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#1 ツールで子育て対話~親のためのシステム思考~

夏休みにスクリーンタイムを増やすべきか否か

 突然ですが、子どものスクリーンタイムについて悩んでいる、という人はきっと多いと思います。タブレットで動画を見たり、オンラインゲームをしたり……。どれくらいの時間がその子にとって最適なのか、悩ましいものです。何しろ自分が子どもだったころは存在しなかった「時間」です。

 普段は1日〇分まで、という制限時間を決めていますが、夏休みになって浮上したのは、「スクリーンタイムを増やすべきか」という問いです。学校や習い事がないので、普段より余白の時間は断然長い。制限時間をめぐって親子で小さな口論が起きたこともありました。

 子どもの夏休みはすでに後半戦に突入(米国の学校の夏休みは長く、6月末からスタートしています)。常にどこかから芝刈り機の音が聞こえてくるそんな夏のある朝、自分の悩みから「自由になれた」瞬間がありました。

 それは、こんな「対話」がきっかけでした。

「ツールで子育て対話」イベントで起きたこと

 先日、システム思考実践研究家の江口潤さんと、オンラインで新たな対話の場を立ち上げました。「ツールで子育て対話~親のためのシステム思考」です。(参加くださった皆様ありがとうございました!)

 その場でのお約束事は以下の3つ。
①解決しようとしない
②ここで聞いた話はここで留める
③聞き手にこそ学びあり

 問題を解決しようとすると、聞き手はアドバイスモードになってしまいがちです。家族の問題は、完全に解決できる類のものでもなければ、解決しないといけない問題でもない。また、いい「聞き手」になれれば、ほかの家庭の例を知ることで、自分の家庭の解像度が高まるという利点もあります。

 全員が今の気持ちなどを軽くチェックインしたあと、ブレイクアウトルームに分かれてツールを使ってみます。今回のツールは「プロジェクターとスクリーン」(ウィリアム・アイザックス)というもの。3人一組で行います。自分の抱えている悩みについて、ほかの2人が「賛成派の自分」「反対派の自分」になり切って、現実に目の前で意見を戦わせてくれる、ロールプレイングです。

 まず、自分の悩みを二者択一の問いに落とし込みます。例えば、私の場合は、「子どものスクリーンタイムを増やすべきか、増やすべきでないか」。ほかの2人に「賛成派役」「反対派役」を割り当ててから、自分が抱いている賛成の理由(例:なぜスクリーンタイムを増やすほうがいいのかという理由)、と反対の理由(例:なぜスクリーンタイムを増やさないほうがいいのかという理由)を自分で説明。

どんな効果があるの?

 私が2人に伝えたのはざっくりこのような感じです。

【増やすべきだと思う理由(賛成)】
・夏休みは普段と日常ルーティンが異なり、時間があるから子どもは増やしたいと思っている
・ほかと比べても意味はないけど周囲の友達より我が家の制限時間は短い
・オンラインゲームは友達と交流するSNSのような役割もあるので、友達とのつながりをあまり制限したくない
・そもそも1日の制限時間は親子で話し合って決めたが誘導したのではないかという不安もある
・YouTube視聴は、子どもが自分で動画を作る際の学びになっている

【増やすべきでないと思う理由(反対)】
・余白の時間があると、自分から何か創り出したり、遊びを考えたり、本を読んだりするので、「ヒマでヒマで困る!」という環境を与えたい気がする
・動画視聴やゲームはエンドレスになりがちである
・クリエイティブに遊んでほしい
・決めたことをちゃんと守れるようになってほしい

 その後、賛成派役の人、反対派役の人が、私になりきって、私の言ったことを基にそれぞれ意見を代弁し、身振りや手ぶりも交えて2人で議論をします。その間、私は2人を黙って見ています。私が感想を言うのは、議論が終わってから。そして、2人も役を解除されて、自分なりの意見を持った元の人間に戻ります。

 文字で読むと、「それでいったい何が起きるの?」と疑問に思うかもしれません。でも自分の中にある相反する意見を、声に出して目の前で戦わせてくれる効果は驚くほど大きく、想像した以上の気づきがありました。そもそも自分が出した論点のはずなのですが、より分かりやすいように整理された状態でずらりと目の前に陳列して見せられた気がしました。

解決はしていない、でも軽やかになれた

 一番大きかった気づきは何か。自分の中では最も重視していないと感じていた「友達との交流ツールである」という点。そこに引っ掛かっているのではないかという気づきでした。その根底には、自分の罪悪感めいたものもありそうです。というのも、米国では子どもが一人で行動することは一般的ではないので、子ども同士が遊ぶ際にも親同士が約束するなどの手間暇がかかります。自分はそれができていないのではないか、という負い目のようなものがあったかもしれません。

 また、スクリーンタイムとして一括りにしていた時間の中に、「友達との交流」という役割がはっきり見えたことで、黒か白か(時間の増減)だけではない別の選択肢も模索できる可能性が見えてきました。

 さらに、そこで気づいたのは、自分が子育てで抱えている悩みは、川の水が流れるように常に変化している、でも変化していることに気づいていない、という事実でした。これまでスクリーンタイムに関わる論点といえば、ほかのことをする時間が減る、消費者的な受け身姿勢に傾くのではないか、といった懸念でした。今回も同じ懸念を自分が抱いていると自分で思い込んでいましたが、それだけではなくなっていることに初めてハッと気づきました。一人で悶々と考えているだけでは、気づけないことでした。

 結果、どうなったか。何かが解決した訳ではありません。でも、これまでより軽やかに向き合える気がします。子どもと一緒にいろいろな選択肢を試しながら模索できそうです。冒頭に「自分の悩みから『自由になれた』瞬間がありました」と書きましたが、何から自由になれたのか?と改めて問うと、「自分自身の思い込みから」かもしれません。

 家族関係や子育ての場は、それぞれが影響を与え合う小さなシステムです。子どもの成長や親自身の変化に伴い、悩みやその水面下にあるものもどんどん変わるはずです。ほかの人の力とツールの力を借りることで、そんなことにまで考えが至った濃い時間でした(参加くださった皆さんに感謝感謝です)。

 ほかの参加者の皆さんもおのおの異なる気づきを持ち帰ってくださったようです。こうした場が増えると、結果的にそれぞれの家族の中で育つ、子どもたちのためにもいい!と考えています。引いては日本社会や世界のためにもいいんじゃないかと信じています。

ツールで「子育て対話」のPEATIXページ

システム思考実践研究家の江口潤さんのnote記事はこちらです。


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