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50を前にして

 あと数ヶ月で年齢が49になる。
80でこの世を去ると考えるともう遠の昔に人生の折り返し地点を通過してしまったのだなと感慨深くもある。
思い返せば決して順風満帆ではなかった私の人生も30を過ぎた辺りから落ち着きだし、今ではまるで隠居した老人のような心境である。
 色んな出来事により疲弊してしまった心を自分なりに解釈し乗り換えてきたつもりではあったが、ここへ来てある事から当時の感情がぶり返し、軽いフラッシュバックのような症状が出て、ああ、私は一生「コレ」を抱えて生きていくんだなぁとしみじみと噛み締めたものだ。

 私の身に起きたことは、もっと辛い体験をした人からしたらほんの些細な事かもしれない。世の中にはものすごい経験をして苦しみもがきながらも生きていらっしゃる方々が沢山いる。今も尚苦しみ、それでも頭を上げ生きている人、頭を上げることすら出来ずに蹲りながら日々をどうにか生き繋いでいる人。
そんな猛者からすると私なんてひよっこだと、なんでもない事だと何処かで思い込もうとしていたようにも思う。
 決して不幸自慢をしたい訳でも無く、可哀想な私を見て欲しい訳でもない。ただ、50を前にして、今一度自分の過去の事をこうして文字にし、改めて俯瞰的に自分の事を見つめてみたい気持ちになったのだ。
 それによって癒されるのか、はたまた掘り返すことによって苦しむことになるのかは分からない。もしも、今もっか苦しんでいる人がいるとしたら、何かしらのヒントになってくれれば幸いだとも思うし、それでも生きていれば面白い事もあるんだなと思ってくれれば嬉しいと思う。

 また、私の記事が何かしらの心の反応を示してしまうならば直ぐに読むのをやめて欲しい。些細な事からでも人は過去に起こった苦しみを思い出してしまうものなのだと身をもって知ったので。
あなたの身を守るのはあなたしかいない。
だから、少しでも「嫌だ」と思ったらスマホを閉じて欲しい。




小さい頃の性的いたずら

 それが始まったのはいつ頃だったのか記憶には無いが、一番古い記憶を遡ってみると小学二年の時には既に私はソレを知っていて本能的に「まずいことになった」と思っていた。
 私には男の従兄弟が三人いる。母の姉、私の叔母にあたる人の三人の息子たちだ。その従兄弟の長男、当時大学生の、私の中のあだ名は「ナメクジ兄ちゃん」が当時私が住んでいたY市の大学に通うため我が家に居候する事になったのだ。
 私はこのナメクジ兄ちゃんから性的ないたずらを受けていた。だから、一緒に暮らす事になったと聞かされた時に「まずいことになった」と思ったのだ。が、という事はもっと小さい頃からそういう事をされていたということになる。それまで別々に暮らしていたのに一体いつから始まったのか全く覚えていないのは、敢えて記憶に蓋をしているか、小さすぎて覚えていないのかのどちらかだと思う。

  私の両親は私が三歳の頃に離婚し、私は母方の祖父母の元に引き取られた。二階建て長屋の一番端の家で小さな庭がついていた。一階は玄関を入って目の前に階段。左手に台所があり、ガラス戸をひくと居間。その奥に仏壇や箪笥の置かれた一間。その向こうにトイレと風呂場があった。
二階は襖で仕切られただけの二間があり、その一部屋がナメクジ兄ちゃんの部屋となった。祖父母と私は二階のもう一つの部屋で川の字で寝ていた。

 ナメクジ兄ちゃんは、日曜日の朝、朝早い祖父母が起き出して一階へ降りていくと、まだ寝ている私の上にのしかかってくるのだ。「怖くないよ」と言いながら。
 怖くないはずがないだろう。まだまだ7歳の子供でもそれが異様である事は分かっていたのだ。
「嫌だ、やめて」と抵抗する私の下着に無理やり手を突っ込み、下半身をまさぐりキスをする。怖くて怖くて体が固まり、それでも何とか抜け出して慌てて階下へ降りていく。そんな事が毎週毎週行われていた。
 ここで、私は当時の私に対していつも不思議に思うのだ。
 何故祖父母にその事を話さなかったのか。
今なら大声を出して周りに助けを求めるだろうし、思いつく限りの罵詈雑言を相手に浴びせかけると思うが、当時の私はただただ怖がり逃げ出すことばかりを考えていた。それでも、こっそりと祖母に打ち明けたっていいはずだ。
なぜ誰にもSOSを出さなかったのか。
 一つには、父母が離婚して祖父母に「預けられている」という意識があった。だから迷惑になるような事になってはならないと思っていた。母からも「いい子でいるように、迷惑をかけるな」と言われていたのかもしれない。周りに望まれる自分でいなければ、と思っていたのだ。
もう一つ。そんな目にあった子だと思われるのが嫌だった。これは大きい。
なぜ嫌だったのだろう。例えば虐められている子が親に虐められている事を話せないという話を聞いた時にすごく共感した。
「心配をかけたくない」のとは違う。虐められている私、従兄弟から性的いたずらをされている私、それを周りに知られることがとても嫌だったのだ。矜恃、とでもいうのだろうか。

 しかし、周りに言わないという事がナメクジ兄ちゃんを増長させた。そんな私の態度に許されていると思ったのか、遂に平日の祖母が買い物に行って家にいない時にも部屋に呼ぶようになった。
部屋に行けば何をされるのか分かっているのに、しかし私は行くのだ。
何故? 分からない。嫌で怖くてたまらなく、なんなら階段を登っている時にわざと階段から落ちて怪我をしてしまえば行かなくて済む言い訳ができるかもとまで思っているのに、その時の私は「何も分かっていない純粋無垢な私」を演じて階段を登って行くのだ。

 ここで、児童性的虐待の加害者の殆どが言うセリフがある。
「向こうから誘ってきた」
「お互い合意の上だった」
 これである。そんなものは加害者の手前勝手な幻想でしかないのだが。例え誘われたとしてもまともな大人は子供に手を出したりしない。悪いのは手を出す大人であって子供には一切責任はないと言っておきたい。
どう思ってそんな事をしていたのか、今なら本人に直撃インタビューしてみたい気もする。抵抗はするが周りの大人に言わない、ほいほい呼ばれてやってくるという事は受け入れられていると感じていたのかもしれない。知らんけど。

 私はどこまでも「何も分かっていない純粋無垢な子」を演じて、なんなら笑って「くすぐったい」等と言いながら抵抗していた。本当は死にそうなほど怖いのに。
 
 

大人の反応

 こんな事が続いていればいつか大人も「何かおかしい」と気づくだろう。
初めにおかしいと思ったのは祖母だった。
「宙子はなぜいつも階段を駆け下りてくるのだろうか」
 日曜日の朝である。いつもなら学校へ行く為早起きしないといけないところ、のんびりと朝寝坊出来るというのにドタドタと音を立てて駆け降りてくるのだ。
 祖母が祖父に言っているのを聞いた私はバレると緊張したと共に「ああ、やっと気づいてくれた。これで終わる」と安堵した。が、次の瞬間、その期待は踏みにじられる。
祖父は「なんでもない」と言ったのだ。
 その一言を聞いた時、ああ、この人達は気づいていると思った。眉を顰める顔、低く落とした声、その空気から、気づいてはいてもこの人達は何もしないことを選んだのだと。
それから、小学校を卒業して母に引き取られるその日まで、私はナメクジ兄ちゃんの良いようにされていたのだ。

 ここで一つ。結局あなたも受け入れていたのでしょうと思う人がいるかもしれない。
確かに受け入れていた、と自分でも不思議でならない。しかし、これだけはわかって欲しい。本当に、本当に嫌でたまらなく怖かったのだ。
 これは、本当に未だに処理できない心理ではあるのだが、日曜日の朝に関しては本気で抵抗していたくせに、部屋に呼ばれた時は何故「よく分かっていない無垢な子」に徹していたのか。
気を使っていたのか、こんなの違うと思いたかったのか。
 日曜日の朝に関しては寝込みを襲われていたので本能的に逃れようと抵抗したが、「おいで」と呼ばれた時はその事を私が認識していると思われたらいけないと思っていたように思う。『そういう事』を私が分かっているという事を誰にも知られたくなかったのだ。それは、自分の身を守る為に認めたくなかった為の防衛本能だったのか、未だにわからない。
 ちなみに、何故ナメクジ兄ちゃんなのかと言うと、体を這う手の感触と、口の中に入ってくる舌がナメクジのようで気持ち悪かったからである。

 今はもう儚くなってしまった祖父母に対して、私は愛しか抱いていない。父、母のように育ててくれたのだから。
臭い物に蓋をする、都合の悪いことは見て見ぬふりをする、大きな問題に発展しそうな物事に関して知らないふりをするというところはあり、大人としてどうかとは思うが、良くも悪くも誠に人間臭い弱さの持ち主達だったのだろう。戦争を経験し、理不尽な思いを沢山してきて生き残り、逞しく日本を支えてきた人たちである。それでも、弱かったのだ。
 解せないのは、ナメクジ兄ちゃんの母である叔母である。
 これは、小学校二年のナメクジが我が家へ居候してくる前の事だったと記憶している。何歳の頃かはあいにく覚えていない。
叔母とナメクジが我が家へ泊まりに来た事があった。
その、まだ夜も開けきらぬ薄暗い未明時、私は体にのしかかる重みと顔にかかる息に目を覚ました。
ナメクジが、乗っかってきていたのだ。
私の右には祖母、左には祖父が眠っていて、隣の部屋には自分の母である叔母が寝ているにも関わらずだ。
思わず声が出てしまったのだろう、ナメクジは私の口を塞ぐと「し」と言った。「怖くないからね」と欲でたるみ切った顔をニヤリと歪ませて妙に粘つく声でそう言うと寝巻きの中へ手を差し入れ体をまさぐってきた。そして、下着の中に手を入れてきたのだ。キスもされたと思う。
そこに「あんた何やってんの!?」と叔母の声がして部屋の電気がつけられた。
祖父母も起き出し、叔母の手によってナメクジは引き剥がされたが、これが特に問題にならなかったのだ。
「兄ちゃん嫌やなぁ。ごめんなぁ。叔母ちゃんがよく言い聞かせておくから。許してやってなぁ」
 以上である。
今のように児童虐待が問題になどなっていない頃だ。大人の女の人への婦女暴行ならまだしも、相手はまだ小さい子だし大丈夫だろうと思ったのかもしれない。
息子を庇う母の心境なのか。目の前で息子が幼い女の子に乗っかっているのを見てどう思ったのか。許してあげてと言い、本当に許されると思っていたのか。
 後々、叔母に実はずっとナメクジからこういう事をされていたと話したことがある。叔母は、え、と驚いてはいたが、あの時と同じように「兄ちゃんがごめんなぁ。いやらしいなぁ」と言っただけでそれ以上は何も無かった。

 中学一年でO市に住む母の元へ引き取られることになった。祖父母が叔母の家(祖母の生まれ育った家)に引っ越すからという事だったと思う。聞かされた時はもう決まっていた後の話だったので私の意思はそこには無い。
 母はスナックをやっていて店舗付き住宅に住んでいた。一階が店、二階にダイニングキッチンと母の寝室、三階が私の部屋と和室(空き部屋)である。
ここでも本当に色んなことがあったのだが、それはまた別の機会に話すとする。
 ある夜、部屋に大きな蜘蛛が出た。私は怖くて店にいる母に「蜘蛛が出た。どうすればいい」と電話をした。しばらくして、部屋に入ってきたのは、母ではなくてナメクジ兄ちゃんだった。驚く私に「ちょうど飲みに来てたから」とヘラヘラ笑いながら蜘蛛を取って窓から捨ててくれた。ありがとうと礼を言って出て行ってもらおうとしたが出ていかない。これはヤバイと自分から部屋を出ていこうとしたところを後ろから襲われた。
 もう子供ではない、多感な時期の女の子である。今まで感じていた以上の恐怖に体が強ばるのを無理矢理に動かして部屋中の物をなぎ倒して抵抗した。ナメクジは少し焦ったようで私を押し倒し、力づくで事に及ぼうと必死の形相だった。目がいっていた。私も負けじと思い切り頬を打ち、体を蹴り上げた。怖くてたまらなかったがなんとかすり抜け階段を駆け下りて母の寝室へ鍵をかけて閉じこもった。ナメクジは追いかけてきて、今度は甘えるような粘っこい声でドアノブをガチャガチャとさせながら「ごめんな、ごめんな、出てきて。もう何もしないから」と私を呼んだ。
 怖くて体が震えて涙が出た。早く下に降りて欲しかった。
どれくらい時間が経ったのか、なかなか降りてこないナメクジを不審に思ったのか母が階段を上がってくる足音が聞こえ、ナメクジが「大丈夫、うん、うん」と受け答え母と共に下へ降りていく音がした。
私は母の部屋から自分の部屋へ急いで戻り、部屋に鍵をかけて泣いた。
 夜中、眠れずにうずくまっていたら店が終わったのか母が私の名を呼んで部屋の扉を叩いた。部屋のドアを開けたが、母はお酒が入っていて目がすわっている。
「大丈夫か? あんたをどうこうしようとしたってあの子から聞いてんけど」
 母に起こった事を、これまでの事も全て話そうとした時、その母の後ろに知らないおじさんが笑顔で立っているのが見えた。お客さんらしい。が、何故、娘が襲われたって時に見知らぬ男性を同伴して来るのか。
 その人に聞かれたくなくて黙っていると何をされたのか、触られたのか、としつこく問いただされ、終いには「入れられたわけやないんかいな。しょうもな」と吐き捨てられた。
「そんな顔して、最後までされたんかと思ったわ。なんやそんな事。行こ行こ、ほんま大袈裟なんやから」と、そのおじさんの背中を押して店に戻っていく母に、もう誰も私の気持ちをわかってくれる人はいないんだと絶望した。

 変な話、ナメクジ兄ちゃんにされた事は未だに私の精神を攻撃しては来るものの、それ以上に大人の、特に身内からされた仕打ちの方がダメージが強い。
守ってくれると思っていた祖父母、叔母、母が守ってくれなかった、守るどころか見ぬふりをし、無かったことにし、傷口に塩を塗りつけるような事を言う。その事が酷く私を傷つけ、その傷は深く未だにここにあるのだ。

 

プロポーズと終焉

 私が高校生の時。
ナメクジから電話があった。今から会いに行きたいと言う。話があるとの事だった。まさか、あの時のこと、これまでの事を謝ってくれるつもりなのだろうか。
 この頃、祖父母は叔母の家からO市のうちの家の近くに引っ越してきていて、もう家の近くまで来ている、今から行くと言うナメクジと二人きりで会うのは危険だと祖父母の家でなら会うと答えた。
保険に、友達に電話をして祖父母の家に30分後に来て欲しいと頼んでいた。

 祖父母の家にやってきたナメクジは、何やら嬉しそうに微笑んでいた。祖父母が時代劇を見ている横で、私に腕時計を渡し、「結婚しよう」と言ったのだ。
 ──は?
何を言っているのか?
お前がこれまで私にしてきた事を忘れたのか?
全く意味がわからない。なんやこいつ、そもそも人間なのか?
私は「出来るわけないやん」とか何とか言ったと思う。ナメクジは得意げに笑うと「知らんのか? 従兄弟同士でも結婚は出来るねんで」と胸を反らせて言った。
 もう一度言うが、祖父母は真横で時代劇を見ているのだ。そんな、なんかよく分からない事になっているのに無視である。
そこも「おいおい」とは思ったが、何よりもナメクジに「おいおい」なのだ。
 私はもう全身に怒りが漲り、物凄く淡々とナメクジに詰め寄った。
これまでお前がしてきた事を許さない。
どれだけ私の心に傷をつけたのか分かっていないのか。
そんなお前が私に「結婚しよう」?
する訳ないやろ死ねくらいは言ったと思う。
ナメクジは、すごく傷ついた顔をして目を涙を浮かべた。まるで受けてくれることが決まっていた一世一代のプロポーズを断られた悲劇のヒロインの態なのだ。
 散々言いたいことを言った私に、ナメクジはあろう事か涙を流して「俺にどうしろって言うねん!」と怒鳴った。
 もう私はあんぐりと目の前の生き物を見るしかなかった。
どうしろって……それを私に聞く?
一生罪の意識を持って罪悪感を抱えて苦しめと思った。もしくはもう二度と目の前に現れないようにするか死んでくれと。
「なぜ、私にあんなことをしたのか」
 私の問いに、ナメクジが答えたそれは、私の思想をフリーズさせた。

「宙子が赤ちゃんやった時に、俺に懐いてた宙子を見てお母ちゃんが二人は将来結婚したらええなって言ったから。その時から、俺は宙子と結婚するって思ってたから」

 子供の頃、仲の良い男の子と女の子を見て、とても軽い気持ちで「将来結婚したりして」なんてママ友さん同士が笑い合うことってありますよね。
叔母は、決して本当にそんな事思ってもなくて、言ったことすら次の瞬間には忘れてるくらいの軽口だったと思う。いや、そうでしょうよ。
 ただ、ナメクジは、それを本気に捉え、記憶も定かでないくらいの幼女を、ゆくゆく自分のものになるのだからという手前勝手な思い込みだけで性の捌け口にしようとしてたのだ。しようとしてたというか、実際していた。体がまだ出来上がる前から痛がる私のそこに指を入れようとしてみたり、開発しようとしていたのだ。自分の物だから。

 もう、想像の斜め上過ぎた答えに、怒りというかどうしたらいいのか分からず、ただただ呆れ返ってしまい、「ないから」と時計を返して、丁度来てくれた友達と、ナメクジを放置して祖父母の家を後にした。
 友達にはその時初めて全てを話した。
ビックリしながらもとても親身に話を聞いてくれ、プロポーズの話には笑ってくれて救われた。終始時代劇から目を離さなかった祖父母の事も笑い飛ばし、もう笑って全部無かったことにしたいと思った。

 それが、ナメクジ兄ちゃんから受けた被害の終息だった。次の日、叔母から電話があって「昨日兄ちゃんが泣きながら電話をかけてきてなぁ。女の子に振られたんやって」と言われた。
それは私のことだと思う、と前夜のプロポーズされた話からこれまでの事の話をしたと言うと、
「宙子ちゃんやったんかいな。なあんや」と笑っていた。この時既にナメクジからどんな事をされてきたのか話して知っていたのにだ。
どこまでもダメな大人である。


 本日はここまでとします。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

 こうして客観的に物事を見ると、やはり異常だなと思います。私はずっと孤独で、誰にも分かって貰えない辛さと、受けなくていい言葉や態度に晒されて本当に虚しく悲しい思いをしました。二次被害とはこの事かと。

もしも、読んでくださった中に娘さんをお持ちの方がいらして、そういう目に遭ったとなった時、とにかく抱きしめてあげて欲しいです。あなたは何も悪くないと言ってあげて欲しい。
どうして何も言わなかったの、どうして逃げなかったの、受け入れてしまったのと責めないであげて下さい。
決してあなたの感情をぶつけてしまわないよう、ただ寄り添ってあげて欲しいです。そして、適切なケアを受けさせてあげてください。

次は母の事など書いてみようかと思っています。

ありがとうございました。


宙子
 


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