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人生はラジオのようなものだから


人生はラジオのようなもの


30歳の節目を目前に、そんなことを思う

世の中に溢れるノイズを振り払いながら
周波数を合わせて
自分に合った声を、環境を、選んでいく

最初から用意されている道は
一見、整ってまっすぐ伸びているけれど

根付いた ”こうであるべき” に固められた
張りぼての空虚なものだったりする

立場も環境も気質も
何もかもが違う人たちの言葉は

それが例え親切であったとしても
ノイズになることがある

心が騒ついて落ち着かない時は大抵
ノイズが大きくなって乱されている時

そういう時は、そっと目を閉じて
ゆっくりチューニングをする

最近やっと俯瞰的に「あ、これはノイズだ」と
考えられるようになって、気持ちが楽になった



「すぐ結果病」という現代病


そもそもノイズに過敏に
反応してしまうのは何故か

根本的な原因は
「すぐに結果を求めてしまう病気」
名付けて「すぐ結果病」なのではと思う

・慎重になりすぎて、なかなか始められない
・いざ始めると、他の方法も気になり、いろいろと手を出してしまう
・結果として、全て中途半端な気がして、やめてしまう

当てはまったあなたは既に発症してるかもしれない
自分は見事に全てに当てはまった笑


膨大な情報が凄まじいスピードで飛び交い
いち早く結果を求められる社会が生んだ現代病

それは深く深く刷り込まれてしまっていて
「成果を出さないと幸せではない」と洗脳してくる

他人との比較ばかりで、隣の芝が青く見え、
長期的な指針を見失って、
進んでるのか後退してるのか、分からなくなる

無意識に迫り来るそいつは、かなり厄介だけど
ハッと気付けたら、距離を置くことができる

「あっそうだ!自分は ”すぐ結果病”だったんだ」
「危ない、危ない」

そう認識できると、それだけで気持ちが楽になって
冷静な判断ができるようになる
名前をつけるって重要



処方箋は「内省日記」


「すぐ結果病」が高じて
毎日毎日、考えが転々としていた自分が
少しずつまとまってきて
ノイズを認識できるようになったのは
内省日記を始めた影響が大きいと思う

友人から勧められた
仕事日記をつけよう”という本に沿って
内省日記を書いている

とはいっても

・自分しか見ないこと
・自由に書くこと
・たまに読み返すこと

など、そんなに大それたルールはない

ただ、これが非常に効果的で面白い

10月半ばから始めているけど
気持ちの変動の大きさに自分でも驚く

人間って、いうほど記憶力がないから
何気なく生きてると
同じ思考をグルグルしたり
今考えてることが全てだと思ってしまう


ただ、この日記を読み返すと
過去の考えの引き継ぎができるし
一貫性があること、ないことがハッキリして
突発的な思考の枝葉に惑わされることはなくなる

そして、他人とではなく
過去の自分と比較できるのも良い
歩んでいることが感じられる

もちろん、こうやって発信するnoteも
内省はできるし、繋がっていくし
必要だと思うけれど

自分に向けた、自分だけの日記も
この時代には大事なんだと感じた



大切なことは気付くと当たり前なのだけど
気付くまでに時間がかかることばかり

人生はラジオのようなものだから
細く深く研ぎ澄まして
周波数を合わせていきたい


年内最後の#週1note お疲れ様でした!!
来年もよろしくお願いします。



"楽しい"をつくっていきます。