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#メリービズ創業ストーリー (長文です)

前にTwitterに書いたのですが、自分でもどこにいったのか分からなくなったので久しぶりに探してしまいました。ちょっと見つけにくいのでnoteにまとめておこうと思います。(これは工藤個人のメリービズ創業ストーリーで、創業メンバーはそれぞれのストーリーがあると思っています。そのあたりの話もどこかでnoteになると良いな。そしてこれはTwitterの字数制限の中で書けなかったことを少し補いたいです。)

工藤の20代から30歳まで

工藤は、20代には「30歳になるまでに達成すること」
・年収
・資産
・家族
という項目に対して目標をたてていました。(目標ノートみたいなやつですね。読んでいる方も書いたことがあるかもしれない)

32歳でINSEAD(インシアド)MBA留学から帰ってきた頃に少し遅れでだいたい達成できました。達成できるような内容でした。

答えがでない、5年間の悩み

今度、「40歳になるまでに達成すること」として目標が立てようと考えていました。これが凄く難しかったです。年収をあげることにはグッと来なかったし、家族に不満があるわけでもなかった。家も要らないと思っていた。そのまま気がつけば30代半ばになっていました。

その間、仕事は6回変わり、子どもも生まれました。(転職しすぎですね)
MBA前はIBMを8年間続けていたので大きな変化でした。

MBA直後の仕事は戦略コンサルティングファームでアソシエイトとして、お仕事していました。東証1部やFortune500のような大企業に偉そうに経営戦略について話していました。

データ重視のコンサルティングファームだったためデータベースを買ったり、リサーチをかけたりしてもっともらしい経営戦略の提案を書いていました。ただ、実際には実行されないことも。有名な自動車会社の売却プロジェクトもやらせて頂きましたが、非常に不思議な・ショッキングな結末を迎え、執行の大事さを実感しました。

INSEAD在学中もいずれは起業したいことを考え、
直近のお仕事→コンサル: Strategy
いずれやりたい→スタートアップ: Entrepreneurship
の授業をバランスよく受けていました。

自費留学だったためにINSEADで抱えた借金も返済出来、そろそろ起業したいという気持ちが強くなってきました。(留学当時は2018年。1Euro = 170円と上っていたのもあり、L'Orealからの奨学金を頂きながらも生活費等で借金ができました)

INSEADの先輩がやっていたスタートアップを縁あってお手伝いすることになりました。オペレーションをつくりあげる難しさを実感した。

その頃、Grouponがシカゴから大きく広がり「フラッシュセールス」というサービスが日本でも広がった。Oliver Samwer氏にそんな時に会いました。

OliverはドイツのRocket Internetという会社から来た。会ったのもLinkedInからのメッセージからだった。Rocket Internetは米国で流行っているサービスをヨーロッパで真似て立ち上げ、本家に売却して成長していた会社でした。

Grouponを日本でやろう

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当時、日本では20ほど乱立していたGrouponクローンサービスがあり、その分析をしていました。(結果、クーポッドを買収することになりました。買収には関わっていません。)Oliverはまた来るよ、と言って日本を去っていきました。当時(2009年)は、多くのサービスがすぐに立ち上げられ、瞬く間に成長するのに驚いたが、自分にはピンとくる事業はありませんでした。

事業をどの領域に設けようか?というのをずーっと考えていた。
成功する条件は何か?自分でできそうなのは何か?

INSEADの先輩のお手伝いを辞め、外資系研修会社に副社長候補として呼ばれたが、ずっとそれを考えていました。そんな時にまたOliverから連絡が。

Zapposをつくろう

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Zapposはカスタマーサービスが予想を遥かに上回る、熱狂的なファンを得た「靴のEC(e-commerce)」。(創業者 トニー・シェイ氏の自伝はかなり良いです!)

日本で「ハイレベルなサービス」はどんな形になるのか?とても興味がありました。外資系研修会社を1ヶ月で辞め、日本でZapposを創ることに。

それで出来た会社がロコンド。ロコンドはドイツ人5名ほどと日本人4−5名ではじまりました。

自分はどういう訳か、フルフィルメントを担当し、スウェーデン人のヨハンと一緒に登記から1ヶ月半後にフルフィルメント機能(スタジオ、倉庫、物流(そして一部CSも))の準備を完了した。3PL(3rd Party Logistics)を利用したとしても、多分ECとしては歴史に残るスピードで準備できたと思います。

入社してから6ヶ月後、社員は200名ほどになり、オフィスもJETROの一部屋から恵比寿のオフィスに引っ越していた。30分で隣り合わせの会議室を行き来する形で2名面接するとか、信じられないスピードで採用していました。

そして最終的にクビになりました。

その頃は役員又はマネジャーなのか、とにかく増えて非常にややこしい状況になっていました。

方針で意見があわず、社内政治ができず、やめされられました。

2011.3.11の前でした。この後、震災後、株主は事業リスクゆえに、事業縮小そして社員は半分に減らされてしまいました。(こんな大混乱も経ながら、ロコンドは無事に2016年2月に上場)

ロコンドの経験は良いことばかりではなかったが、会社を起こすこと、採用すること、オペレーションをつくること、いろんな面で非常に具体的に学ぶことができ、結果的にとてもよかったです。

ようやく起業準備

その頃(2011年)はスマホアプリが流行り、いよいよ起業しようと考えるようになりました。

しかし事業ドメインをどうするか?

何を軸にこれを決めるのかを考えていました。

「成長している市場」x「先行優位性or独自の強みあるプロダクト」
or
「長年変化が無いが巨大な市場」x「変えていける条件が整っている」x「市場で知らない何かを知っている」等

(この頃は、振り返ると、MBAや戦略コンサルの思考がかなり考え方を偏らせていました。)

その頃INSEAD在宅時のEntrepreneur Boot Campでのことを思い出していました。授業外で希望者を募りキャンパスを離れ、シャトーを借りて先輩起業家等と議論をしました。

起業する心理的ハードルについて話があった
ここで学んだフレームワークは工藤の人生を変えました!

人生を考えるための最強のフレームワーク

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そのフレームワークは

もし、無限のお金、無限の時間、無限の人脈があれば、いま何をするか?

つまり人生のあらゆる「制約」を取っ払うと、あなたは本当は何をしたいのか?
という問いでした。この問いに答えるのには暫く(5年くらい)時間がかかった

2011年3月11日。震災の時はなぜか海ほたるにいました。

直接的な要因では無いがやはり「生きるとは何か?」「何のために生きるか?」を知らないうちにより強く考えるようになったかもしれません。
起業にあたり仲間や事業アイデア(当時はまだこのレベル)を探していました。

SLOGANで居候、GREEで副業

IBM同期では珍しい起業家に話を聞きに行き、SLOGANの仕事をお手伝いさせて頂きながら事業を考えることになります。(よく考えないでも、意味がよくわからない状況ですね)ちなみに、このときはよくわかっていなかったのですが、とても大事な出会いをしていました。

当時はスマホアプリが全盛期の頃でLINEをはじめ、いろんなC向けのサービスに勢いがある時代でした。

ウェブ検索に限界を感じており、人の好みにあった提案サービスを考えていました。

当時は、Go Cafeというサービスを考え、SLOGANからGREEに転職し、正社員として勤めながら事業化を目指したが、コンシューマーサービスに必要な圧倒的なユーザー増加がなかなか得られず閉じることになりました。

コンシューマービジネスはイメージしやすいが、難易度は高いということを理解し2Bのサービスを考えることに。

悩みから解放

そんな折にこれから10年間くらい腰を据えて取り組みたいテーマがイメージされつつありました。

前に書いたフレームワークでの「解」が自分なりに見つかった
40歳も見えてきた自分は人生の折り返しを迎えていた
今までは、与えて頂き、消費することしかやっていなかった

これから未来の世代のためにより良い世の中を残していきたい
どこまで出来るかは分からないがそれに真剣に取り組まないと後悔する

ということがはっきりしてきました。


それが「解」でした


さて何から手をつけていくか?
社会的な課題は多くある

先進国での憂いは「仕事」であると考えた
仕事に関して悩みが多い。「収入をどうやって増やせるか」「解雇されたらどうしよう」「もっと適した仕事があるのでは」
20代〜40代の男性死亡理由トップは自殺だ。仕事は働き盛り世代に大きな影を落としている

5歳の自分からの問い

自分にこどもが生まれてから「自分がこの子の時はどんな風に世界を見ていたんだろう?」と考えるようになった。

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段々思い出されるのが、ニュースで見ていた戦争や飢餓、汚染の様子をみて「変えたい!」って思っていたことだった。

出来る・出来ないとかではなく「いつか、大人になったら」と思っていた

そんなことを考えていたらある夜、こどもが枕元にたっていた。
自分のおそらく5歳くらいの姿だった

何も話さないが

「自分の望んでいた大人になった?」

と、こども時代の決意を確認する眼差しを感じた。

何か話そうとするが話すことがない
そう、何もしていないんだ…

涙で起きた
夢だった...

言葉がでなかったのは、話すと言い訳ばかりになるからだ。でもそんなのは答えでは無い。「はい」か「いいえ」しか答えはないはずだ

「この問いに答えないと後悔する」ことがハッキリした

「はい」と答えたい。5歳の自分との約束を果たしたい


「働くこと」が辛くなっている... そんな世の中に未来があるはずがない

疲れて仕事にいく親の背中を見て、早く大人になりたい!働きたい!と思える子は生まれないだろう

しかし、本当は仕事は楽しい!

何かが生まれたり、進んだりする感覚はとても報われる

新しいものを生み出さず、ただ消費だけの世の中はいずれ終わりがきてしまう
未来の世代のために価値を生み出したい。自分が生まれでた世の中より少しでも良い状態で引き渡したい

自分のために働くのはやめよう

そこに使命を感じた。迷いがなくなった

女性の活躍

ロコンドを立ち上げていた時恐らく50名以上と面接した。その中で女性でとても優秀な方が多いと感じた。

ロジスティクス周りはかなり女性比率があがり、スタジオもCSもそうだった。
皆さんとても良く働き、いろいろと気がつき、助けられた
もっと評価されて良いはず

両親の姿をみていた原体験

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原体験も

自分の母は当時女性としては珍しく大学を出て働いていた。通訳をして海外の要人のアテンドしていた。よく大阪万博の話をしてくれた。

母は僕が生まれたことで仕事を辞めた。僕と弟を育ててくれた
世の中が違えばどうしていたか?
女性が働くことが許されていたら…

一方、父は根っからの研究者

カナダに残る形で単身赴任している父の元に中学生訪れたが台所が全く掃除されていなかった

料理はカレー(1週間)→シチュー(1週間)→カレー(以下繰り返す)

研究以外のことはほぼ何もしない生活があった。研究が全てだった

ある夜の光景が思い出される
珍しく遅くまで起きている父がいた

見ると帳簿をつけているようだった。父は自分の小さな会社ももっておりその処理をしていたのだ

その背中はとても疲れていた。大好きな研究でなくなぜこんなことを、と不思議に思った

「働く」は「資本家」と「労働者」のどこまでも相いれない関係があった

しかし、今は「消費者」「法人顧客」も含め、より複雑で複数の立場も内在している状態

このような環境において「搾取」ではなく「価値創造」を実現しつつ、働き方を変えていきたい

「働く」が楽しくないと新しい価値創造の動力が失われた、世の中は衰退していく

働くというのはもっと自由で良いはず

「所有」という排他的な考えが選択肢を狭め、働くリスクを増やす
いろんな組織に加わり、役割を見つけ、価値提供をし、成長する

目指す世界:Liberalization of work

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未来の世代が大人になることに希望を見いだせるように

いろんな契約形態、仕事の方法、協業の仕方を提供し、より多くに働くことの喜びを

夢中になって「生き甲斐」に結びつく働き方を

昔、そんな「夢中」な体験をしたことが一度はあるはず

・夢中で楽器を練習してみんなで1つの曲を完成させたり
・チームで試合をしたり
・文化祭を成功に結びつけたり

夢中になれる機会をもっと増やし、個を活かせる世の中に

「会社」の元になった「company 」は元々「仲間」という意味

同じ目標や夢に集う仲間が活き活きと活躍できる環境を用意したい

自分が死んだあとに、自分の子どもたちやその子どもが幸せに生きていける世の中をつくりたい

「仕事を失うこと」というのが先進国において成人のかなり大きな心配になっている。貧困が間近にある恐怖。これが大きな歪みとなっている。世の中を近代築きあげた「自由」や「権利」という真逆の方向に動かしている

原因として「構造」がある

a. 終身雇用と人口増加が元の「会社構造」
b. 役職が足りなく「変な役職」「子会社」量産の「コーポレート構造」
c. a, bを支えていた前提が無くなる
d. 子会社へのプレッシャー
e. 子会社から請負会社へのプレッシャー
f. 起点の本社も機能不全

全ての機能を有することが求められる、「変化が少なく」ことで最適化された「組織」がまだ環境に順応できないため「組織」の一部になっている「個」が幸せにならないことになっている。これは会社単位ではなく国という単位でおきている

より柔軟で有機的に繋がる構造が変化に強いと想像され、そういう社会をイメージし、メリービズの会社及びサービスを設計している

つまり未来の働き方実験をしている
(経営スタイルも旧来と異なるため、このあたりが試行錯誤のところ)

「talent 」を活かす「small excellent company」が互いに補完しあいながらtalentも融通しあいながら新しいチャレンジをしていく社会

所属がより希薄になり、複数の関わりを自然にもつようになる。社会とは本来そうで、あるべき姿に到達する

まとめ 創業理由

・両親の課題が原体験
・子どもをきっかけに未来世代への価値創造を意識
・解決するテーマを働き方に設定
・先進国の多くの「働く」課題解決するモデルを探求
・企業としてあるべき姿に挑戦

更にまとめると「使命」という言葉に集約される(英語でいうcallingという言葉の方がピンとくるが)

(メリービズはここからいろんな紆余曲折はあるのだが、それはまたどこか別の機会に。そしてそんな紆余曲折を乗り越えられたのは、自分のやっていることが「使命」と信じられていることに他ならないと思っています。「使命」に感謝。)

終わり

元のツイート

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