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「ひと工夫」で深まる絆。

先日、中国にいる従姉妹のお姉ちゃんと連絡をとった時のこと。

連絡をとるたびに感じることなんだけど、
いつも最近のあれこれを伝えただけで、瞬時に私の悩みに気づいて、親身に考えて、答えて、たっぷりの愛を送ってくれる。音声メッセージでのやり取りだけれども、まるで近くにいるかのような温かさで繋がってくれる、お姉ちゃん。

この前は、いつか子供を望む私に対して、おすすめの食事レシピだったり、栄養素だったり、気軽にできる日々の習慣だったりをわかりやすい画像付きで教えてくれた。

それを決して「絶対やった方がいい!」と押し付けるのではなく、
「無理せずに、気が向けばね。」と、こちらを状況を配慮しながら寄り添ってくれた。

そのやり取りの中では、こちらの近況を理解しようとしてくれるための質問があったり、私の日々のリズムにフィットするような豊富なアドバイスがたくさん!

もう5年も会っていないし、SNSでも繋がっていないし、私の近況をイチからヒャクまで知らないはずなのに、感じるこの心地よい距離の近さ。

なんでだろう・・・

中国にいるお姉ちゃんとは
育った環境、受けた教育、得る情報、どれも異なる。

日本にいる私の日々の暮らしや考え方、出来事に、共感できることは少ないかもしれないし、接点も少ない2人だけど、何故だかお姉ちゃんと話すといつも「あ〜もっと話したい!」と思える自分がいる。

お姉ちゃんは、決して全部に対して「わかるよ!理解できるよ!」とは言わない。

でも「理解しようとする姿勢」がとっても感じられるのだ。

それは会話の節々で質問をしてくれたり、過去に私が話した内容を覚えてくれている事だったりと、お姉ちゃんの行動の細部から、私に寄り添ってくれるやさしさを感じることができる。

きっと私たち人間って、自分本位に思っていることや感じている事を話す方が楽なのかもしれない。(なんかの本で、人は自分の話をしたがる習性が当たり前に備わっている、と読んだことがある)

ただ主観的な意見ばかりだと、あらゆる摩擦を招きかねないと思うし、一方的な感情や意見が先走ることで、いろんなトラブルが起きるんじゃないかなと思っている。

一方で、一旦相手の立場になってみて、主観ではなく相手目線での意見を聞いて話しをする、この「ひと工夫」が、信頼関係を生み、絆を深めるんじゃないかなって思う。

もちろん意見が食いちがう時だってある。でも一旦、相手目線に立つという工程を踏むと、意見の食い違いを避けられたり、意見が異なる背景がみえたり、関係性を壊さずに穏便なコミュニケーションが取れる気がする。

決して全部を理解できなくても
理解しようとしている事が伝わると、
相手はホッとするし、良い関係を維持することに繋がる気がする。

「相手目線に立って考える」
「一旦、理解しようと頑張ってみる」


このひと工夫が、
まさに「思いやり」なんじゃないかなと思う。

そのためには、自分の心の余裕も必要そうだなあ。

今度お姉ちゃんに、何故そんなに余裕があるのかを尋ねてみようかな。

うむ、そうしよう!

Hiroko

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