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#5 コンパッショネートなシステム思考を子育てやなんやかんやで使う

「うちの子だけ遅れてしまうのは困る」という不安 

 子育てと「焦り」は切っても切れない関係ではないかと#3で書きましたが、子育てと「不安」も切っては切れない関係です。

 例えば、小学校入学前にありがちなこんな疑問。「入学前にひらがなの読み書きを練習しておくべき?」。親の気持ちの根底には「うちの子だけ遅れてしまったら困る」といった不安があると思います。

 コンパッショネート・システムズの基礎ワークショップでこんなワークをしました。2人一組のペアになります。私は右腕を前方向に伸ばして立ちます。相手は、私の腕をつかみ、ひじの部分から曲げようと力を入れますが、私は腕を曲げられないように頑張ります。同じことを2回繰り返しますが、2回目は自分の腕が、自分の背後のほうから、手の先の向こうのあたりまで一直線に続いている鋼鉄の棒である、とイメージしながら行います。

 2回目は、自分の腕がとても硬い棒であるイメージ(ビジョン)に集中した結果、必要な力が減り、1回目とは違う筋肉を使ったような気がしました。相手の動きもあまり気になりませんでした。

 ビジョンを持つことは大事。ビジョンがあったほうが、より少ない努力で多くの結果を得られる。昔から言われてきたことですが、ここでポイントとなるのは、その捉え方。1回目は「曲げられないように」と自分が望んでいない状態に焦点を当てている。2回目は自分の「ありたい姿」をイメージしてしています。自分がそこに実現させたいビジョンです。 

それは「誰のビジョン」なのか

 では、子育てに当てはめてみると、どうでしょう。目の前に次々と新しい問題が浮上する毎日。「これは避けたい」ということがたくさん思い浮かびます。「けがをしないでほしい」「うちの子だけ遅れるのは避けたい」「将来食べるのに困ってほしくない」などなど。「将来困らないために今勉強しておきなさい」も近い気がします。

 「これは避けたい」が先に頭に浮かぶのは人間として自然なこと。でも、子育てでどんな結果を実現したいのか。「実現させたい」を起点とするビジョンを忘れないようにしないと、恐れや不安にかられて短期的な対症療法だけを繰り返し、親子で疲弊するだけの子育てに陥ってしまう可能性もあります。

 そして、子育てが難しいのは、「誰のビジョン」なのかが見えづらくなる点です。ともすると、親のビジョンと子どものビジョンを重ねてしまいがちですが、子どもと親とは別の人間です。ここが本当に子育ての難しい部分だと思います。

 立ちたいというビジョンが子ども自身にあったから、子どもは立ち上がることを学べた。別の人間である以上、親ができるのは助ける、応援する、伴走することなどです。

 であれば、親が子育てに持つことができる「実現させたいビジョン」は、「子ども自身が自らビジョンを持ち、挑戦したり、挫折したり、内省したり、立ち直ったり、また挑戦したり、成功したり、といったサイクルを自分で回せるようになる」くらいなのかもしれません。

 子育ての現実生活には、短期的な解決を求められる問題が山積みです。でも頭の片隅に「実現させたい」起点のビジョンを置いておくことで、長期的な視点を忘れないことが可能ではないかと自戒を込めて感じています。

コンパッショネート・システムズ(Center for Systems Awareness)

(#6につづく)

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