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福島県双葉郡双葉町大字西原35-2-2

18歳で東京に出てくるまで、福島県の双葉町というところに住んでいました。もう人生の半分近くを東京で過ごしていますが、この町で知って、感じて、考えたことが今もベースにあるんだと思います。「ふるさと」とはそういうものなんでしょうか。

20歳の頃に絵でやってくぞーと意気込んでいましたが、しばらくして、自分の作風に自身を失っていた時期に描き始めたのが「自画像」でした。自画像と言っても、自分の顔を見てそれを丁寧に描くというよりも、自分が何も見ずに言える事、浮かぶこと、思い出せる事、気持ちが乗る事を改めて考えて描く。というような作業でした。

それがとっても超個人的かつ超全体的な描き納まりを感じて、当時モリモリ描いていました。自ずと幼少期に感銘を受けた出来事や、思い出となるシーンを描き始めて、自分が何にトラウマを受けて今の自分が構成されてるのか自問自答のように描き進みました。

そんな矢先に東日本大震災がありました。自分はもう東京に住んでいて、東京ももちろん揺れたし、パニックでしたが、当時の職場にいた自分は、まあ想像の範疇内だろうなと、高をくくっていた事を今も思い出します。

まだiPhoneもSNSも今ほど盛んではなく、LINEよりもメールが一般的だったあの時、情報が取得できず皆んな未曾有の事態に困惑しました。東京は交通面が滞り帰宅難民が起きましたが、自分は自転車で都内を移動していたので、家には帰れそうだなーと安心してました。

その時、「ここ中山君の地元じゃない?」とパソコンで情報を追っていた先輩が映像を見せてくれました。「福島第一原発」のテロップがあり、「ああー地元だ」。と、幼少期から見慣れた原発の空撮映像が流れていました。地震だけじゃなくて津波のニュースも流れていて、ショックなはずなのに、どこか冷静にその映像を見ていました。

数時間して、職場から皆んな動いて良さそうと判断が出たので、自分はタクシー待ちの長蛇の列や、徒歩でどこまで帰るのか、歩いている人を横目に自転車で帰路につきました。道中映る、大画面でのニュース映像、「地震」「東北」「津波」「原発」「メルトダウン」。地震で、津波で、東北沿岸が大変なことになってると認識しながら、原発は何が起こっているか分かっていませんでした。

生まれた時から近くに海があって、自分にとって海の色は青じゃなく黒に近い濃紺で、原発っていう象徴的な施設があって、友達の親は大体原発関連で働いていて、それが「普通」で育ったから、ニュースで見る「黒い塊が」とか「原発とは」とか、皆んなには馴染みがない情報なんだなと驚いたけど、

地元の友達から情報を聞いて、双葉町周辺は原発の事故での「放射能」が危険ということで、一斉に避難していると知って、「放射能」って何?ってなって、「地震」とか「津波」とか「原発」とか、それって危ないものだったのって初めて感じて、地元にあること何も知らなかったんだなと気づきました。

東京でまた変わらず日常に戻りながら、こんな時に絵描きは何をしたらいいんだと考えてました。この事態を無視して表現、希望を持って表現、祈りを捧げて表現、人や立場を揶揄して表現、この事態のショックさを表現。どれも作品にするにはあまりにもお粗末で嘘っぽくて、というか無理で、絵描きって何もできないんだなと自分は考えてしまっていました。

それでも何となしにペンを握り、描き進んでいるのが自画像で、震災がある前から描いていた自分と景色が、震災があった自分と景色に変わっていることを自分で理解しました。

その時期は震災を想起させる作品や本や発言を、あやかりやがって、と嫌に感じていました。だけど自分もやってる事は同じ事か、皆んな同じ気持ちでアウトプットしてるんだと考えが変わり、東北の歴史、原発の歴史、関わる作品をたくさん調べました。

震災から半年経ち、溜まった作品を表に出そうと、初めて「自画像」のシリーズを展示しました。反応は見事に賛否両論でした。「自画像」以前は派手でキャッチーな抽象画のような絵を描いていて、それは評判が良かったせいか、作風の変わりように、離れていく人もいました。

それでも自分にはこの描き方が今の自分の納得の形だから致し方ないと、未だに探り探り描き続いています。おかげ様で今の自分、作風に理解を示し、興味を持ってくれる仲間もできてとても嬉しいです。

自分は、早く東京に行きたい!と思いながら地元で過ごしていましたが、今になってやっと、地元や震災について話せるようになった気がします。

時間って単位は不思議です。1年って単位で大事にしてる日もあります。誕生日も祝うし、命日は弔います。お医者さんに行けば全治何週間、何ヶ月って診断してくれます。

1秒で忘れる事もあるし、1日で治る傷もあるし、1年かけて咲く花もあります。何百年、何千年って人が生きられる単位では変わらないこともあると思います。

2011.311.1446からもうすぐ10年。

この10年の節目に今を取り上げたり、当時を振り返ったりすると思います。その間に、何が癒えて、癒えなくて、何が変わって、変わらなくて、何を思えて、何を忘れたかは、人それぞれ違うと思います。けど、

震災があってもなくても、それでもなおも、

生き永らえたからには、幸せについて考えながら、

自分は絵を描いていると思います。

4月に久しぶりに展示をします。

コロナ禍ではありますが、注意を払いながら行いたいと思います。このご時世での心境も反映してる展示になると思います。

良かったら見て欲しいです。こんな奴がいるってことを。

中山裕輝 個展
Hiroki Nanayama Solo Exhibition
『あっても なくても それでもなおも』

2021.4.14(wed)-4.18(sun)
11:00-19:00(最終日は17:00close)

GALLERY33 SOUTH
東京都杉並区高円寺南4-12-21
SUNSKY1F
JR高円寺駅 南口 徒歩5分

https://www.gallery33official.com/

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