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夏が遅れてやって来る

玄関を開けると、蝉が死んでいた。

目を閉じて、息を大きく吸って、夏が遅れてやってきたことを思い出した。

私は高校生の時、半分ウエイトトレーニング部の様な、男だけの和太鼓部で部長をしていた。

私の部活は1年に1度、秋に大きい舞台があり、その舞台では、部長だけのソロをやるのが伝統でみんなそれに憧れて入部する。

部長ソロの時は、舞台に立つ部員全員が、部長に向けてひたすら声を出し、鼓舞し、支えるという熱い伝統。

高3の夏。

太陽の下、蝉の声に囲まれ、グラウンドで朝から夕方まで、ほぼ毎日1人で練習していた。

ある日、ふと足元に目をやると、蝉がジタバタと死にかけていた。

それまでは何にも気にならなかったのに、その蝉を見た途端、周りで鳴いている蝉の声が、その蝉を鼓舞しているように感じた。

私の高校最後の夏はほとんど自主練だった。

同級生のSNSの投稿が羨ましく思う時もあった。

誇りと共に自分の夏はどこにあるんだと自問したことも少なくなかった。

それでも、その光景を目にした時、なぜか自分は間違ってないと思えたのだった。

秋。

待ちに待った舞台がやってた。

ソロ。

その瞬間、私はピンスポットに照らされ、客席は真っ暗。

ピンスポットと太陽。部員の声と蝉の声。

この空間には自分と太鼓だけ。

ああ、やっぱり間違ってなかった。

数分間のソロの間、猛烈に熱い夏が遅れてやって来た。

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