神と出逢える場所「イテン」 2020/01/22
12月中旬のマラソンを終え、休養期間を挟んだ後、再びケニアの地にやってきた。
場所は前回のトレーニングでも利用したイテン。(イテンについての過去noteはこちらから)
オリンピックイヤーということもあり、現在日本また世界トップレベルの選手たちがイテンに集結している。
(現在イテンに滞在しているトップ選手のひとり、神野大地選手のTwitterから引用)
アイドルでいうところの神7とかそういうところにカテゴライズされる選手が目白押しである。(よく知らなくてすみません)
そのため、今回は陸上界の神7が集う町イテンで、僕自身が出会った神(選手)について書きたいと思う。
神と出逢った場所はイテンに住んでいるケニア人選手がマラソン練習の導入期でよく利用している「フロスパ」というコースだ。
風呂SPA(ふろすぱ)?
初めて聞いたときは、
温泉があって身も心もリラックスし、リフレッシュできる場所かな、えへへ
みたいなイメージが正直沸いていた。
ただ沸いていたのは僕の頭の中だということを後に嫌というほど知ることになる。
(イメージしていたフロスパの様子 箱根ユネッサンHPから引用)
それもそのはず、
このコースはひたすら上りのコースで、
・コース全長21km
・高低差1200m
(スタート地点標高1500m、ゴール地点標高2700m)
・ダートコース
(ボコボコした石が沢山)
上記に書いた通り、
温泉やスパリゾートは影も形もない。
リラックスするどころか、むしろ究極に交感神経が活発になる。どこまでも続くのではないかと思える坂を延々と上り続け、肺に酸素が回らなくなる感覚が味わえるコースである。
朝7時に宿を出発し、車で1時間半ほどかけてコースに向かった。宿がある場所は標高2400m、標高約1000m下のスタート地点を目指して下っていく。
コースに向かう途中に、神が降り立つにふさわしいケニアの大地とそれを照らす朝日をみることができた。
思わず祈りを捧げたくなるような風景で、シャッターチャンスを逃すまいとすかさず写真を撮った。
(イテン名物の朝日、神々しい雰囲気を放っていた)
少々アクシデントもあったが、
なんとかスタート地点に到着した。
ケニアという土地においてアクシデントというものは、既にそこに備え付けられている。あるいは内包しているという表現が正しいかもしれない。アクシデントがなければケニアではないのだ。(と勝手に思っています)
そんなことを考えている間に、スタート地点に到着した。車から降り、まず外的環境の変化を感じた。
暑い…
気温が上がっていることを皮膚のセンサーが感じとっていた。
高度が下がると気温は上昇する。
このことから、かなり下ってきたことは嫌でも感じることができた。
車で揺られたことによる少しの気分の悪さと、じっと座っていたことによる身体のこわばりを感じつつも、走ることへ適した状態にするために少しずつ身体を動かしていく。
(スタート地点に到着したときの様子)
そして照りつける日差しとケニア特有の乾いた空気の中、いよいよスタートの時を迎える。
このコースは以前イテンに訪れたときに経験しているため、少しばかり気持ちには余裕があった。前回よりも成長している感覚は自分の中にはあったので、今回は一緒に走る神に近づけるかがポイントだと思っていた。
そう、皆さんご存知の山の神として知られる神野大地選手とこのスペシャルなコースを走れるのである。
それはこの上ない贅沢な体験だと断言できるだろう。ファンの皆さんの羨む声が想像できる。
(箱根駅伝での神野選手 雑誌numberより引用)
山の神にはなれなくても、山の神の使い、あるいは山の王あたりにはなれるのではないかという淡い期待を自分の中に持っていた。
(漫画キングダムに登場する山の王 これをイメージしていた)
そんな期待を抱きつつ、スタートした。
スタート後、5kmまでは集団が形成され、着々とペースが刻まれていく。
前回は3km付近で集団の刻むペースを早く感じてしまい、そこから自分のペースに切り替えて走っていたが、今回は幾分前回よりも速いペースで走れていた。
このまま行けば、山の王になれる!
途中で集団から離れても、山の王を名乗る資格くらいはあるはずというひどく打算的な考えを持ちながら走っていた。
(打算的な考えを持ちながら走っている様子)
しかし、現実は甘くない。
ひどく炒ったコーヒー豆のように苦味を突きつけてくるのが現実である。
5kmを過ぎて、傾斜が急になったタイミングで集団からこぼれ落ちてしまった。
ただ、ここから自分のペースを保つことが大切だということは前回の経験で学んでいる。
山の王にはなれなくても、山の民くらいにはなれるはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、ケニアの山の頂を目指していた。
漫画キングダムより引用
(キングダムに登場する山の民の様子 個人的にはバジオウが好きです)
中間点を過ぎ、あと半分…
序盤の軽快に走れた感覚は遠い昔のことのように感じていた。足取りは脚に重石をつけられているかのように重く、肺はひどく窮屈な感覚に陥っていた。走れば走るほど、上れば上るほど、自分の首を自分で絞めているかの如く、息苦しさは増していく。
途中で抜いた選手たちにも抜き返され、
彼らの後ろについていくこともできずに
ひたすら少しずつではあるが歩を進めていくしかなかった。
自分のペースでもいいからなんとか完走を…
いや、このペースで完走したところでなんの意味があるのだろうか…
そういった葛藤が自分の中で生まれていた
そして、
16km地点で自ら歩を進めるのをやめた
車に収容され、自分の力の至らなさや無力さを感じつつも、自分の身体へのダメージも同時に感じていた。車の座席に全力で身体を預けつつ、しばし放心状態で時が過ぎた。
うん、これは無理
自分はよく頑張った
自分を許すのも大切なことだと個人的に思っている。
自己肯定感がなければ、幸せになれないということをなにかの本で読んだことがある。
基本的に自分は理由付けが上手い人間であることは、自分が一番理解している。
ただ、言い訳をせずに黙々とやるということが課題だということも。
そんな自分を慰めつつ、車で山頂へ向かった。
山頂には充実した表情で、会話をしている完走したランナーたちの姿があった。
(ゴール後、山頂にて清々しくコーラを飲む川崎選手の様子)
とりわけ輝いた笑顔で話していたのは、そう、神野選手だった。
山の塵と化していた僕にも
山の神は笑顔で話しかけてくれた。
「お疲れ様です!」
彼の爽やかな笑顔とその一言でなにか救われた気がした。
自分の妥協した取り組みを神に許してもらったのかと錯覚し、思わず祈りを捧げたくなった。
(かなりヤバいやつです)
神野選手にゴールタイムを聞くと、
控えめに言って、
人間じゃねえ
と思った。
(箱根駅伝で快走した東洋大学今西選手のコメントを引用)
でも、そのあと納得した。
だって神だから人間じゃないよねと。
山の神と呼ばれる所以を近くで感じることができた貴重な体験だった。
個人的にはなにかご利益があった気がするので、今後のケニア滞在でなにかいいことが起きることを期待したい。
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