2021年はまるで、夜明け前の高速道路だった。
走行中の車が少ない中、自分のスピードだけにとらわれて走行していると、後ろからものすごいスピードで追い越され、自分の遅れに気づく。
いつになったら夜が明けてくれるのだろうかと悩み、世の中に少しの光が差してきたと思ったら、トンネルに入った途端にまた暗くなる。
2021年は、その繰り返しだった。
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大学4年生。
コロナ禍かつ授業数が減り、人と会う機会がさらに少なくなった。その中で就活をした。
就活で自分とは何かを突きつけられ、
自分の長所と短所を考えた。
長所といっても、自分だけの特別ないいところというわけでもなく、それってみんなもってるじゃん、と思う。
見つけ出した短所だけが自分の記憶に残る。
自分と向き合うことが苦しくなって、外は晴れているのに家の中にこもり、ただ重だるさだけを感じている無気力な自分がいた。
自分を労るための「何か」をしてあげたいけれど、もう労る「何か」を考えることも、労るために体を動かすことも面倒になった。
自分は今まで何のために生きてきて、これから何のために生きていけばよいのだろうか。
「何のため」に当てはまる答えが見出せず、当てはまる答えがないのならば、私が生きている理由などあるのだろうか、と思ったこともあった。
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WEBテストなんて誰かに受けてもらうのが「普通」なのかもしれないけれど、
学歴不問と言っておいてWEBテストを受けさせることがどうしても理解できなかったり、
自分は解けないにも関わらず、「WEBテストで落とすような会社なんて」と思ったりして、
真面目に、家で、1人で、受けた。
こんな理由をつけているけれど、本当は、
「WEBテスト代わりに受けて」
とお願いすることも面倒くさければ、
そんなことをお願いできる友達もいなかった、
という方が正しい。
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今度こそ!と思っては、毎度滅多撃ちにされるWEBテスト。
テスト終わりに、行きつけのカフェのコーヒーを、ご褒美として清々しい気持ちで買うつもりだったのに、見事な手応えのなさに、買う気さえ失った。
がんばったご褒美、なんてもの、この日の自分には釣り合わないと思っていた。
だけれど、「がんばったご褒美」になかなかありつけない自分にガタがきて、「がんばったことにしよう、、」と決めて、カフェに向かった。
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買いに行く途中、頭の中はWEBテストのことばかり。
「もう終わったことだ」と切り替えられず、
そういえば昔から気持ちの切り替えができない人間だったなと思い出して、さらに嫌気がさした。
そんな中、カフェに行く途中にある小さな駅のホームに、3歳くらいの女の子がいた。
その子は、片方の手でお母さんの手を握り、片方の手を私に向けて、その手を小さく横に振っていた。
わたしはその子に笑顔で手を振り返した。
女の子と目が合い、手を振って、お別れをするまでの5秒間。
たった数秒間のことだけれど、小さな女の子が何の恐れもなく知らない人に笑顔を向けてくれること、そしてそんな平和な世の中があることが、涙がでるほど嬉しくて、この世も捨てたもんじゃないなと思った。
だけど、こんなに素敵なことに気づけたのに、
自分が小さなことで気持ちがフラフラしてしまう人間に思えて、また自分のことが嫌になり、気持ちの整理がつかなくなった。
そして、帰り道の夕焼け空を見上げた途端、
すーっと涙がこぼれてきて、その涙に気づいた頃には、マスクだけでは隠し切れないほど涙が溢れていた。
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唯一選考が進んだ第一志望の企業。
大学受験のとき、すべり止めは全落ちして、結局第一志望だった今の大学に合格した。
だから、就活もきっと同じパターンなのだと少し期待していた。
しかし、お祈りをされ、内定はもらえなかった。
こんなとき、いつもの自分なら大泣きして、絶望の渦へと沈んでいく。
しかし、この時の私は、ちっとも泣かなかった。
なぜなら、やりたいことを実現できる自分にやっと出会えそうな気がしたから。
「やりたいこと」
それは
「祖母の味を学ぶこと」
「映画×食」をテーマに卒論を書く中で、
本来手間暇をかけて作られていた日本食の伝統が、いつか本当に失われてしまうかもしれないという危機感が、実感としてあった。
上京前は祖母がつくった野菜や保存食を当たり前のように食べていて、それらは何もしなくても家にあるものだと思っていた。
しかし祖母は、私たち家族が仕事や学校に行っている間、見えないところで、1人、せっせと苦労し、長い時間をかけて、私たち家族が生きていくために、それらを作ってくれていた。
それに気づいたとき、どんな手間がかかっているかも知らないで、「伝統が失われていく」なんて簡単に言ってはいけないと思った。
だから、今、私がやりたいこと、最優先したいこと、それは「祖母の味を学ぶこと」なのだと気づいた。
就職してもできるじゃないか、ひとまず就職すればいいのに、など思われるかもしれない。
だけれど、就職してから、とか、仕事をしながら、なんて悠長なことを言えるほど、時間はもう残されていない。
だって、85歳の祖母が、いつ遠くにいってしまうか分からないから。
祖母が遠くに行ってしまったら、何も教えてもらえないまま、「教えてもらいたかった」という後悔だけが残ってしまうような気がした。
本音を言うと、東京を離れるのは割と辛い。
色んな芸術に触れられる東京は、わたしにとってすごく素敵な場所で、卒業したら地元に戻るなんて思ってもいなかったし、東京で就職するつもりだった。
だけど、「東京で就職」と「祖母の味を学ぶ」を天秤にかけたとき、自分の中で後回しにできないのは、後者だった。
実際、ずっと生き続けるんじゃないかってくらい元気な祖母だけれど、年々体力がなくなってきて、「今年は〇〇つくらなかった」と言うことが増えた。もしかしたら、卒業する前に遠くへ行く可能性だってある。
もう本当に時間は待ってくれない。
「就職だけが全てじゃない」と世間はいう。
それなら、「祖母の味を学ぶ」ために地元に戻ることだって、1つの進路として胸を張っていいことだと自分に言い聞かせた。
「就職しない」という選択。
第一志望の企業に落ちたけれど、それは、大胆な決断ができない臆病な私に、神様が「こっちの道に進みなさい」と一歩踏み出すための勇気を与えてくれたんだと思う。
遠回りかもしれないけれど、友達との下校中の寄り道が楽しかったように、案外遠回りの方が楽しいのかもしれない。
そう思うと、いっそのこと遠回りの人生を送ってやろうという気持ちになった。
ただ、そんな風に明るく構えていても、
やっぱり時々不安になることはあった。
でもそんなときに支えてくれたのが、
映画や本、音楽だった。
自分の人生を自分の視点でしか生きられず、
悩んで苦しんで踠いていたことを、それらは一気に解決してくれる。
知らなかったこと、気づけなかったことを教えてくれるし、励ましてくれる。
すてきなものを生み出せる才能を持った人、生み出そうとしてくれる人、それらを心の底から楽しんでいる人が、この世の中にはたくさんいて、
映画ゼミにいる私には、映画について、どこがよかったとか、どこが美しいかとかを真剣に話したり聞き入れたりしてくれる仲間がいる。
世界中には胸が締め付けられるほど苦しい出来事がたくさんあるけれど、そんな世界にもまだまだ「幸せ」が溢れているんだと気づいたとき、生きててよかったと思う。
たまらなく嬉しくて、泣きたくなって、実際に泣いたこともあった。
一度ではない、何度も。
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暗闇に少し光が差して、前に一歩進めたと思いきや、また不安になって、トンネルの中を走った。
もう、すぐそこに、2022年が待っている。
学生ではなくなり、新しいスタートを切る準備をしている段階の私は今、トンネルの出口付近にいるような気がする。
このトンネルを抜けたら、世の中はもう少し明るくなっているのだろうか。
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