小説『手をつなぐだけの彼女』㉒

第二十二話「信じればまがいものも本物になる」 

ケンジはバンド計画を実行に移すため、まずはベースの森に誘いのラインを送った。森はすぐに返信してきた。


〈おー、ついにやる気になったか。俺もケンジとそろそろバンドをやりたいと思っていたんだ〉 


ケンジもすぐに返信する。


〈ボーカルは今年の新入生の山口美月という女の子にしたいんだけど、知ってるよな?〉


〈山口美月? 知ってるもなにも、俺、前に彼女に一緒にバンドやろうって誘ったら断られたんだぜ。もう決まってるからって〉


〈マジか?〉


〈天才ベーシストの俺様の誘いを新入生が断るなんてな。ビックリしたよ〉


〈ムカついたか?〉


〈いやいや。あの子って俺は聴いたことないんだけど、すごく歌がうまいらしいな〉


〈まあまあな〉


〈それで他からもいろいろ誘いがあったらしいけど、全部断ってんだよ。バンドもやらずになにしにサークルに来てるんだって、俺たちの間で謎だったんだけどさ。バックにケンジがいたとはな。それなら納得だわ。〉 


美月がそんなにバンドの勧誘を受けていたとは初耳だった。彼女は「気がついたら周りはみんなバンドを結成していて、自分だけ取り残された」なんて言っていたのに。 
ケンジが迷っていたドラムスについては、森から推薦があった。ほかの大学のヤツだが、森の知り合いだというそのドラムスはケンジも一度ライブで観たことがあり、文句なしに上手かったのでまったく異存はなかった。そもそも、大学のサークルを離れて活動したかったので、うってつけの人選だと言えた。 
その日の夜遅く、森からラインが来た。


〈ドラムス、二つ返事でOKだったよ。ケンジと一緒にバンドをやりたいと思ってたらしくて逆に感謝されたよ。〉 


ただし、森もそのドラムスも今月末にライブがあるので練習はその後にスタートしたいということだった。 
これでバンド結成のめどは立った。キーボードを入れるかどうかは、いずれまた考えればいい。森にお礼の返信を送ると、すぐに返信が来た。


〈楽しみだな! ところで話は変わるけど、ケンジ、山口美月とつき合ってんの?〉 


ケンジはディスプレイをしばらく見つめた後、ざわつく心を押さえ込んで返信した。


〈つき合ってねえよ〉 


キスもしない関係をつき合っているなんて言わない。 
すぐに返信が来る。


〈じゃあ俺、口説いちゃおうかな〉


〈口説きたいなら、勝手に口説けばいいさ〉
そう打ち込んだものの、送信する気になれずに携帯をベッドに放り投げた。 


翌日は練習日だった。鴨川のいつもの場所で会った美月に早速バンドの話をした。
「本当?」
彼女は目を輝かせてケンジを見上げたかと思うと、左手でマイクを握り右足をフロアモニターに載せたようなポーズをとり、アカペラで「This year’s girl」を歌った。
「やったーっ! どうもありがとう!」 
鴨川に向かって手を振っている。ステージからアリーナの聴衆に手を振っている気分なのだろう。はしゃぐ彼女を久しぶりに見ることができて、バンドの話を進めて良かったと思った。 
その日の練習は、ふたりともいつも以上に熱がこもっていた。
「ねえ、先輩、バンド名どうします?」 
練習を終えて手をつないで駅に向かっているとき、美月が言った。
「そうか、そろそろ考えないとな」
「難しいですよね、バンド名って。EMIGRANTSって誰が考えたんですか?」 
EMIGRANTSはケンジが森や彩香とやっていたバンドだ。
「僕だけど」
「そうなんだ。いいバンド名ですよね。どういう意味ですか」 
思わずこける。意味もわからないで、いいバンド名もなにもないだろう。
「移民っていう意味だよ」
「あれ? そうだっけ? 移民って、イミグラントはイミグラントでも、最初のスペルはeじゃなくてiじゃなかったっけ?」
「iから始まるイミグラントは外から入って来た移民で、eから始まるイミグラントは外に出て行く移民っていう意味なんだ」
「へえ、そうなんだ。知らなかった」 
そのバンド名に、いつか京都を出て外国に行きたいという自分の気持ちを込めたという話を彩香だけに話した。
「美月の名前にちなんで月で考えるか」
「えーっ、いいですよ、そんな」
「ムーン、ビューティフルムーン、フルムーン……フルムーンって老夫婦のバンドかよ」自分で言って自分で吹き出す。  
交差点の信号が赤になり立ち止まる。目の前には、夕焼けをバックに北野天満宮の鳥居が黒くそびえたっている。美月の手を強く握る。
「そういえば、先輩が働いているペーパームーンって、どういう意味ですか」
「ペーパームーンか。そういやどういう意味だろ」
「あきれた。マスターに聞いたことないんですか」
「マスターだって意味なんて知らないだろ。映画や音楽のタイトルになっているから、そこから取っただけに決まってるよ。ちょっと待って」 
ジーンズのポケットからiPhoneを取り出し、ポータルサイトの検索窓に「ペーパームーン」と打ち込んで検索をかける。
「まがいもの、偽物いう意味だって。なんかカッコいいな。まがいものなんてバンド名をつけといて、マジなロックをやるっていう」
「いいかも」
「ちょっと待って」
検索結果一覧に戻り、ほかの記事を探して読む。
「へえ、なるほどねえ」
「なによ、自分だけ。私にも教えて」美月がスマホをのぞき込む。
「カメラが珍しかった昔は記念日などにスタジオに行って写真を撮ってもらっていた。スタジオでは、紙でできた三日月に座って撮ってもらうのが流行っていた。その三日月のことをペーパームーンと言う。だから、まがいものではあるけれど幸せの象徴でもある。信じればまがいものも本物になる。これは『ペーパームーン』という曲の歌詞だ」
「信じればまがいものも本物になる、か……」美月は一瞬呆けたような顔をして、「それいいじゃん。先輩、絶対ペーパームーンにしようよ」と言った。 
気がつけば、信号はとっくに青になっていた。横断歩道を手をつなぎながら渡る。制服を着た男子高校生二人組が、すれ違いざまにうらやましそうな顔をしてケンジたちのほうを見た。
〈お前、山口美月とつき合ってるの?〉
唐突に森のラインが頭をよぎる。
「なあ、そろそろ先輩っていう言い方、止めないか」
「えーっ、なんでですか」
「なんか青春マンガみたいじゃん。さわやかっていうか。ロックっぽくないよ」
「それで、なんて呼ばれたいんですか」
「なんて呼ばれたいって言われてもなあ」
「もう先輩って言い慣れちゃったから、先輩でいいじゃん」
「うーん」
「いいでしょ」美月は身体を傾けてケンジの顔をのぞきこむ。
「じゃあ、ロックな呼び方考えておくんで、ちょっと待っといて!」
わざとふざけた口調で言い、美月の手を強く引っ張った。


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