見出し画像

自分から宿題をする子の親がやっていること

人生初の「宿題」って、いつ、どんなものだったのでしょう? さっぱり思い出せませんが、いつの間にか自分の中で「宿題=嫌なもの」という感覚は定着しています。

ある小学校の入学式で、校長先生が
「宿題はしなきゃいけませんよ」
と言っちゃっていました。そこからかいっ!!

というわけで、「宿題=楽しいもの」と考えるには、小学生前がリミットなのかもしれません。

「宿題をもらう」をプラスに捉える声のかけ方

幼児期にうちに来てくれた子に、人生初の「宿題」を出す瞬間があります。その際、
「やったね、おうちでするのもくれるって!」
と声をかけるお母さんがいます。そう言われると、子どもも嬉しそうに「うん!」と答え、大切そうに宿題を受け取ります。

「宿題もらえる=ラッキー」という価値観が子どもにでき、
「ありがとうございます!」
と言ってくれる子もいます。ちょっと声のかけ方を工夫するだけで、「初宿題」が宝物のようになります。

その価値観のうちに、宿題をやることが当たり前にしてしまえると、とても楽です。

我が子の幼児期は、毎朝学習の時間が決まっていて、その時間に決まった分量の学習をしていました。「宿題を誰かにもらう」というのは、小学校が初めてです。

だから、初宿題は「やったね、宿題もらえてよかったね。楽しそうだね」って言ってました。できることばかりなので、簡単だしすぐに終えられるので、しばらくは楽しく取り組めます。

家庭学習で目指す状態

幼児期、低学年のときは、眠いときや気分が乗らないときは、ダラダラしたりストライキ状態になっていました。そういうときは、サクっとやめます。「やりたくなかったらやらなくてもいいよ」というスタンスです。

そんな日でも、後になって、ふと「算数やる」と言って、通常の3倍くらいの量を一人で学習することもありました。

そんな状態で宿題ができると、「宿題=楽しいもの」とまではいかなくても、「宿題=嫌なもの」という感覚は薄れるようです。つまり、やるのはあたり前で、気持ちはさておき、自発的に学習をする状態です。

では、自発的に学習をする状態になるには、どうしたらよいのでしょうか?

関わる大人が「宿題=嫌なもの」と思わない

まず、親が「宿題=嫌なもの」と思っていると、
「宿題を先にやってから遊びなさい」
「宿題をやってないと、先生に怒られるわよ」
「宿題をやらないと授業についていけないよ」
という類の発言になります。
正論ですが、義務感以外の何物も生まず、「宿題=嫌なもの」という感覚にどんどんなっていきます。

「お、こんな面白そうな宿題もらっちゃったの! ラッキーじゃん。いっしょにやろっか!」
とコメントしてあげると、宿題が少し遊びに寄ります。

新しい単元や新しい種類の宿題が出た時に、
「何それ? どうやるの? ちょっと楽しそうだね、一緒にやろうか!」
と、興味を示し、親子の遊びの一環にしてみる。または、
「新しい課題だね、難しそうだけど、できるの?」
と、挑戦心をくすぐってみるのもいいでしょう。

義務から遊び方向へと変わるような言葉をかけると、子どもの宿題に対する気持ちが変わる可能性があります。まずは親が発想を転換する努力が必要です。
「子どもに努力をさせる」は親側もしんどいものです。それよりも、親が「子どもが宿題をしたくなる工夫」を考えると、うまくいく確率が上がります。

大人の方が宿題に値するネガティブな考えを捨てないまでも、出さないようにすることです。

幼児期に学習習慣を確立してしまう

とはいえ、宿題が嫌なものであることに変わりはありません。

多くの子を見ていると、学習そのものから達成感のような喜びを感じられる子は少なくありません。だけど、めんどうくさくなるときはあります。
原因は、外で遊ぶとかYouTubeとかゲームとかと比較しちゃうからです。そっちの方が楽しいのは仕方がない。

だから、ある程度「あたりまえに学習する習慣」を幼児期に確立してしまう方が、圧倒的に楽で確率は高いです。幼児期なら、やらないと気持ち悪い、自己嫌悪になりそう、くらいの習慣をつけてしまうことは難しくないので。
これは、年齢が上がるごとにつけるのが難しくなります。

嫌なものをやる意味を考える

小学生になってしまって、すでに宿題に対する気持ちがネガティブな場合はどうするのか?

イチローさんが最近の動画でいいことを言っています。

昔の本でも、宿題について語っていました。

プロ野球選手は、サラリーマンよりは「嫌なこと」は少ないかもしれない。それでも、嫌な仕事はある。嫌だけど、やらなきゃならない。それをやるための練習が「宿題」だと。

自制心をつけるトレーニングですね。

それともう一つは印象に残っているのは、宿題という嫌なことがあったから、野球の練習を楽しくできたという話。野球ばかりやっていたら、飽きたり嫌になって続けていなかったかもしれない、と。嫌なことを同時にやるから、好きなことはもっと楽しく感じられた、と書かれていました。

宿題を我が子に強制するのは抵抗がある人が増えてきた印象があるけれど、嫌なことをやることのも子どもが育つ過程では必要なことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?