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桜ってアート。

3月。花粉症の自分には厳しい季節です。短いまつ毛が上下にくっつき重たいまぶたが更に腫れて、鼻と喉がしんどくなり、処方箋を飲めば眠気と胃のムカつきに苛まれる季節。いきなり元気のない発進ですいませんw

今回は国立新美術館にて開催中の「ダミアン・ハースト ”桜” 展」に行ってきました。

ダミアン・ハーストといえばイギリスを代表する現代アーティストです。20代の頃からYBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)として90年代から活躍し、アメリカ中心の現代アート界に名を轟かせました。扱われる題材は生と死や倫理観に問いかける作品が多く、サメや牛のホルマリン漬けのシリーズや蝶の標本を使った平面作品はあまりにも有名です。パンクなスタイルな中にも人の価値観や美術史の解釈そもそもを見直したくなる作品達はアートに没頭し始めた自分にも強い衝撃を与えた、大ファンな作家の一人です。現在はそこまで業界をひっくり返すようなパフォーマンスを聞かず、ロンドン在住のアーティストの友人にも、もう終わった人だよ。と言われ寂しい気持ちになりながらも、そんな生けるレジェンドプレイヤーの新作展が日本で展かれるという事で期待は高まっておりました。

そんな今回の展示はタイトルが「桜」。作家のインスタグラムをフォローしているので自身で巨大な桜の絵を描いてるのは知っていました。自身で筆を運ぶよりもプロジェクト的な作品の印象の多い作家がなんでまた?と思っていたのですがその分逆に期待も高まります。(同じこと言ってるな)

余談ですが自分は桜が苦手です。あれは爆音と一緒だと感じています。自分のペースで移動したりゆっくり過ごしたい時に告知なく強制的に視界に入ってきて、急にバーン!!!って、音が鳴ると同義なんです。「赤」や「黄色」を警告や注意の色としてよく使われますが、「桜」も相当な圧力です。なんなら舞ってきます。幹に近づけばこれでもか!と仰々しく練り上げられていて怖いです。筋骨隆々じゃないですか、マッチョイズムです。その下で酒を飲むなんて、クラブやフェスじゃないですか、クラブやフェスは好きな人が行けばいいと思いますが、防音も仕切りもチケットもなく、近づきたくない人にもダダ漏れで公共の道や公園に咲かせられているなんて自分にはテロです。そんな桜も歴史的に祭りあげられているのも承知して理解を覚えて大人になりましたが、未だ好きにはなれませんw 
そんな桜。

ここから私見ですが展示のネタバレを含みますのでご了承ください。

会場入り口を抜け展示室へと進みます。早速目を奪う巨大な桜の絵。出たな!来ました!これかー!!
そうかそうか、うんうん、これかこれかー!!
…。
…あれっ?

歩みを進めます。

どんどん出てきます巨大な、色鮮やかな、具象から抽象とも捉えれるオールオーバーな桜の絵達!!!
…あれっ?

大きな広ーいスペースに四方を囲むように桜の絵達があります、非常に高い天井に、継ぎ目すらキレイに消された壁で、キャプションもなくてね、絵を見てねってね、
そうかそうか、なるほどなー!!
なるほど、な。
…あれっ?

ってなりました。絵が良くないんです。
あれっ?あれっ?こんなもん?こんな感じ?
と期待し過ぎなのか、自分の未熟さなのか、絵の魅力を感じません。とても中途半端なのです、秀逸に桜をとらえたようにも、抽象画としても、サイズとしても、厚塗りにしても、長い筆で描いた想定外の筆致だとしても、色遣いにしてもどれも中途半端なのです。永続的にその絵を眺めて自問自答してしまうようなそういう絵ではないのです。なんでだろ、なんで魅力もないし桜なんて描いてたんだろと感じました。

でも会場にいるお客さんを見て気付きました。
ダミアンは「桜」を描いていたんだと。
撮影自由な展示室内で各々が絵と一緒に記念撮影をしています。うわーすごいねー、キレイだねーと静かに言っています。子供連れやカップルもいます。展示に飽きた子供は壁にもたれたり、床で遊んでます。

この状態は「花見」と一緒じゃん!!!
とそう思いました。わざわざ桜を見に足を運ぶがその桜の一本一本の違いまでは気にしないでしょう。気にしても忘れてしまうでしょう。今回の絵も一緒です。どれも同じ圧力で、端的にデカくてキレイです。どれも無個性の大きな桜の絵達が四方を囲み、大人がふむふむしてる横で、そこに飽きた子供達が遊んでます。「桜」という花の扱われ方と「美術」の扱われ方の共通点
が擦り合わせされ、具象画であり抽象画であり立体であり空間でありイベントである状態になっています。…これは花見だ!美術館だし花見だ!

ダミアンてめーやりやがったな!
桜描いて花見フィールド作ってサイトスペシフィックじゃないか!!絵じゃなくてゴリゴリにコンセプチュアルで、「観光」と「美術館」と「桜」を揶揄してないかい⁈⁈⁈してますよね?してるだろ?ピカソみたいな見た目になっちゃって!!やっぱり尖り腐ってるじゃないか!!

…。

…すごっ。美術館と自分の存在価値利用してるじゃん。
集客できてるし。ハテナ?なアートじゃないっていうフリで、桜で集客しちゃってるよ。何か業界変えようとかファックな感じ露骨に出すのはやめたのかな。違う境地?

自分がひねくれてるのかもしれません。ダミアンは素直に素敵な桜の絵を描いて、そこに人が集まってハッピーな気持ちになって欲しかったのかもしれません。
んー…だとしたら晩年なのか、どこか死が近い、達観した考えまで至ってるのか。縁起でもない事をすいません。

長く激動の作家人生。
一生アーティストするってどういう心境なんでしょうか。ダミアン程のスーパースター。まずはその人の最新に日本で触れれた事を嬉しく思いました。

こうやって自分が勝手に感想を抱く何倍も、知的で感情的、無尽蔵にも見える体力で無限にも感じる作品を残せる人がいるっていう事。その作品を見てこうやって興奮して、脳みそフル回転して元気をもらっている事。アートの役割、そして自分のできる事について今一度考えてみたのでした。

桜の季節は年度の変わり目の日本。コロナ禍になって丸2年。震災からは11年。あれやこれやから多くの時間が経って、また新しい環境、生活がスタート。自分は変わらず絵を描き続けるんですけど。

同日観に行った「楳図かずお展」「刀剣展:ボストン美術館所蔵」「Chim↑Pom展」も充実した内容で書きたい気持ちだけど、とんでもない文章量になるから、ご要望があれば書こうと思います。

ヒュルリーラ♪ ヒュルリーラ♪

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