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淋しい人に愛を知らせる風の唄~「桜の季節」に感じた志村正彦と橋田先生の風~

※2021年4月26日に掲載された音楽文です。いろいろ訂正したい箇所はあるにせよ、あえてそのまま転載します。

東北に桜の便りが届き始めていた4月4日、脚本家の橋田寿賀子先生が亡くなった。翌日、ニュースで橋田先生の訃報を知り、ショックを受けた。橋田先生と言えば、脚本家として活躍するだけでなく、バラエティー番組などでお茶目で元気な姿を見せてくれていたので、100歳くらいまで現役のまま書き続けてくれるのではないかと信じていたから、なおさらショックだった。

生前、「死んでも悲しまないでいい。千の風になっているんだから。」と語っていたという。亡くなった後、近しい方々によって「千の風になって」が歌われ、橋田先生はその曲で見送られたそうだ。

橋田先生は旅は好きで、クルーズ船に乗って世界中を旅していたらしい。もしも本当に千の風になったとしたら、きっと今頃は自由に世界を駆け巡っていることだろう。そんなことを考えながら、私は改めて「千の風になって」を聞いていた。

2006年、テノール歌手の秋川雅史によって歌われた「千の風になって」はミリオンセールスを記録した大ヒット曲だ。
3月3日に放送された『関ジャム 完全燃SHOW』ゴールデン2時間スペシャル「関ジャムJ-POP20年史 プロが選んだ最強の名曲ベスト30」というこの20年間のベスト30曲をプロが選ぶ企画のTV番組内では、惜しくもベスト30位内にはランクインしなかったものの、44位にこの「千の風になって」が選ばれており、プロの視線から見ても、名曲ということがうかがえる。誰も避けては通れない“死”をテーマに、やさしくも力強く歌われたこの楽曲はまさにエバーグリーンであり、何年経っても必要とされ、死に寄り添い、悲しみを和らげ、今なおこうして歌われ続けている。

4月9日、TV番組『ぴったんこカン・カン』内で「追悼特別企画 ありがとう橋田寿賀子先生」が放送され、オープニングでは橋田先生の代表作ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」のテーマ曲がオーケストラによって演奏され、エンディングではピアノと秋川雅史によって「千の風になって」が披露された。

この「千の風になって」を聞いた瞬間、秋川雅史の歌声は言うまでもなく素晴らしいけれど、“死生観”をテーマにした曲「帰ろう」などを歌っている藤井 風が「千の風になって」をピアノ弾き語りでカバーしてくれないかなと考え始めた。

そして藤井 風について思いを巡らし始めたら、懐かしのフォークデュオ「風」に辿り着いた。かぐや姫の伊勢正三と猫の大久保一久により結成された風というデュオ名には「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」という意味が込められているそうだ。(wikipediaより)
藤井 風が風の大ヒット曲である「22才の別れ」をカバーしてくれたらなと想像し始めた。

「22才の別れ」には思い出がある。高校生の頃、修学旅行のバス内で、クラスの副担任で尊敬していた先生がこの曲を歌ってくれたのだ。先生の歌声は伊勢正三の歌声によく似ていて、きっと先生の十八番だったんだと思う。私はそれ以来、「22才の別れ」という曲が大好きになった。別れの歌だけれど、テンポ感、ノリが良くて、自然と口ずさみたくなる。それで今回、改めて聞き直していたら、気付いたことがある。

「22才の別れ」は“aiのuta”だと。どういうことか説明すると、歌詞の一番では母音「a」が、二番では母音「i」が、二番の後の間奏では母音「u」が多用されているのだ。

《あなたにさようならって 言えるのは 今日だけ》
《明日になって またあなたの 暖い手に触れたら》
《私には 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに》
《私の目の前にあった 幸せに すがりついてしまった》

“あなた、私、明日、暖い、鏡、幸せ”などという言葉は母音「a」が印象的な言葉であり、それを強調するかのように伊勢正三は歌っている。

二番になると

《私の誕生日に 22本のローソクをたて ひとつひとつが みんな君の 人生だねって言って》
《17本目からは いっしょに火をつけたのが 昨日のことのように》
《今はただ 5年の月日が 永すぎた春と いえるだけです》

“22、ひとつひとつ、みんな、君、人生、17、いっしょに、火、きのう、今、永すぎた、いえる”など、母音「i」が頻繁に登場する。
そもそも歌詞の一番と最後のサビでは《あなた》という呼称を使っているのに対して、二番だけ《君》という呼称に変わっているため、母音「i」を意図的に使っていると考えられる。

そして続く間奏では《うううーうううううー》と母音「u」だけの歌声が響く。

最後のサビになると

《あなたは あなたのままで 変わらずにいて下さい そのままで》

“あなた、変わらずに、そのままで”と母音「a」の言葉が復活している。

以上のことから、私は「22才の別れ」という曲は母音「a、i、u」が効果的に使われた“aiのuta”であると考えた。
別れの唄であるが、母音の響きから深い愛を感じられる。先にも述べたように、テンポ感が良く軽快なメロディーなので、未練や執念という重苦しさは感じられない。
「22才の別れ」という曲名自体、母音だけ意識してひっくり返すと「ai」になる。《別れ》は「a」、《22才》は「i」が印象的な言葉なので。
よってこの曲は一見、「別れ」を歌っているように見えて、実は裏では「愛」を叫んでいるから、切なくて愛しくて、耳障りが良くて、何度でも聞きたくなる楽曲なのだと考えた。

そして「風」のもうひとつの代表曲、「ささやかなこの人生」に関して。
「ささやかなこの人生」においては、随所で“風”を感じられる。

《花びらが散ったあとの 桜がとても冷たくされるように》
《だけど人を愛したら 誰でも心のとびらを閉め忘れては》
《ひきかえすことの出来ない人生に気がつく》
《時の流れを背中で感じて》
《街角の唄にもふと足を止めたりする》
《風よ季節の訪れを 告げたら淋しい人の心に吹け》
《そしてめぐる季節よ その愛を拾って終わりのない物語を作れ》

桜の花びらを散らすのは風だし、恋心のとびらを開けてしまうのも愛という風がざわつくためだし、人生や時間を進めるのも風、街角の歌声や季節の愛を淋しい人に届けるのも風だから、「ささやかなこの人生」は“風の唄”と考えられる。最後に口笛が登場するあたりも風を感じられる。

個人的には「風」というデュオ名に一番馴染む曲は風を歌った「ささやかなこの人生」という楽曲であり、「風」が歌う“愛の唄”が「22才の別れ」と考えた。《街角の唄》や《季節》という「愛」を届けるのは「風」の役目であり、《ローソク》の《火》を揺らめかせ、《私》の心を惑わせるのも「風」の仕業かもしれないから、結局「22才の別れ」も「風」も感じられる“愛の唄”と言える。

いずれにせよ、昭和を代表するフォークデュオ「風」が歌ったこの二曲は是非とも令和の音楽シーンを牽引していくであろう新しい風になった同じく“風”という名の「藤井 風」にカバーしてほしい。

橋田先生が好きだったという「千の風になって」を聞き、そこから藤井 風、フォークデュオの風…という経過を辿ったわけだが、より風を感じやすい春という季節だから、想像力が刺激されてしまった気がする。

橋田先生の追悼番組を見た翌週、4月12日になると、実家近辺の桜はもはや最盛期を過ぎており、散り気味だった。
散ってしまう前に、風車と桜の名所である地元の公園へ足を運んだ。その日は強風が吹き始めていた。風に背中を押されるように、公園内を歩きながら、桜の写真を撮った。桜と一緒に風車も撮影していたから、より風を意識するようになったのかもしれない。

翌日はさらに暴風が吹き荒れた。桜の花を散らすかのように、なぜか春は強風が吹きやすい。快晴となり、少しは風も和らいだ15日に同じ場所を訪れたら、3日前まで映える桜と風車の写真が撮れたというのに、ほぼ桜の花は散ってしまっていた。

まさに「ささやかなこの人生」の歌詞の通りの情景が広がっていた。

《花びらが散ったあとの 桜がとても冷たくされるように》

3日前まで桜を愛でる人たちがたしかにいたはずなのに、風によって花びらを失った桜の木を眺めようとする人はほぼおらず、公園内の遊具で遊ぶ子どもや犬を散歩させる人たちとすれ違う程度だった。

花は散ってしまっても、桜の木は変わらず桜の木のはずなのに、誰も見ようとしない。以前から桜の木って気の毒だと思っていた。花が咲く春のわずかな期間だけ、ちやほやされてたくさんの人たちの視線を集めるというのに、花が散ってしまえば、桜の木なんて存在さえ忘れられてしまう。葉っぱが茂ると虫たちの住み処にもなるから、桜の木の下にいると虫が落ちてくることもある。そうなれば、虫が苦手な人からは桜の木は嫌厭されることになる。

歌詞に戻って、「ささやかなこの人生」は

《誰にも心の片隅に 見せたくはないものがあるよね》
《だけど人を愛したら 誰でも心のとびらを閉め忘れては》

と続く。

桜の木が花をつけてキレイとちやほやされた後の、見向きもされなくなった虚しさ・恥ずかしさ・弱みを見せたくないのと同じで、誰にでも他人には隠している恥や弱さがあり、好きになった相手にだけは自分のマイナス面さえ理解されたいと願う欲求が出てしまうということを歌っていると捉えたのだが、そこで、私はフジファブリック「桜の季節」に思考が飛んでしまった。

フジファブリックの「桜の季節」もまた、風の「ささやかなこの人生」同様、最盛期を過ぎた桜の嘆き、溜め息が聞こえる楽曲である。

《桜の季節過ぎたら 遠くの町に行くのかい?》
《桜のように舞い散って しまうのならばやるせない》
《桜が枯れた頃 桜が枯れた頃》

桜の花の美しさには一切触れず、桜の花の儚さ・侘しさというか、“過ぎたら、舞い散って、枯れた頃”というように、《花びらが散ったあとの》虚しい桜の姿と淋しい別れだけが描かれている。

春というと別れがあり、次に新しい世界、出会いが待っていて、一般的にはポジティブなイメージがあるけれど、志村くんは「桜の季節」という楽曲内で、春に対するアンチのような気分を反映させているように見えるというインタビューアーの話に対する志村正彦の返答として、

「もう、ホント、その通りというか。別に対抗してやる!っていうつもりはないんですけど、うちらがやらなくてもできてる春の曲はわざわざやらなくてもいいというか…(中略)この「桜の季節」に関しても、いろんな歌詞を書いては壊して、自分が歌うとしたら、こういうものになるだろうっていう内容になりましたね」
と述べている。(※『BREaTH』2004年5月号vol.48を参照)

2000年代初期に遡って考えてみると、2000年の福山雅治「桜坂」やaiko「桜の時」を皮切りに、2002年の宇多田ヒカル「SAKURAドロップス」、2003年の森山直太朗「さくら(独唱)」、2005年のケツメイシ「さくら」や中島美嘉「桜色舞うころ」など、いわゆる、“さくらソングブーム”が起きていた時代だ。その真っ只中、2004年にフジファブリックが「桜の季節」をリリースしたのである。
他のアーティストも桜を通して、春の別れを歌っている場合が少なくないものの、桜は美しいものの象徴というように、美化されている場合が多い。

志村正彦が描く桜は美化のかけらもない。はなから桜を褒めようとはしていない。どうせ散っていなくなってしまう存在なんだろうと、最初から期待していない。花が咲き誇っている短い間だけ大切にちやほやするくらいなら、最初から一定の距離をとった方がつらくないし、別に嫌うわけではないけれど、べたべた愛を押し付けない方が良いという気持ちが読み取れる。
そっけない素振りをしているように見えて、実は割り切れない未練も覗ける。

《ならば愛を込めて so 手紙をしたためよう》
《そして追いかけていく 諦め立ち尽くす 心に決めたよ》

桜は舞い散ってしまうものだけれど、春はあっという間に過ぎてしまうけれど、《坂の下 手を振り 別れを告げる》相手のことは忘れないという強い決心が見える。
つまり“桜=その別れの告げる相手”だとすれば、花が散って枯れてしまった桜のことも絶対忘れないよという心情も込められている気がする。

“桜の季節が到来したら、咲き誇ったら、花開いたら”というように桜をポジティブな表現ではなく、ある意味、桜をディスるかのようにわざわざ“過ぎたら、舞い散って、枯れた頃”と表現したのにはちゃんと理由があって、きっとあえてネガティブに描くことによって、そんな“必ず舞い散って、枯れてしまう桜”も“遠くへ行ってしまう相手”もマイナス面さえ受け入れて、そっけない態度を取りつつも、“桜の季節”が過ぎても“愛し続けるよ”という深い愛情を込めていると考えられるのである。「桜の季節」という楽曲は春の究極のラブソングであり、枯れた後の桜も忘れない志村正彦のやさしさを感じられる、「ささやかなこの人生」にも通じる、稀有な名さくらソングとも言える。

少し話を戻すと、“風”について述べていたはずが、いつの間にか“桜”の話に変わってしまっていた。それは必然で、桜を気付かせてくれるのは風という存在があるからに違いない。無風だとしたら、桜の花は散りにくくなるだろう。となると、慌てて桜の写真を撮ろうとか、急ぐ必要はなくなる。春の風に急かされて、桜を愛でている気もする。風が桜の儚さや美しさを引き立ててくれるのである。

2019年11月、志村正彦は“風”のような人と私は音楽文に綴った。そして2020年になるとまさに“風”という名の藤井 風というアーティストに出会い、音楽面においても、常に風を感じながら生活していた。
そして2021年4月、橋田先生が亡くなり、「千の風になって」を聞き直し、いつしかフォークデュオ「風」の楽曲に辿り着き、最後は風になった志村正彦が残した「桜の季節」に舞い戻った。これらはただの個人的な連想に過ぎないけれど、風になった志村くんから新しいプレゼントを受け取った気がする。そして新たに風になった橋田先生からも…。

現代の日本では火葬が主流のため、骨以外は気体に変わる。風とは“空気の流れ、流れる空気そのもの”ということらしいので、つまり亡くなった人たちの一部は空気の中で気体として漂っているかもしれないから、本当に風になって、あちこちを彷徨っていても不思議ではないだろうと個人的には考えている。

強風が吹く中、風車と桜の写真を撮ったあの日、「千の風になって」を口ずさむと橋田先生や志村くんのことを近くに感じた。そして「風」の楽曲、「22才の別れ」と「ささやかなこの人生」を聞き始めることになった。
今は「ささやかなこの人生」の歌詞の通りの人生を歩んでいる。

《風よ季節の訪れを 告げたら淋しい人の心に吹け そしてめぐる季節よ その愛を拾って終わりのない物語を作れ》

フジファブリックの志村くんが亡くなってしまっていることが淋しい、尊敬する橋田先生も亡くなってしまったことが悲しい、自分の大切な人たちはどんどんあの世に行ってしまう…。淋しさ、悲しみをかき消すように、風が吹いて、大切な何か、愛を届けてくれた。

風に乗って、故人からの贈り物が届いたから、私はそれを物語にしようと考えている。風がたくさんのアイディアやヒントをくれる。桜の花に気付かせてくれるし、フォークソングという《街角の唄》にも気付かせてくれるし、私の心の中で吹き荒れて、背中を押してくれる。

《作り話に花を咲かせ 僕は読み返しては 感動している!》

まるで「桜の季節」のように、新しい物語を作ることに花を咲かせている。

4月17日早朝、橋田先生と出会う夢を見た。
「何やら、物語を書いているらしいじゃない?読ませてちょうだい。」
「ありがとうございます。印刷して、明日お渡しします。」
というような会話をした。

私はこれから“渡る世間は風ばかり”をテーマにした物語を書くと決めた。
「桜の季節」や「千の風になって」、“aiのuta”である「22才の別れ」、“風の唄”である「ささやかなこの人生」を聞いてしまったからには、“風”の物語を書かずにはいられない。

《喜びとか悲しみとかの 言葉で決めて欲しくはない》

と「ささやかな人生」が締めくくられているように、喜びや悲しみという言葉を使わずにそれらの感情を表現できる物語を描きたいと思う。

今も志村くんと橋田先生を感じられる風が窓辺のウィンドチャイムを揺らしている。

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