見出し画像

心の病かもしれないキミと。

ある凶悪事件の報道を受けて投稿されたSNSが目に留まった。
「誰がどう聞いても統合失調症。セーフティネットから漏れてそこらじゅうにいるかもしれないのは密かに脅威」。
たしかに。こうしたニュースは見ていて辛いし、時折起きるからこわい。でも一方で、この投稿になんとも言えない苦しさも覚えた。私には、その病を強く疑う友人がいるのだ。

何言ってるの?

友人は、天真爛漫といえば天真爛漫。ある意味ピュアで真正直、世間知らずなところもある。そんな彼女は、昔からやけにプロポーションを気にしていた。思春期なら誰でもそういう時期があるのだろうけど、太ってもいないのにそこまで気にするのは異常、と思えるほど。

ある時彼女はジムに通い始めた。鍛えて筋肉美を手に入れたいという。やればやるほど効果が出るとすっかりハマっている様子。こうなると、ちょっと危なっかしくなってくる。長い付き合いの中で、彼女が異様にハマる・急接近するときには、たいていよろしくない事態が起きるのだ。

しばらくして、トレーナーについてもらっていると聞いた。結構本気なんだなと思っていたら、やはり妙なことを言うようになった。
「私は皆に崇められている女性の次代に任命されたらしい。それを知った人たちが陰口をいう。私だって、なりたいなんて思ってないのに」。

何言ってるの?と思ったが、彼女が言うには、
皆が崇めるプロポーションの素晴らしいAさんという女性がいて、誰が決めたか自分がその女性の後を担うことになった。それをよく思わない人たちから誹謗中傷を受けている、という。

その後話は次第にエスカレート。
「ジムにいると、『あれじゃAさんになれっこない』『よくあんな格好を曝け出していられるよね』と陰口を言われる」「どうやら皆、○○教の人らしい。何万人もいる宗教団体だから敵に回したらこわい」という。
どこをどう切り取っても「なわけない」な話だが、本人は至って深刻。毎日まいにち「あんなことが、こんなことが」と連絡してくるものだから、ジムをやめては?と促した。こちらだって、そんな話に付き合いきれない。

それからしばらくして、彼女はジムを退会した。「せっかく趣味を見つけたのに残酷なアドバイス」と恨み節を言われたが、お金を払っているのも通っているのも本人。しばらく放っておくことにした。

やばいねこれは。

退会からしばらくして、「○○教の人が家のまわりをうろうろしては聞こえるように悪口を言う」と連絡がきた。「泣く泣くジムを辞めたのに、いい加減にしてほしい」という。『泣く泣くジムを辞めたのに』って、いい加減にしてほしいのはこっちだよ、と私もため息が出る。

それから彼女の「聞こえるように悪口を言われる」「見張られている」話は、日に日にエスカレートしていった。
ある時、「家の中に監視カメラがある!」と連絡がきた。あまりの騒ぎに一応駆けつけてみると、「ここ!」と指さされたのは、柱の中央を縦に走る割れ。「前はこんな溝なかったのに、誰かが木に溝を彫ってカメラを仕掛けたみたい」。
まじか。心の中で深いため息が出る。

一般に、無垢の木の家は年月が経つと材木に割れが入ることがある。木に含まれていた水分が抜けた証だ。彼女の言う「誰かが彫った溝」は、柱の「割れ」。当然裂け目を覗いてみたってレンズはないし、入れようもない。それでもここはきちんと説明せねばと監視カメラじゃない理由を懇切丁寧に説明した。
すると彼女はすぐに話を切り替え、「じゃぁこれは?これは絶対カメラだよ!」と、あちこち指さす。どれもこれも「なわけない」ものばかりだが、必死に食い下がる姿に、説明など無意味とわかった。彼女は説明してほしいんじゃない、認めてほしいのだ。誰かに追い詰められていることを。

何かの精神疾患だろうか。頭の中にふと「心の病」というワードが浮かぶ。
私がそんな顔をしたのか、「私は精神病なんかじゃない!」と突然彼女が叫んだ。「家族は病院に行けって言うけれど、そういうんじゃない。どうしてわかってくれないんだろう」。泣きながら、わかってほしいと訴える。見ていて苦しい。彼女が何か見えたり聞こえたりして苦しんでいるのはきっと事実だ。

「わかったよ。でもどれもカメラじゃないみたいだから大丈夫」。それだけ言って、その日は帰った。
彼女は病気だと認めていない。認める気もまったくない。こちらがそんな疑いを匂わせようものなら、一気に心を閉ざして私も「敵」になってしまう。
どうしたらいいのだろう。家族はどう思っているんだろう。彼女の家族に話をしてみる勇気もなく、悶々とした時間がすぎていく。

頼む、医者に行ってくれ。

その後、彼女のおかしな言動はさらにステージが上がった。
家の前を通る人も、隣家の人も、ふたつ隣の会社の人も、皆で彼女を監視しお風呂やトイレまで覗いて罵ると言う。「あの人、あんな体で次代A子になるつもりらしいよ」「みっともない」「見苦しい」「汚い」。
実際、ふたつ隣の会社の人の声なんて、拡声器やマイクでも使わない限りは聞こえない。それが、一言一句聞こえる上にお風呂やトイレの中まで監視されては四六時中罵られているという。もはや病的妄想としか言いようがないのだけれど、彼女にはそれが現実で、日常だ。
その後も連日「監視されている」「罵られている」話は続き、あの人も・この人もと世の中の人のほとんどに怯えるようになり、やがて彼女は家から出なくなった。

調べたところ、彼女の言動は「統合失調症」というのに当てはまるようだった。
もちろん医者ではないから特定なんてできないけれど、本やネットの情報を見る限り、彼女の言動どれもこれもが当てはまる。
「陰口を言われる」「盗聴されている」「監視カメラがある」。いずれも特徴的な言動のひとつという。しかもこの病気は「本人が病気と認識できない」「認めない」と言う。つまり、病院に連れて行くこと自体が容易でないのだ。

目にする情報は、「こういう症状があります」「これは病気によるものです」と症状を説明するものばかり。時々「こう対処しましょう」とそばで見守る人へのアドバイスもあるが、肝心の、どうやったら病院に連れて行けるかは書いていない。
喉から手が出るほど欲しい情報はそれなのに。

どうしたら病院に辿り着けるのか。

あるとき、どこかの省庁の出先機関に電話で被害を訴えたと言ってきた。
「取り締まってもらうしかない」。一瞬、言葉を失う。これまで内々で見守っていれば収っていたものが、とうとう一線を越え外に発出されてしまった。早く手を打たなければ大事になりかねない。

早く医者へ!心の中でそう叫びながらも、真正面から「医者に行こう」という言葉が出せない。言って話を拗らせ、病院が遠のくことが怖いのだ。同じ相談を受けていた別の友人は、精神科受診を促して以来シャットアウトされていると聞く。病院に繋ぐ糸をひとつでも多く残しておきたいと思えば、どうしたって慎重になる。探り探りチャンスを狙うが、チャンスなんてなかなか来ないし、そもそもどれがチャンスかわからない。

ちょうどその頃、彼女の家族と時折顔を合わせるようになった。
だからといって、彼女のことはあからさまには話せない。デリケートな問題だけに、安易に話すのは憚られるのだ。私からすれば、家族や夫婦の問題に立ち入るような感覚もある。友達とはいえ、他人は他人。頼まれてもいないのに首を突っ込むわけにはいかない。

あるときご主人が、「妄想や幻聴が見えたり聞こえる病気、本当にあるみたいなんだよね」と言ってきた。唐突だったが、どうやらずっと、彼女の言動を理解できずに苦しんでいたようだ。以前彼女に「病院に行け」と言ったのは、単に喧嘩の延長だったのだろう。ご主人自身も、病気を疑い真に受け入れるまでには相当な時間が必要だったのかもしれない。
それでも未だどうしていいかわからない。「病気じゃない」と全力で拒む彼女をどうやって医者に診せるというのか。

こうしている間にも、「盗聴されている」「監視されている」という訴えは続く。ひどく怯えて「もう生きていかれない」と私に電話してくることもしばしばだ。それなら一度病院へ、となればいいのにそうはならない。ただただ時間が過ぎて、彼女はどんどん自分の世界に閉じこもっていく。
病院が遠くて遠くて仕方ない。

その日は突然に。

しばらくすると、彼女のご主人から連絡が来た。
「浴室で倒れていて、救急車で運ばれた」と言う。一気に血の気がひく。最悪なことが起きてしまった。
幸い、命に別状はなかった。それでも、身近な者にはショックが大きい。一体彼女はどこまで追い詰められていたのか。

それから数日後、彼女から連絡が来た。
「ごめんなさい」
「もう、ばか!」
それだけ言って、何事もなかったかのようにたわいもないおしゃべりをした。リラックスした彼女の様子に安堵して、恐る恐る聞いてみた。
「病院へは、通うの?」
「うん、一応。救急外来だったから、ちゃんと診てもらうようにって」。

最悪の事態をきっかけに、突如通院が始まった。その後、いくつか専門医をハシゴしながら彼女は今も通院している。結局、診断名はよくわからない。聞いてもふにゃふにゃ話をはぐらすからわからないのだ。きっと、まだ受け入れられないところがあるのだろう。

ただ、「薬は効いている」と彼女。「見えたり、聞こえたりはしないの?」と聞くと、「何が?」という。何がって!散々ああだこうだと訴えておいて!とちょっと怒りも覚えるが、変にフラッシュバックさせてもいけない。それ以上は言わず、黙ってそのまま見守ることに決めた。

決して他人事じゃない。

ここ数年、統合失調症と思しき人が起こした事件は度々報道されている。
どれも強い思い込みから全く関係のない人たちの命を奪ってしまった事件だが、中でも長野の事件は身近なだけに詳細が伝わってきて、余計に心が痛む。

事件を起こした当人の父親がどうにか息子を自立させようと献身していた話は方々で聞く。それなのに。
事件が起きてしまえば、どうにもならない。それまで、どうにかしようと必死だったことなんて誰も考えない。ただただ責める。責めまくる。なんで病院に連れていかなかったんだ、なんで野放しにしていたんだ、なんで、なんで、なんで。
被害者のご家族を思えば、全部わかる。もっともだ。全くそうだ。
でもね、でもね、でもなんだよ。

事件の反対側の世界、つまり加害者になってしまった側の実態や苦しみも、もっと知られていいんじゃないか。事件が起きたから知るんじゃなくて、起きる前に知ってほしい。きっと今もその瀬戸際で必死に踏ん張っている人はいるはずだ。
もしそこに寄り添う社会があったら、治療につなげる術があったら、少なくとも何かは違ったかもしれない。

心の病かもしれないと悩む人と社会がもっと近づけたら。もっと世界が優しくなれたら。「敵」になってしまう前に、「味方」になることで防げることだってあると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?