私の芸術運動185壊れたラジオ

昨日新作の小作品を完成させました。

浅草六区通りの路地裏にある骨董屋を正面から捉えたこぢんまりとした絵です、私の技量的にこの様な雰囲気ですがもっと深く暗く優しい様な場所です、私は今回この場所を暗く描きたくはなかったので私には珍しく明るめに仕上げてあります。

この絵を描きながら私は昨日ある事を考えていました、それは私は自分の絵に何をさせたいのか?という事です。

まず第一に私の絵画のテーマの根底に(ごくごく普通のありふれたたわいもない事)というものがあります、これは酷くつまらないものに感じてしまうかもしれませんが実は、この要素こそがこの世の全てであり、そこに感動できない人は本当の感動や感謝は感得できないと私は感じます。

昨日のブログで私は自分の絵画を壊れたラジオにたとえました、伝えたい事、発信したい事があるけれど、ラジオが壊れているために途切れたり、ザーザーという雑音が混じります、だからと言って画家が前に出て話し始めては大笑いです。

ここに私は矛盾を昨日感じたのでした。

それは、私の心揺さぶられるインスピレーションについての事なのですが、実はそれはとても潔い静寂じゃないか!!という事です。

ペラペラ口達者にインスピレーションが私に教えてくれるわけじゃないです、私が何か答えを求めて発信して、それの返事としてインスピレーションが湧くという構図が私の中での正解じゃないか?と思ったのです。

私は上手く話す壊れていない正しいラジオ(絵画)を作る事を目的とはしていないという事

私の絵画には、清い静寂を!!

問いをする人にしか答えを得ることはできないのと同じく、私の絵画を前にして、心が何かを発してそれが私の絵画に反射してインスピレーションとしてお返しする様な形が望ましい。

心をフラットに、リラックスして、まっすぐ絵を見てくれる人じゃなければ見れない絵を私は描きたいみたいです。

私の感得するインスピレーションを自分なりに捻じ曲げて描いては元も子もありません、私こそまずは清く静かに真っ直ぐ描く必要があります。

そうすれば私の描く世界が、湖面の様に穏やかに、空の様に果てしなく、木々の様に青々と燃えるだろうと思います。

私の絵には、あなたの心が映るだけ。

その問いとして、間に私の絵画というフィルターが挟まるだけの事です、あなたは何を感じ取ってくれるでしょうか?

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