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オカルト考察 【UFO編】

オカルトはエンターテイメントだ。だから、オカルトの真偽は正直どっちでもいい。とりあえず嘘だと思っているが、もし自分の身に超常現象が起きたら、信じるかもしれない。

ここでは、なぜオカルトがエンタメか、どうすればオカルトをエンタメとして楽しめるかを考察する。

ちなみに、オカルトの真偽を議論することもオカルトの楽しみ方の一つだ。そちらにに興味のある方は、ASIOSのレポートが参考になるだろう。彼らは、実験とロジックで冷静にオカルトに挑んでいる。

オカルトをエンターテインメントとして見たとき、それは他のジャンルとは比べ物にならないほど、私たちの日常にリアルに入り込んでくる。嘘を暴くことに情熱を注いだり、逆に過剰に信じ込んだりというのは、他のジャンルにはあまり見られない。そして、それらの光景もまたオカルトの要素になっている。オカルト信者を、熱狂的なファンやオタクとして見れば、やはりオカルトはエンターテインメントなのだと思う。

ここでは、そんなオカルトの中でも「UFO / Unidentified Flying Object」について考えてみたい。

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記憶に新しい方もいるかもしれないが、2017年12月6日、米国防省は米カリフォルニア州サンディエゴ付近で空軍戦闘機が2004年に撮影したUFO映像を公開したことが話題になった。また、同省は2007年から2012年にかけて、約25億円の予算を投じて「先進航空宇宙脅威識別計画 / Advanced Aerospace Threat Identification Program 」というプロジェクトを実施していたらしい [New York Times]

UFOは、正体不明の飛翔体のことだから、宇宙人の乗り物だとは限らない。UFOと言われて宇宙人と関連づけてしまうのは、どこかで見た創作物の影響だと思う。私の場合は、幼い頃に観た「The X-files」だろう。

UFOの目撃情報は、中世から存在するらしい。その時代、人類はまだ空を飛んでいないし、宇宙観も現代のものとは異なっていたはずだ。今でこそ、UFOから宇宙人を連想するが、当時は神や悪魔の乗り物(城)を連想していたらしい。例えば、サンスクリットの叙情詩に登場する「ヴィマナ」や「ヴェーダ」などだ。

今はドローンなどを使ってUFOを捏造することは容易だが、中世では紙飛行機すら誰も思いつかなかったのではないだろうか。だから、その時代のUFOが誰かの捏造だとは考えにくい。もちろん、記録そのものが捏造かもしれない。あるいは、当時は気象学がほとんど発展していなかったから、珍しい気象現象から神々を連想した可能性もある。ともあれ、正体不明の何かが空からやってくるという感覚は、現代の文明ありきの話ではないと思う。

私たちが何かを考えたり、連想したりするとき、当たり前だが知能が働いている。では、その知能とは何だろうか?三宅陽一郎博士の「人工知能の作り方」という著書には、7つの知能の定義が書かれている。その中でも、ここでは「知能は身体と環境との関係を取り持つ」という定義に注目したい。この定義は、知能が相対的だということを意味している。我々が地球上で誕生し、進化して、現在に至るとすれば、我々の知能は地球環境に適応した「地球産の知能」ということになる。だから例えば、水に潜れば肺で呼吸できないことや、物を投げ上げれば再び落ちてくること、日向より日陰の方が涼しいことなどを経験的に知っている。また、犬や猫を飼ったことがある人ならばマーキングというのをご存知だろう。これは自分のテリトリー(縄張り)をライバルに知らせる行為だが、この本能は人間も持っている。例えば、家や自分の部屋、デスク、所有物などはその表れだ。

テリトリーは生物が生存するのに必要な領域だ。そこに無断で侵入してきた得体の知れないモノは、個体の生存を脅かす存在かもしれない。だから、生物は防衛行動に移りやすいように、こうした状況下で感情が動くようにできている。この場合は、「怒り」や「不安」という感情が湧く(感情がテリトリーに依存したシステムだとする考え方を「アージ理論」という)。

UFOは、広い意味での我々のテリトリーである地上を脅かす得体の知れないモノということになる。「なんだあれは!?」で始まり、我々は持てる知識を総動員して分析を試みる。宇宙人、秘密兵器、神様、あるいは誰かのイタズラだと推理する。そして、脅威だと判断すれば排除する。したがって、UFOは人の感情を激しく揺り動かす存在なのだ。

嘘は嘘でも世の中に受け入れられる嘘、それは「物語」だ。物語もUFOと同様に人の感情を動かす。名作は人々を感動させ、後世に語り継がれる。だから、人の感情に影響を与えるUFOも同様に、嘘かもしれないのに、すぐには風化しないのだ。

最後に、簡単な思考実験をしてみたい。まず、UFOの存在を疑ってみる。知識や経験が動員されて、日常が色濃くなって、「ありえない」という感じがしてくる。次に、UFOの存在を信じてみる。すると、空を見上げてみたり宇宙に想いを馳せたりして、ちょっとワクワクしてくる(私だけ?)。これらは、昼と夜にも例えることができる。昼は世界が明るく照らされて、日常に注意が向く。夜は逆に日常は暗闇に沈み、その代わりに太古の昔に放たれた星の光が見える。自分と何億光年先の未知の世界とが、視覚的に繋がるのが夜であり、間に日常が割って入るのが昼なのだ。

この実験で得た感覚を、自在に切り替えることができれば、大人でも純粋にオカルトを楽しめるのではと、私は思う。

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いつしか見なくなったが、昔のデパートやパチンコ屋は、目印として夜空をサーチライトで照らしていた。曇り空の夜、その光が雲に反射して、円形の発光体が夜空を飛びまわっているように見えた。私の父は、まだ幼かった私を「UFOだ!」とからかった。父の運転する車のフロントガラスから観た街の夜景と、その上空をサーチライトのUFOが旋回する光景は、今も鮮明に覚えている。


参考文献:三宅陽一郎 (2016). 人工知能の作り方 ——「おもしろい」ゲームAIはいかにして動くのか. 技術評論社.

カバー写真:ヒロム



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