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"想いのこもったロゴを世界へ" その2


このロゴをデザインをしてくださったのは、写真家兼デザイナーの山西崇文さんである。

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山西さんは今回のロゴデザインへの想いをnoteに寄稿してくださり、私もその文章と信念に強く刺激を受けた。元々、自分自身で文章を書く予定はなかったが、私自身も"ロゴ制作について""今後への想い"を文字に残しておこうと思う。

↓寄稿いただいたnoteはこちら

口の悪いおじさんとの出会い

私は米国留学時に芸術学科で写真を専攻していた。専攻したのは単に"英語を勉強したくない"という安直でふざけた理由からで、もともと芸術に興味も才能もあった訳ではない。だが、暗室で浮き上がる印画紙に一瞬にして感動し、この世界にのめりこんだ。週5で暗室にこもり、ずっと作品を作り続ける。そんな留学生活になった。

日本に帰国し、ギャラリーのオーナーが共通の知り合いという縁で出会ったのが山西さんだ。
アメリカでちょっと写真が出来ると天狗になった私は、ギャラリーで見かける写真家さんの作品を見ても、"スゴイ"とはなかなか心から思えなかった。だがそんな私ですら、山西さんのオリジナルプリント(暗室でプリントされた1枚もののプリント)には圧倒された。1枚1枚からワクワクしか感じなかった。

↓山西さんは嫌がるかもしれないが、勝手に作品を紹介しておこう。

作品も凄いのだが、山西さんがさらにスゴイのは作品を説明するトークショーだ。圧倒的に口が悪く、そして面白い。
すべてが山西さんの言葉で、借り物の言葉がない。自分が見てる世界とその本質を「おれはこう思ってるんだ、面白いだろう、この野郎」といった感じで語る。そんな魅力に強くひかれたことから、山西さんとの縁は今に至る。

モノを見るということ

前置きが長くなったが、ロゴ制作について書いていこう。

実は最初にロゴ作成を依頼したのは山西さんではない。他の人にお願いをした。山西さんにお願いするという考えはあったが、どうしても踏ん切りがつかないもやもやがあった。

もやもやした想いの1つは山西さんへの尊敬だ。山西さんの作品のファンである私にとって、依頼者として頼んでいいのかと恐れ多い感情があった。だが、もう少し自分の感情を深堀りしていくと、自分への自信の無さが一番のもやもやだったと思う。ロゴ作成の依頼者として山西さんと対等に対峙できるのか。自分のモノを見る目はまだ生きているのか。そこが不安だった。モノを見る目がない依頼者はクリエイターにとっては本当に害悪でしかないし、互いの尊敬がなければ良いものなんて作れる訳がないからだ。

そもそも、写真にせよロゴにせよ作品は「モノを見る目」がないと作れない。デザイナー側はもちろん、依頼者側にも求められるスキルだ。

「モノを見る」とは、良い悪いの基準を自分の中で持つことだ。自分なりのモノを見る基準(哲学といえばいいのか)がなければ、羅針盤無しでさまよっているようなもので、自分の作品すらもまともに評価できず、どうすべきかが判断できない。ちなみにモノを見る目は人の好みではないかと言う人もいるが、残念ながらモノには良い悪いはある。(ビジネスを見るということも本質的には一緒だと思う。ここについて書くと長くなるので、今度にしよう。)

最初は他のデザイナーさんにお願いしていたと述べたが、山西さんに再依頼をし、コンペ形式に変更したのは自分の見る目を信じ、自分が納得できるものを徹底的に作ろうと決断したからだ。(もう1人のデザイナーさんも、もちろん素敵な方で、お互いプロとして、この変更を受け入れてもらった。)

緊張感のある対話

ロゴ制作は、山西さんが案を作り、それを見ながら対話するというスタイルで進めた。最初から数えると10回近くは電話で語り合った。(夜な夜なおっさん同士で語り合うのはシュールだが。) 

対話は、私がその案を見て、コメントするところからがスタートだ。山西さんは、どの案がどう良いか、前回とどう変わったかなどは、事前には一切説明しない。先入観抜きで、私にフィードバックをさせる。

ロゴレビューの最初の頃だが、私が提示された案の中で、もし、別のロゴを選んでいたら、「こんな見る目のないやつと仕事はできねぇ」と、この仕事は途中で降りていたらしい。*冗談ではあるが
(ちなみに、そんなことを言う人に「ロゴのここがしっくりこない。」「アイコンとフォントの調和部分が満足できていない。」などと自分で作りもできないくせに偉そうなことを言い、その理由をなんとか言語化して説明しようとするのが、私側の仕事です。)

こういった対話の中で、一言でも私がしょうもないことを言えば、作者の熱量そして創造力の源泉に蓋をしてしまうことになる。そんな緊張感の中、互いに真剣に対峙し、ロゴを作っていただいた。

限界を超え続けるプロの仕事に触れて

Baridi Baridiのロゴの難しさの1つはフォントだ。文字数が12文字と多く、B以外が小文字の為、フォントの視認性を保てば、アイコンのインパクトが落ちる。特に横に並べるロゴのときに表現するのが非常に難しい。

この問題に出くわしたとき、山西さんは苦しみながら、楽しんでいた。そんな苦闘の中から、これまでボツにした30以上のロゴとは全く違う新作を山西さんは作った。それが今回のリボンのロゴだ。
人は問題にぶつかったときに、本当の姿があらわれるというが、山西さんは楽しそうに苦闘し、想像を超えるロゴを作り上げた。そんなプロとしての姿はとても輝いていた。そんな人に作ってもらえること自体が私にとってはとても嬉しかった。

ロゴづくりで気付かされたこと

ロゴ制作の対話の中で改めて気付かされたことがたくさんある。

1. 経営者になって良かった!
学生時代ずっとやってきたモノを見るということは、これまでのサラリーマン生活でもちろん誰からも必要とされることは無かった。経営者になったことでやっと自分が尊敬するこの世界の人達と仕事が出来る、一緒に面白いものを作れるというワクワクを改めて強く感じている。
(人の気持ちを揺さぶれるモノを作れる人は本当にスゴイ!!)

2. 信念が大事。借り物の言葉や小技では戦えない。
サラリーマンとして、社内の稟議を通すための小技を身に着けたが、それではダメだ。ロゴ制作スタート時に、事業内容を紹介すると、山西さんから「俺はタンザニアでエアコンを普及させるっていうことは別に良いことだとは思ってないからな」と言われた。そう言われればその通りだ。会社の資料に書くような言葉では山西さんがくれた言葉に対しては戦えない。
これからはもっと自分に向き合った言葉で語ろう。

3. プロは楽しそうに壁を乗り越える。
山西さんのプロとしての姿を書いたが、私もそんなプロでありたいし、なりたい。弊社のValueである"Work as professional"への理解が自分自身の中でもう一歩深まった。

想いのこもったロゴを世界へ

山西さんが作ってくれたこのロゴはただの能書きではない我々の想いを伝えてくれている。あとはこれを背負って、世界で戦っていくのが我々の役割だ。風にたなびくリボンは同じ姿をとどめることはない。常識に縛られず、良識・信念に基づいて、新しいことにチャレンジし続ける。そんな我々の使命もこのロゴは表現してくれているのじゃないかなと私は思う。


最初のロゴレビューで即、落選したロゴを1つ紹介して締めくくりたい。
広大すぎる世界観と"冷え冷え"を圧倒的に伝えきっているのでセンスはぶっちぎりなのだが、さすがに宗教的な理由で選べなかった。

作品名:バベルの塔

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作品解釈

神に近づかんと天を目指す人間の驕りは
神の怒りを買い、
互いに違う言語を与えられ、
結果、人類は分断した。
数千年の後、
未だ分断を深める世界をリンクさせるため、
新たな仕組みと冷え冷えの心地よい風が、
人類に降り注いだ。
「頭を冷やせ!」
その風に、人々は神の声を聞いた・・。


↓山西さんのnoteはこちら


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