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インナーワールド

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日記あり、ストーリーあり。大海原に向かって小石を投げ込むような感覚で、日々、浮かんでくる、とりとめのない想念を書き留めておきます。誰かのためとか余分なことは考えず。書きたいときに…
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2021年1月の記事一覧

タロットⅦ“戦車”の絵が重なる時

タロットⅦ“戦車”の絵が重なる時

川口緋呂という作家の本体は、手である。
左手と右手。
それぞれに役割がある。
属性も違う。
そして、人間としての本体を担う「頭=意識」の指示をはねつけ、時には無視するのは、主に左手だ。

私は右利きのため、道具は右手で持つ。
だから、主導権は右手にあると思いがち。
私自身もそう思っていた。

ところが、主体は左手にあった。

なぜなら、「見えない受信装置」としての機能の要は、左が担っているからだ。

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祝えよ讃えよ。「いのち」は美しい

祝えよ讃えよ。「いのち」は美しい

言祝ぐ/寿ぐ(ことほぐ)
という言葉が好きだ。

弥栄(いやさか)
という言葉になると、好きだけれど少し、使いにくさを感じる。
なんだか、一定の、思想的なものをはらんでくる感じがして。
けれど、この言葉は、本来とても重要なもので。
思想どうこうで使いにくいと感じてしまうのは、少し情けなくはある。

ここ最近、創作の源泉だとか、描く意味だとかいったことを言語化しなくてはならない場面が多い。

神だ仏

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自分と世界を統合する これが私の生きる道

自分と世界を統合する これが私の生きる道

威勢の良い文章であれこれ「こう思う」と、たくさん書いていた時代があった。
多くは、自分の外側のことについて、その時感じたことであり。
その刺激に反応した己の内側について、過去の自分自身に向けて書いた。

その頃、繋がりがあった人たちには、そこそこの波紋を投げていた。
ブログを読んで、会いにきてくれる人達。
多くの人が集うと、初対面なのに私を知っている人がたくさんいた。

中には個展を開いてくれた人

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