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「鬼滅の刃ー無限列車編」を「唯識」で読み解く

先日、映画「鬼滅の刃-無限列車編」を娘と一緒に観に行きました。迫力ある映像・音楽に圧倒されつつ、それぞれのキャラクターの心理が、それぞれ見る「夢」の世界を通じてうまく描かれており、素晴らしい作品でした。

夢というと、西洋だとフロイト・ユングなどの心理学で無意識の領域を解明していました。東洋だと無意識の領域を「唯識」が解明していて、人生は「夢」のようなものだと喝破しています。

今回のノートでは、「唯識」の観点で、「鬼滅の刃ー無限列車編」を読み解いてみようと思います。

<注意> 多少ネタバレ含みます。煉獄さん推しの内容です。

唯識とはなにか

唯識は、各個人の世界は、その個人の意識の表象(イメージ)に過ぎないと主張し、その意識(=識)を八つに分類する。

表面にあるのは、五感(眼耳鼻舌身)で、「前五意識」、自覚意識を「意識(第六)」とする。その憶測にある潜在意識には2種類あって、自我(=我欲)が執着する「末那識(第七)」と、「阿頼耶識(第八)」。

阿頼耶識が一番重要で、前五識・意識・末那識を生み出し、さらに身体を生み出し、他の識と相互作用して我々が「世界」であると思っているものを生み出している。

その阿頼耶識はどのように形成されるかというと、人間がなにかを行ったり、話したり、考えたりすると、その影響は種子(しゅうじ)と呼ばれるものに記録され、阿頼耶識のなかにたくわえられると考えられている。

その人の育った環境や、その時々で選択したことが、阿頼耶識に刷り込まれていき、阿頼耶識が他の識に影響を与えて、この後の世界を作り出していく。

こういった、識の移り変わりは無常であり、一瞬のうちに生滅を繰り返すものであり、その瞬間が終わると過去に消えてゆく。

このように自己と自己を取り巻く世界を把握するから、すべての「物」と思われているものは「現象」でしかなく、「空」であり、実体のないものである。しかし同時に、種子も識そのものも現象であり、実体は持たないと説く。

それが唯識の説く、識の構造である。この構造をもとに、「鬼滅の刃-無限列車編」で描かれた無意識の世界を読み解いていきます。

鬼滅の刃で描かれた無意識の世界

眠り鬼・魘夢が見せる夢の世界は末那識に位置付けられ、夢の外側に広がる無意識は阿頼耶識に位置付けられると解釈できます。

それぞれの登場人物が見た夢は末那識の世界なので、我欲が現れてきます。例えば、炭治郎は鬼に惨殺された家族とのつながりに執着し、煉獄さんは豹変した父や、強くなるよう願った母の想いに執着しています。

そして夢の先にある無意識の世界(=阿頼耶識)に核があるとした部分は、阿頼耶識の種子そのものと捉えることができます。鬼に対しても慈しみの心をむける炭治郎の阿頼耶識の世界は澄み切った青空であった一方、煉獄さんは、父に複雑な想いを抱えつつも、母の期待に応えようと鍛錬を繰り返したことが阿頼耶識に刷り込まれており、日々の鍛錬の結果、燃え滾るような炎の世界が阿頼耶識として表現されました。

それぞれの阿頼耶識が、他の識に影響を与えて、言葉や行動などの「現象」として現れてきます。煉獄さんに焦点をあてて、煉獄さんの阿頼耶識が言動にどう影響を与えたか、みていきましょう。

煉獄さんの価値基準と執着心

鬼は肉体的な強さを基準においていたため、死ぬことも老いることもない鬼の世界が素晴らしいと思った一方で、煉獄さんは母からの言葉「弱き人を助けることは強く生まれたものの責務」が阿頼耶識に刷り込まれているので、鬼の誘惑に対しても「君(鬼)と俺とでは価値基準が違う」と言い放ち、「俺は俺の責務を全うする。ここにいる者は誰も死なせない」と言って、最後まで鬼と戦いました。

最後に、弟に対して自分の心のまま、正しいと思う道を進むよう、父には体を大切にしてほしいと炭治郎に伝えたあとに、母の幻覚をみて、責務を立派に果たせたとほめられたあと、笑顔になるシーンは感涙ものでした。煉獄さんの末那識にある執着がすべて解放され、心からの笑顔になれたのだと思います。

どうしたら煉獄さんのようになれるか

煉獄さんが無に帰したあと、炭治郎は目の前に立ちはだかる壁の大きさに愕然とします。躓いて泣いてる炭治郎に、伊之助が「死んだ生き物は土に還るだけ。悔しくても泣くな。どんなに惨めでも恥ずかしくても生きていかなきゃならないんだぞ」と号泣しながら叫ぶシーンは、端的に唯識の説く、無常の世界での生き方を表していると思います。

末那識(=我欲)に邪魔されて何もできないより、何か動いて阿頼耶識の中にある種子を育てていくことが大事なのだという強いメッセージを感じました。煉獄さんの強い心の種子は、自分たちの中にもあるのですよ、きっと。

(まとめ)この作品のすばらしさ

各キャラクターそれぞれ魅力的なのですが、それぞれの特性は華麗な剣術とか言動で描かれつつ、それぞれの人物がもつ本質的な核の部分は、周辺人物との関わりを通じて描いているところが、この作品を奥深いものにしています。今回の映画では煉獄さんの家族との関係が凝縮して描かれていて、煉獄さんを作り上げた核の部分をもとに、カッコいい剣術やセリフが決まっていたので、心に響く作品に仕上がっていると感じました。

おそらく、原作者の吾峠呼世晴さんは相当、仏教のことを学ばれてると思います。そうじゃないと、こんなセリフ出てこないよねっていうセリフが随所に織り込まれています。

私自身、鬼滅の刃は映画が初で、復習としてコミックの7,8巻を読みましたが、これを機に全巻読んで、この世界観を味わってみたいと思いました。





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