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個人発信は、自分に「取材」するように。


「現場に行かないと書けないことを書きなさい」
料理雑誌の取材ライターをしていた頃、編集長にいつも言われていた。

個人の情報発信も同じだと思う。

どんな業種でも、現場にいる人にしか書けないことがある。


「賢そうな評論家になるな」「ネタは現場にある」
つねに自分に言い聞かせています。


心に引っ掛かったことをマークし、自分に質問していく

日常の中にネタは転がっている。
それに気づくか、気づかないか、がまず第一歩。

「面白い」「なんか好き」「なんか嫌」「何これ?」「なんか気になる」

心に引っ掛かったものを、マークしておく。メモったり、写真を撮ったり、かんたんにTwitterに書いたりしておく。

次にそれを掘り下げる。気付いたそのネタを、どうやって「読者の興味があること」に変換するか。

ここで登場するのが、「質問」だ。

自分を取材相手にして、自分に取材していく。簡単な質問でいい。ポイントは、声に出すこと。頭の中で考えるだけでなく、実際に声に出す。

「なぜ、それが気になったの?」(Why)
「気になった時、どんな気持ちだった? 色で言うと何色みたい?」(感情)
「ほかに、今までどんなときに、同じような気持ちになった?」(経験)
「その出来事、誰に伝えたい?」(Who)

●自分が何かをやって上手くいった場合は、たとえばこんな質問。

「なんでそれがうまくいったの?」(秘訣)
「大事にしているのは、どんなところ?」(価値観)

●映画を見たり本を読んだりして感動したなら、

「具体的に一番気になったシーンは?」(What)
「最も印象に残ったフレーズ(やセリフ)は?」(What)

●誰かのセミナーや講座に参加したなら

「どんなことに悩んでいたり、どうなりたいと思って参加したの?」(動機)
「学んだことを生かして、まず何をする?」(What)
「もし、自分だったら、どんなふうに人に教えられそう?」(How)

などなど、

ポイントは、「自分と同じような経験をした人が、目の前にいたとしたら、全く他人の自分だったら、何を聞きたいか?」を考えること。

自分を、自分以外の誰かと思って聞くのだ。


言語化できていない、その場の雰囲気までも伝える

取材では、相手の言葉だけに注目せず、その場の雰囲気までも伝えるようにする。自分に取材する時も同じだ。

何を聞かれたら、嬉しいか。どの質問の時に、テンションが上がるか。どういう観点からの話なら、たくさん話せそうか。

何を聞かれて答えるときに、声に力が入ったか。いちばん力説したのはどこか。

聞かれても、答えられない質問の場合は、なぜ答えられないのか。そんなことを考えたことがなかったからか、そういうことを聞かれるのが嫌なのか。

聞かれて嬉しいなと感じた時、自分は何をしたか。観察する。身を乗り出すのか。照れたように顔を触るのか。
聞かれて困る質問をした時、自分は何をしたか。椅子に座り直したのか。えーっと言いながら、身を反らしたのか。

そうやって自分自身の心の中や、無意識の行動を観察していくと、人は、どんなときにどんな気持ちになって、その感情が発現したときにどういった行動に出るかもわかってくる。


概念ではなく、具体的な出来事を書く

文章を書くとなると、概念ばかりを書いてしまう人がいる。

頭の中でこねくり回した、それっぽいことをいくら書いても、読み手は、実感を持って自分ごとと捉えられない。ぼんやりとしか伝わらないのだ。

概念を書くのではなく、自分が経験した「できごと」を積み重ねて書く。
その時の情景まで目に見えるように、声が聞こえてくるように、興奮が伝わってくるように書く。

そのために大切なのが、「観察」なのだ。


業界では当たり前のことが、一般人は知りたいのだ

日常の出来事を掘り下げて書きましょう、と言うと「そんな、人に聞いてもらうほど、大したことは日常に起きない」と答える人がいる。

違うのだ。できごとの大小は全く関係ない。

ドラマみたいなことは日常には起こらない。それを待っていても仕方がない。

人が誰かの文章を読んだり、動画や音声などの発信を見て「その人のファンになる」のは、できごとのインパクトではなく、「その人から溢れ出ている人間性」なのだ。

「何を語るか」の奥にある、その人の人間性(何を考え、何を大事にしているのか)を見ているのだ。

こんなことは、誰でも知っています。同業者がみんな言っていることだから。それ、本当? 
同業者が知っているだけで、一般には知られていないことはたくさんある。

同業者がまだ言っていないことを書こう!と意気込みすぎると、誰も求めていないマニアックすぎる内容になっていくだろう。それでは読者が置いてけぼりだ。

ありふれた日常の中に「自分なりの視点」でマークをつける。そこに「他者としての自分」として質問していく。

他者としての自分は、読者である。よく言われる「読者目線に立ちましょう」は、自分を自分の体から話して、別の人間になって質問してみましょう、ということだと私は考えている。


どこかで聞いたようなテンプレではなく、自分の言葉で発信したい人へ。

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