言葉に力がある人、薄っぺらい人。
同じようなことを書いたり話したりしていても、
「言葉に力がある人」と、「なんか薄っぺらい人」がいる。
その違いはどこにあるのだろう?
「こう書けばいいんでしょ」と当てに行った文章に力はない
20代で広告の会社に入った。私はコピーライターだが、新しい仕事が入ると、まず、デザイナーやディレクターさんと、「アイデアを持ち寄る会議」があった。
数年して慣れてくると、アイデアを出す際に、「自分が本当にやりたい案」と「クライアント(広告主)が喜びそうな案」を出すようになった。クライアントが喜びそうな案は、「当てに行く案」と呼ばれていた。
こういうこと、言っておけばいいんでしょ。
こういうビジュアル、お好きですよね?
世の中に出ている広告をみても、制作者が「当てに行った」んだろうなーと思うものがある。
一方で、「どうしてもこれを伝えたい」と誰か1人の熱量を感じるものもある。
作り手・書き手の熱量を、読者は無意識に察知している。
なんとなくこういう風に書けば、読者は喜ぶんでしょ。
見ている人のレベルに合わせたら、こんなもんでしょ。
これほど失礼なことがあるだろうか。自分が読者だったら、馬鹿にすんなと思うだろう。
「相手の目線に立つ」ことと「こういう風に書いとけばいいんでしょ」は全く違う。
これが自分の言いたかったことだ!と腑に落ちる時がくる
私は今、「自分を売り出す文章構築アカデミー」という6ヶ月間12回の連続講座をしている。
「自分の思いがうまく言葉にできない」と悩む人が、自分の価値を言葉にして、自分だけのビジネスを構築していく講座だ。
「自分の思いをうまく言葉にできない」とみんな口を揃えていうが、質問をしていくと、パッと顔が輝く瞬間がある。
書こう、書こうとしていたら書けなくても、誰かに話を聞いてもらったり、質問してもらったことで、自分の思いが言語化できた、という経験は誰しもあるはずだ。(多くの人は、その時に自分が言った言葉をすぐに忘れてしまうのだけれど)
ああ、これが自分の言いたかったことだ!という自分の中の熱い部分を見つけるのは安易ではない。
とくに、「こう書けば売れる」と言われるテンプレに沿って書くのに慣れていたり、「Twitterではこの書き方をすればバズる」とどっかの誰かが言っているものを真似していたり、そういう「型だけそれっぽい」文章を書いている人は、自分の核にあるドロドロした部分に触れたことなんてないんじゃないかと思う。
自分が本当に伝えたいことが、どこにあるのか、まず見つける。熱量のある文章を書くには、それが最初の一歩だと思う。
次に考えるのが、「相手が受け取りやすい言葉で書く」ということ。自分の熱量をあついまんま、ドロドロのまんま、相手にぶつけても、相手は受け取れない。一瞬で避けられてしまうし、意図せず相手を怪我させてしまうかもしれない。
「なんとなくそれっぽい文章」ではなく、自分の言葉で伝えたい方へ
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