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10年ぶりの、親友との仲直り。(1)

嘘みたいなタイトルだけど、30歳になった今年、10年前にケンカして絶縁状態になった親友と、やっと仲直りをすることができた。この出来事は、きっと私の人生の中でベスト5に入るぐらいの、大切な大切な事だから、記録に残すため、ここに綴っていこうと思う。

悲しみの伝え方を知らなかった、あの頃。

私が親友とケンカしたのは、今思えば本当に些細なこと。でも、感情のブレーキのかけ方を知らなかったあの頃は、怒りでしか悲しみを伝えられなかった。でも、はっきりと覚えている。誰もいないところで、ほぼ毎日泣き狂っていたことを。きっと私の親が証人になってくれる。笑

仲が良すぎて、存在が当たり前すぎて、お互いの気持ちを改まって伝えることなんてほとんど無かった。きっと、照れ臭さもあったと思う。

当時を振り返ると、若さゆえのぶつかり合いだったと思う。でも、まさかあれから10年間も疎遠状態になるなんてね、誰も思わなかったよね。笑

離れてからの方が、もっと辛かった。

彼女とは、小学生〜20歳までずっと一緒に居た。お互いの良いところ、悪いところ、全部を受け入れあってきた2人。小さな喧嘩はたまにしていたけど、いつも知らないうちに仲直り。引きずることだって一切無かった。

でも、10年前はそんなライトな感じではなく、なかなか激しい衝突だった。私の方から一方的に、彼女と距離を置いたあの日。しばらくは悲しみや怒りが鎮まらなかった。

でも、1年半後ぐらいかな、突然襲いかかった深すぎる悲しみ。認めたく無かったけれど、本当に本当につらくって、しんどかった。当たり前にいた彼女が居ない、気軽に連絡できていた唯一無二の存在が、もう居ない。自分の身体の一部が無くなった感覚?大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、この表現がピッタリくる。

もうその頃には、彼女への怒りなんて消えていて、残っていたのは、寂しさ、恋しさ、そして愛おしさだけだった。でも私の意地っ張りな性格が邪魔をして、10年間、そのどうしようも無い感情を持ち続けたまま、ただひたすら一生懸命に生きた。

離れて気づいた、「親友」の意味。

正直、誰が親友なのか、親友の意味とは、ってことは、双方の環境が変わった時に気づくんじゃないかと思う。親友と同じ環境にいる時ってのは、その存在の尊さに気づきにくい。近すぎるからこそ。でも、少し距離が離れたとき、ふとその存在の偉大さに気づいて、「あ、やっぱり彼女はただの友達じゃないや。」あんなに信じ合えて、さらけ出せて、そして無条件に思いあえる友達って、やっぱり唯一無二だし、当たり前じゃ無いなってことに気づく。

私の場合は社会人になってから。どうしようもなく人間関係に悩んだ時、家族や友達、恋人にも相談できないような悩みがあったとき。ふと彼女を思い出しては、助けを求めたくなったりした。そんな時に思い出せる人って、どんなに友達がたくさんいたって、大体いつも同じ人。そしてその中に、絶対に彼女が出てきた。

親友と呼べる友達は、有難いことに数人いる。でも、子供の頃から苦楽を共にした友達は唯一、その彼女。あの時間を共有してきた2人の絆ってば、そりゃすごいよね。家族のような安心感、そんな感覚。

皮肉にも、彼女のことを親友だと定義できたのは、大げんかして疎遠になってから。自分の心がそう確信してからは、彼女は私にとっての大切な親友だった。会えなくてもいい、一方通行でもいい。でも、その存在が、私を強くしてくれていたのは間違いない。

10年ぶりの連絡。

30歳になった今年。私は意を決して、彼女へ連絡をした。いろんな人に背中を押してもらいながら。とってもとっても怖かった。もし、拒否されたらどうしよう、忘れていたらどうしよう、、と。でも、もう何かの節目を利用しないと、連絡できなさそうだったから、30歳というイベントを存分に利用してやろうと思った!

10年間、何の連絡もせず、しかも離れたのは私の方から。今更「なによ!」って、思われてもおかしくない。いろんな覚悟を持ちながら、そんな緊張の中で、10年ぶりに連絡をした。

続きは、次の記事で。。。

Hiroko






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