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人にはそれぞれの輝く場所がある、と思った夜。


42歳の私は、21歳の時にコピーライターになった。
コピーライター歴21年。

人生の半分である。

キャリアのスタートは、広告代理店への「出向」だった。
当時、私は大学4年生。夏休みだった。

広告制作会社のアルバイト(大学卒業後は正社員)として、代理店のクリエイティブ局のなかに、ひとつ席をもらった。

コピーライターとは何かもよくわからない。
代理店と制作会社の違いもよくわからない。
社会人としてのマナーや基本も教わってない。

そんな大学生だった。

出向のチャンスをくれたのは大学のゼミの先生だった。
当時、就活にことごとく失敗して、自暴自棄になり、髪を真っ茶色に染めてくるくるパーマをかけていたような記憶がある。急遽、その髪をストレートに戻して面接に行ったんだったっけ。


今年の9月に出る新刊『売れ続けるネット文章講座』のプロモーションの準備のため、今、いろんな方に声をかけさせてもらっている。

その中に、20年前、出向先の広告代理店で、隣の席だった「彼」がいる。
当時は、私と同じく「制作会社からの出向」だったのに、あれよあれよと、代理店の契約社員→代理店の正社員になり、国内外の大きな賞を受賞しまくり、今や世界に名を知られるアートディレクターだ。

その彼と昨日の夜、メッセージのやり取りをした。3冊目の本が出るからプロモーションに協力してほしいとお願いしたのだ。

コピーライターとして、ずっとパッとしなかった私。結局、代理店には入れなかったし、大きな賞も何も取れなかった。

制作会社の社員として10年間やってきて、妊娠して出産して、育休復帰後に会社にいられなくなって、ほぼクビ状態で退職。そこから、自分で仕事をつくってきた。

大きな代理店の中で、巨大な企業の広告を作り、ブラディングをし、有名になっていった彼は、メッセージのやり取りをしていると、びっくりするくらい20年前と同じだった。変わらないなぁと思った。変わらないって素敵だなぁとも。

20年前、席を並べていた人は、遠く、まぶしい世界に行った。ずっとずっと羨ましかった。

ずっと羨ましく憧れていた、と打ち明けると、「でも、どう考えても、自分の名前で立って、仕事して、お金もらって、また仕事して、責任もとる。ほうがカッコいいし偉いでしょう! 」と言ってくれた。

コピーライターとしては、何の輝かしい実績もない。賞も取ってない。大きな代理店出身ではなく、大阪の制作会社をクビ同然でやめた私は、でも今は自分で仕事をつくり、毎月50名以上の受講生さんたちと向き合い、自分の名前で本を3冊も出せた(3冊目は9月に発売)

誰かと比べて、うらやましいと思う気持ちは、原動力になる。

だけど、人には人の、それぞれに輝ける場所がある。


私はコピーを考えるのも、文章を書くのももちろん好きだけど、誰かの話を聞いたり、人前で話したり、アドリブで何かを発表したり、時間の制限のある中で答えを出したり、そういうことが好きだし得意だったのだろう。

10年前、コピーライターになりたい人向けではなく「個人で仕事をしたい人」向けにやり始めた「キャッチコピーのつくり方」セミナーが、私の転機だった。


彼と対談をするのが楽しみでならない。


(『売れ続けるネット文章講座』の発売に向けて、新たなチャレンジをたくさんしていきます。またこのnoteでもお伝えしていきます)



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