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新生活には「道」がいい。

春というと卒業だったり進学だったり就職だったり、新しい環境になる事が多いこの時期。次節の仕組みでどこかを卒業したりどこかに属せる事におめでとうっていうノリが未だに分からないけど、本人が熱望しての卒業だったり満を辞して属する事ができたなら確かにおめでとうだなと思う。

自分も高校を卒業して上京して、一人暮らしを始めて、行きたかった学校にも行けて意気揚々としてた18歳の春。

入学したての最初のアートの授業で先生が言ってくれた言葉が今も残っており、この時期だったり、引っ越したり、どこかへ定期的に行くことになる度に思い出す。

それは「自分の道を見つけましょう」という話。文言が正確ではないかもしれないが、これは生き方とかそういう事ではなく、物理的に「道」を見つけるということ。まだ一人暮らしも始まったばかりで家すら馴染みがない時、通学なり通勤なり、知らない街から知らない街に行くときに、「自分の道」を通ると、その道を歩くだけで少し安心できます。気分を変えたいなら、一本、道を変えるだけでリフレッシュできたりします。という話だった。

昔から方向音痴で決まった道しか歩けず、行った道も帰りは景色が違うから覚えられないし、初めて歩く道は50m歩くだけで酷く疲れ、東西南北も分からない自分。この話を聞いた瞬間から妙に合点がいき、早速探そう。と家から学校の道のりで「自分の道」を決める事にした。

当時は地図アプリも充実してないし、駅から家までの道を大通りとか目印の公園とかを頼りに駅から家までの最短ルートをまず見つける。大通りを歩くか、一つ入ってその裏道を進むか、どっちを「自分の道」としようと考えながら進む。自分は裏道がちょうど良かった。夜帰ると、すぐ先は大通りで車が走る往来が聞こえることで、そこに人を感じて1人じゃないのよーと思えるけど、物理的には独りでいたい気持ちにちょうど良かった。自分が歩く住宅地の間の静かな道。この道を「自分の道」として、行く時は活気づいて、帰りは家に帰れる安心感を持った。違う道を使おうとすると、もう入れない、バリアがあるみたいに、知らない道を見た時の不安に駆られるようになった。

上京して一人暮らしを始めた自分にはこの「道をつくる」ことが生活の大きなポイントになってると思った。

思い返せば、小学生の時は通学路という決まった道を毎日歩いた。命ぜられた道だけど「自分の道」だと思ってた。2km程で大人の今なら2.30分で着く距離だと思うが、子供の時は1時間近くかかってた気がする。行きは集団登校で道草せず歩けたが、帰りは友達とだったり、1人で歩くと、それはそれは時間がかかる。学校からの舗装された道を抜け、トンネルを抜け、田んぼの間の畦道を抜け、坂を登って、林を抜けて住んでる団地まで。畦道から国道が見える。下を見て砂利の様子で季節を感じて、横を見て田んぼの様子で季節を感じて、上を見て空の様子で季節を感じた。雲が早く動く時は空が動いて雨になるとかもこの時覚えた。家路を歩いてる間に色々考える習慣はこの時できたのかもしれない。

家に帰ったらこんな絵が描きたいな、ゲームの続きをしたいな、今日はジャンプの日だな、夜はドラマがやってるなとか思いながら、ナップサックを振り回して、学期替わりの教科書の多さにうんざりしながら、砂利を踏んだ時の音が面白くてその場でジタバタしたり、排水溝に落ちないゲームを1人で開催して道とU字溝の足一つ分の幅をグラグラ歩いたり、斜面を忍者の真似をしながらシャシャシャと駆け抜けてみたり、横断歩道の白しか歩けなくなったり、
林を抜ける時はトトロを歌ったりしたり、このコンクリのひび割れはジャンプしないといけないルールとかを作ったりしてると、大通りに親の車が見えて、畦道に入る細道を入って迎えに来てくれる。親ってなんで自分がいるって気付いてたんだろうな。車に乗って今週借りたJ-POPのテープを聴きながら「親が運転するいつもの道」を通って安心して帰る。

学年も大きくなって、友達ととなり町に遊びに行く時も旧国道を1時間くらい歩いて駄菓子屋に寄ったり、道草しながらデカいスーパーに行って遊んだり、自転車で雑草だらけの道を抜けて町の体育館で皆んなでバスケして、汗臭い体でコンビニまで行ってアイス食べたり。ここで電車を使わないのが大事なのかもしれない。目的地に行くのも、目的を終えて帰るのも、遠足じゃないけどおうちに帰るまでが本当に楽しかった。「友達との別れ道」で長話して素直に帰れないのも、あの分岐が「友達との道」と「自分1人の道」になっちゃうってことだったのかなとか思う。

久しぶりに福島の育った町に行った時は、今は更地ばっかりで、建物もなくて、雑草もボーボー生えてたりして、でも開発があって知らない施設があったりしたけど、「道」が残ってたから、畦道を歩くだけで、坂を登るだけで、国道を渡るだけで幼少期を思い出せて大人になった自分と当時の自分が同じ奴なんだなって不思議な気持ちになれた。

今では東京で電車が多くて、街から街にワープしたみたいな気分になるけど、その電車に乗るまでは「自分の道」を歩く。でも帰りに最寄り駅の隣で降りて歩いたり、自転車に乗って移動するのも電車の道を通ってないってだけで自分の道になって気持ちがいい。未だに知らない街にいくときはドキドキするけど、自分の道からワンブロック位なら知らない道に入る勇気が持てるようになったし、知らない道に入る事には怖さと楽しさがあるという事を覚えた。

また知らない街に行く時は「道」を見つけて勝手に自分のものにしようと思う。そしたら色んな街に思い出が増えて、歩くだけでその街を好きになれると思った。好きが増えると増えた分考えて、その事に優しくなれるといいなとか思ったりしてる。

「道」の絵でも描くかー。

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