まで1週間しかない。1週間で劇的に容姿を変えることなんて無理だし、そもそもすでに会っているから、誤魔化しようもない。素のままで、撮影に臨むことにした。半年間放置していた髪だけは少し切ってもらったけど。普段は束ねている髪で、顔を隠したいから、髪を下して問題ない感じにしてくださいと美容師さんに頼んだ。単純に少しでも隠したくて、放置していた髪を切ったようなものだ。本当は放置していた髪の方が売れない物書きの風貌だったかもしれない。服装も、ほぼすっぴんメイクも、普段通りに徹した。テレビに映るからと言って、変えようがなかった。こんなことならもう少し痩せておけば良かったとか後悔を挙げればキリがないけれど、普段の自分がこんなだから仕方がない。即席で理想に近付けたとして、きっと撮影クルーには見抜かれてしまうだろうと考えた。だから本当にありのままの自分でカメラの前に立った。

見映えの準備より、何より大切なのは志村くんに関するコメントだったり、自分を語るコメント力のはずなのに、私は撮影間際になってスランプに陥っていた。質問されればされるほど、自分が何を伝えたいのか分からなくなった。完全に自分を見失っていた。過去を振り返っても、今を振り返っても、自分の性格を考えても、視聴者に伝えたい思いなんてあるのかと自己嫌悪に陥る時間が増えた。あれだけ音楽文を書いていたのに、自分のフジファブリックの投稿文を読み返しても、何を伝えたいのか分からない、少しも伝わってくる思いなんてないじゃないかと言葉に詰まるようになっていた。聞かれた歌詞のフレーズに関しても、一言ですぱっと答えられない。だらだら関係ない話をしてしまって、長く書いてしまう自分の悪い癖が浮き彫りになって、また幻滅した。こんなんで本番は大丈夫なのかとできる限り準備したものの、やはり撮影間際は悩み始めていた。

そんな時自分の心を救ってくれたのも、やはり志村くんの音楽だった。

<どうせこの僕なんかにと ひねくれがちなのです そんな事無いよなんて 誰か教えてくれないかな>「エイプリル」

撮影に挑むため、1月はずっとフジファブリックの音楽ばかり聞いていた。フジファブリックの音楽を知ったばかり昨年の夏頃は、独創的なメロディは聞き過ぎるとノイローゼになるというような話も書いたが、そんな時期はとっくに過ぎ去り、とにかく志村くんの歌詞とメロディを追いかけていた。本番で何か気の利いたコメントを発言するためにも他の音楽は二の次にして、何かに憑りつかれたようにフジファブリックの音楽だけをリピートしていた。

そして撮影が迫った頃、「エイプリル」の歌詞とメロディが妙に心に刺さって、その1曲だけを聞き続ける日もあった。妙に今の自分の心境とリンクする。自己否定に陥りがちな自分に響く歌詞だ。私もいつもどうせ自分なんかって思って、ひねくれて、歪んで、それでもこんな私のことを誰か受け入れてくれないかなって自分のことを全否定もできなくて、もどかしい気持ちでずっと生きてきて、しかも最近取材の件で自分を見つめ直すことになって、ますます自己否定しまくっていたから、こんな時だから、この曲がさらに心に染みるんだと少し泣けた。
元々大好きな「赤黄色の金木犀」と同じニュアンスの曲で、それが秋の感傷を描いたものだとすれば、「エイプリル」は3月~4月の別れと出会いが感傷に浸る間もないほど目まぐるしく訪れる季節にぴったりの曲で、春の感傷曲が「エイプリル」だから好きなんだと気付いた。

志村くんが描く短い季節の移ろいは圧巻で、「若者のすべて」では儚い花火、夏の情景を描き、「赤黄色の金木犀」ではほんの数日しか香らない金木犀の匂いを的確に歌で表現した。「エイプリル」では

<振り返らずに歩いていった その時 僕は泣きそうになってしまったよ それぞれ違う方に向かった 振り返らずに歩いていった>

と春の別れの瞬間を強調するような歌詞を綴っている。

<何かを始めるのには 何かを捨てなきゃな 割り切れない事ばかりです 僕らは今を必死にもがいて>

取材に協力すると今まで経験のない新しいことがすでに始まってしまって、後戻りはできなくて、でも今までの平凡で退屈な日常も捨てきれなくて、例えば忙しくて猫と戯れる時間もないなとふと寂しくなったりして、でも前に進むためにはもがきながらも行動し続けなきゃと思っていた時期だから、よりこの歌詞が印象に残った。

志村くんの歌詞はいつだって悩ましく、もどかしく、

<ないかな ないよな きっとね いないよな>「若者のすべて」

に代表されるように、曖昧で、不確定で、同じ場所でぐるぐる彷徨っているような、はっきりしない気持ちが表れていたりするけど、でも不思議なことに、停滞はしていなくて、ぐるぐる悩み続けながら、悩みを回転させながら、前に向かって進んでいるから、そこに救いがある。歌詞だけを読んでいたら、また悩んでいるな、苦悩しているなとネガティブな歌に見えるけれど、ちゃんとロックで爽快なメロディのおかげで、例えば急に疾走感のあるサウンドに変わったりするから、どこかポジティブでもあり前に進める。

志村くんも歌詞には自身の悩ましい心境を投影したかもしれないが、その自分の悩みを解決するために、キレのあるロックを紡いだのだと思う。悩み事そのものはなくならないかもしれないけど、悩みながらも生きていこうよって勇気を与えてくれる。悩みをすべて解決してしまったら、何も考えなくなるから、苦しまなくなるから、つまらない人生になると思う。私は志村くんのように悩みを抱えながらも必死に前を向いて生きていく人の方が心惹かれるから、私もそうありたいと考えている。「エイプリル」を好きになって、改めてそんなことを考えた。

そしてうまくできるかな、できないかな、言えるかな、言えないかなと心の中で葛藤を繰り返しているうちに、あっという間に撮影当日になってしまった。
緊張を少しでも防ぐために、なるべくカメラを意識しないようにした。最初に伝えた言葉は「クロニクル」の引用だった。

<気にしないで 今日の事は いつか時が 忘れさせるよ>

たくさん失敗するかもしれないから、一刻も早く忘れたいと思いながら、この曲の心境で撮影に挑みますと。時が忘れさせてくれるから大丈夫と言い聞かせてがんばりますと。

とは言うものの、やはり私は話し言葉より書き言葉の方が得意な質で、話し出すとしどろもどろ何を言ってるのか自分でも分からなくなって、思い通りにしゃべれない自分が情けなくなった。書く方だったら、こうして迷いなくすらすら書けるのに。しゃべれない。こんなコメントで、本当に番組の役に立てるのだろうか、編集たいへんだろうなと申し訳ない気持ちになっていた。

公共の場所での撮影もあり、堂々と作家と言えるならまだしも、物書きの見習いの身分で、誰か知らないけどすごい人?と思われるのが恥ずかしくもあった。そうなのだ。こんなどうしようもない、何でもない自分の人生をクローズアップされて、才能のある人たちがプライドを持って取り組んでいる仕事の一環として、自分のために必死に行動してくれるのが申し訳なくもあり、ありがたくもあった。純粋に感動してしまった。

例えば、私が勝手に志村くんをイメージしながら通っている道だから、ここは志村くんロードですなんてただの歩道を案内したり、ここの金木犀が好きなんですとただの広場を案内したりする。その時、重いカメラと音声の機材を抱えて、寒空の下、使えそうもないコメントばかり発している私のことを懸命に撮影してくれる。そういう熱意がひしひしと伝わってきたから、がんばらなきゃと思えた。なのにうまくできないからもどかしい。カメラ音声さんなんて腰痛は当然のことらしく、自分の体を痛めてまで、誇りを持って仕事にひたむきに取り組む姿勢に感動した。正直、私のことなんかより、逆に撮影クルーの取材をしたいくらいだった。

作品を書いている身としてその時思いついたのは、例えばSFで人工知能付きのカメラ音声ロボットが撮影すれば、人間は体を痛めなくて済む、ロボットを操っているだけで簡単に撮影できる時代になったらどうなるか考えた。危険な山や海なども人間が足を運ばなくても、絶景が撮れるかもしれない。でも撮影されてみて思ったことは、腰を痛めながらも足をしびれさせながらもカメラを持ち続けるその熱意が撮影される側に勇気を与えてくれると気付いた。あんな必死に撮影してくれているんだから、がんばろうと思える。これがロボットだったら、そんなにがんばろうとは思えないかもしれない。だから生身の人間が撮った映像というのは迫力があるんだと思う。こういうことは実際に経験しないと気付けなかったことで、気付けて良かったと思う。番組が完成するまで、どんな苦労があるのか、肌で感じることができたから、テレビを見る目が変わった。特にドキュメンタリー番組は真剣に見るようになった。それも志村くんがきっかけで気付けたことだから、志村くんに感謝している。

部屋の中や屋外を行き来しながら撮影は2日間に渡った。分刻みのようなスケジュールで解散時も慌ただしく、しんみりする余裕もなかったけれど、一晩寝て、日常に戻った時、自分の気持ちが変化していることに気付いた。自分のお気に入りの道を改めて車で走行した時、なぜか涙が込み上げてきた。ちょうど「茜色の夕日」がカーステレオから流れていた。

<君のその小さな目から 大粒の涙が溢れてきたんだ 忘れることはできないな そんなことを思っていたんだ>

撮影当日まではたくさん失敗するから一刻も早く、時がすべてのことを忘れさせてほしいと時間が過ぎるのを待っていたけれど、いざ終わってみると、私は忘れたい失敗もたくさんあるのに、2日間を忘れたくないという気持ちに変化していた。たくさんの人たちの思いに触れて、様々な経験をして、自分と違って生き生き働いている人たちと出会って、自分のために必死になってくれた人たちを覚えておきたくて、忘れたいとは思えなくなった。

<僕じゃきっとできないな できないな 本音を言うこともできないな できないな 無責任でいいな ラララ そんなことを思ってしまった>

テレビと思うと言えない本音もたくさんあったし、薄っぺらい話しかできなかった気もするし、力不足でできないことも多かった。口に出せる悩み事なんて悩み事のうちに入らないし、本当に悩んでいる事は簡単に口に出せないし、他人に教えられないことにも気付いた。言えないし、解決しないから、だからこそ悩むんだ。志村くんもきっと、他人には言えない悩みをたくさん抱え込んでいたから、こんなにも悩ましい歌詞ばかり綴ったのだろうなと考えたりもした。

けれど、今まではひとりきりで通過していた坂道とか、自分だけの憩いの場所ってひとりで楽しんでいた空間に撮影クルーとの思い出の束ができてしまって、誰にも教えたくないと思っていた自分がいなくなっていることに気付いて、泣けた。たくさん失敗したし、迷惑かけたこともあったけれど、楽しかったんだと思う。ちょうど夕日が沈みかけていた時刻、私の車の助手席からカメラマンさんがいつもはひとりで見ている夕日を撮影してくれた。一緒に見てくれた。

<茜色の夕日眺めてたら少し 思い出すものがありました 君が只 横で笑っていたことや どうしようもない悲しいこと>

いつもはひとりで通っているコンビニが集合拠点になったりして、それだけでそこの場所に意味ができた。お気に入りの神社へ向かう曲がりくねった道もロケバスに乗って走ったことが奇跡に思えて、改めて感動した。長時間みんなで苦労して撮影しても、実際に使われるシーンはわずかで、ほぼ無駄になってしまうのに、一瞬も気を緩めることなく、良い番組を制作するために努力を惜しまない彼らという存在に私は最も感動した。だから泣けた。こんな機会はきっともう二度となくて、二度と会えない人たちかもしれないけれど、私は彼らから勇気をもらって、本当に物書きになりたいと改めて思った。そういう見えない裏方の努力とか、普段は見向きもされないような存在について書きたいと思った。だからこうしてとりあえず音楽文をしたためている。音楽文がきっかけでできた経験だから、音楽文に残したいと考えた。まさに「クロニクル」の心境だ。

<たまに泣いて たまに転んで 思い出の束になる 誰か出会って そして泣いて 忘れちゃって 忘れちゃって>

私にとっては忘れたくない2日間だったとしても、出会った人たちは私のことなんてすぐに忘れてしまうだろう。それは仕方のないことで。でもせめて私は忘れたくないから、感じた思い、気付けた思いを書き残すことにした。自分の知らなかった感情に気付けたから。それは志村くんのおかげだし、音楽文のおかげだし、ひとりでうろついていた街の界隈のおかげだし、テレビ局のスタッフの方々のおかげだし、関わってきたすべての人、ものに対して感謝したい。

ひとりだと思っていたけれど、ひとりが好きって思っていたけれど、実際は取材の話を相談する時も身近な人たちを頼ってしまったし、撮影当日も例えば車を置かせてもらうのにコンビニの人たちにもお世話になったし、ロケ先でもたくさんの人たちに協力してもらったし、何よりテレビ局の方々、ロケバスの運転手の方にお世話になって、成り立った2日間だったから、すべての人にありがとうと伝えたくて、今こうして長々と書いている。読んでもらえるとは限らないけれど、伝わるといいなと思いながら書いている。そしてもしかしたら2月11日の番組を見た方も読んで下さっているかもしれない。

私はあんな人間ですが、正体を明かしてしまいましたが、できればこれからも音楽文を書きたいと思っています。今の正直な気持ちを伝えたくて書きました。いつもささいなことで悩んで、悲観して、孤独に生きている人間の戯言ですが、真剣に物書きを目指しています。

<描いていた夢に 描いていた夢に 近づけてるのかと 日々悩むのであります>

志村くんが残してくれたフジファブリックの音楽を聞きながら、悩みながらも前を向いて生きていこうと思う。悩みがちで孤独な人間で良かったとも思う。おかげでひとりきりで悩ましい志村くんの曲に引き寄せられたから。生きていると悩みは増える一方だけど、悩みと共存して友達になってうまく付き合えたらいいと思えた。悩みながら生きるって最高だ。

<キミに会えた事は キミのいない今日も 人生でかけがえの無いものでありつづけます>

2ヶ月経過したラナンキュラスは最後に開いた花がいまだになんとか咲いている。開けなかった小さなつぼみも残っている。私は志村くんから<つぼみ開こうか迷う花>「花」をもらった気がする。まだ開花はしていないけれど、知らなかった自分に出会えるきっかけを志村くんが与えてくれた。つぼみの花束の花を咲かせることができるように、精進していこうと思う。本当にありがとう、志村くん。

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