心を動かす「課題のストーリー」を描き始める~JA全中DX研修
DXを実現するために、デジタル人材を育成する必要がある
こうした声は数年前から盛んに聞こえてくるようになりました。
(ちょうど記事を書いていたら、デジタル庁でも、そうした人材を育成する人材の募集がかかっていました。)
皆さんはデジタル人材の育成と聞いて、何が必要になると考えていますでしょうか?
どうしてもデジタルという側面から、プログラマーを採用せねば、だったり、デジタル戦略を検討できる人材を育まねば、という「デジタル」の視点に行きがちです。しかしながら、単にデジタルの知識やスキルを身につけるということで、本当にうまくいくのでしょうか?
1月より、約半年間、全3回の予定で、JA全中にて、DX(デジタルトランスフォーメーション)に関する研修を、共同研究という形で展開しています。
JA全中(全国農業協同組合中央会)とは、全国のJA組織が結集した形の一般社団法人であり、日本の農業全体の施策にも大きく影響する組織です。今回の研修は、全国各地域にいる、JAのデジタル基盤となる、情報システム関連に関わる方々に集まっていただき、3回のワークショップを経て、DXを推進していくことができる人材を育成しようというプログラムです。
実際に参加者が考えた内容等はここでは紹介できませんが、この記事では、1月に行われた初回の研修の内容の軸であった、「ありたい姿や課題のストーリーを描こうとする姿勢」の重要性についてまとめていきます。
DXで大切なのは、トランスフォーメーション
今では聞かない日も少なくなってきたような「DX」という言葉ですが、皆さんはどのように理解されているでしょうか?
一般的には、IT技術を導入し、組織を変革すること、といったようなイメージを持つ人が多いと思います。
しかしながら、あまりにもデジタル化の観点ばかりに意識が入ってしまっているのではないでしょうか?
DXの本質は、デジタル化という手段の話ではなく、どのように変容(トランスフォーメーション)するのか、が重要なはずです。
つまり重要なのは、自分たち、あるいはステークホルダーを取り巻く生活やビジネス、ものづくりの環境を、どのように変容させたいのかという、「ありたい姿」を問い直していくことにあるはずです。
しかしながら、「ありたい姿」を問い直すというのはそう簡単ではありません。皆さんは今年一年、どうありたいですか?と問われても、なかなか簡単には答えられないですよね?
さらに、DXで考えるべきは、組織全体の話や、お客さんにとっての「ありたい姿」の話です。簡単なわけがありません。
にも関わらず、さほど深く考えることもなく、「自動化」や「効率化」、あるいは「生産性向上」といったようなわかりやすいような、誰かが定義したわかりやすい言葉で「ありたい姿」を定めてしまってはいないでしょうか?
あくまで「デジタル」は手段の話であり、どのように変容したいのかという、「ありたい姿」を、自ら描いていくことから始めることが大切です。
間違ってもいきなりアイデアを考えようとしてはいけません。
ありたい姿の「構造」を、共に描き対話する
「誰の」ありたい姿を描くのか解像度を高める
では、どうしたら「ありたい姿」を描くことができるようになるのでしょうか?
まず大切になるのは、「誰の」ありたい姿を描くのかを定めることです。
例えば、業務管理システムを刷新して、より良い働き方を実現しよう!という方向でDXについて考えるとしましょう。
この時、私たちは「誰にとっての」良い働き方について考えようとするのでしょうか?
ここが曖昧なまま進むと、ありがちな「ありたい姿」に陥りがち、もっと言えば、誰にとっても別に喜ばしくない状況が生まれてしまうこともあるでしょう。
現場の動労時間を削減するために、PCの起動時間で業務時間を厳密に管理し、働き過ぎを抑制しよう、と考えていたら、上司は管理が楽になったが、現場はPCを使わずに必要な作業をこなすことを強いられて、結果として負担が増えてしまった… なんてことは容易に想像されます。
一方でその「誰か」を「現場に復帰した、幼稚園児を育てているお母さん」としてみたらどうでしょうか?そこで向き合おうとする「良い働き方」の解像度は大きく変わるでしょう。
もちろんステークホルダーは沢山いますし、同じ部署、同じ役職の人が、同様なありたい姿を描いているとも限りません。しかしながら、あなたが喜ばせたい「誰か」が心から喜ぶ景色を実現できなければ、働き方が本質的に変容するということはなく、良くて「ちょっと改善された」ところ止まりでしょう。
課題は「ありたい姿」のもとに定義される
誰かを喜ばせるということは、つまりその誰かにとっての「課題」を解決することが大切になります。
この「課題」について、多くの新規事業の現場で用いられているのが「ジョブ」という考え方です。
「ジョブ」とは、イノベーションの大家、クレイトン・クリステンセンの「ジョブ理論」によって提唱されたものです。
書籍では上記のように説明されていますが、どうしてもジョブ理論の話をすると、「片付けるべきジョブ」は何かを探そうとしてしまいがちになるのです。
本来、どう「進歩」したいのかについて深掘りできていなければ、本質的に「片付ける必要があるもの」を捉えることはできません。この「進歩」、つまり「ありたい姿」に対する着目があまりなされていないようにも思います。
先ほどの業務管理システムの件にしても、誰かにとっての「良い働き方」という「ありたい姿」を深掘りすることなく、労働時間をより簡易に厳密に管理する必要がある、というジョブを解決しようとしてしまっていることが問題なのです。
ちなみに私は、「片付けるべきジョブ」のことを「乗り越えるべき障壁」と表現しています。
先ほどの「現場に復帰した、幼稚園児を育てているお母さん」について改めて考えてみましょう。お母さんにとっての「ありたい姿」はどのように描けるでしょうか?
子育ては困りごとの連続の毎日。しかしながら困っていてもなかなか聞ける人もおらず仕事にも身が入らない。そんな人がいるかもしれません。
「仕事には関係ないかもしれないが、子育てのことも相談しながら働き方を考えたい」
こんなふうに、「ありたい姿」を描くこともできるでしょう。
時短で復帰してはいるものの、お迎えや幼稚園からの呼び出しなど、他の人と同じように決まった始業、就業時間で働くということは困難です。
「毎日同じようにコミットできるわけではないが、より柔軟に、可能な範囲で仕事に貢献したい」
こうした「ありたい姿」を設定することもできます。
「ありたい姿」とはそう簡単に見えてくるものではありません。その人がどうなりたいのか、あるいはその人がどうなるとより幸せでいられるのか。喜ばせたい人に寄り添い、対話しながら考えていくことが、より本質的な課題を見つけることにつながります。
「乗り越えるべき障壁」にも、複数の選択肢がある
「喜ばせたい人」や「ありたい姿」がある程度見えてくれば、そこに向かう上での「乗り越える障壁」、つまり課題となるジョブを描くことになります。
「毎日同じようにコミットできるわけではないが、より柔軟に、可能な範囲で仕事に貢献したい」
という「ありたい姿」を前提に考えてみましょう。
柔軟に働いてもらうためには、その人が持てる負荷の仕事を割り振ることが重要です。しかしながら、業務の負荷をしっかりと把握できている職場というのはそう多くはないでしょう。
「その人が持てる負荷の業務を割り振るために、業務負荷を計測する必要がある」
こうした「障壁」を設定することができるでしょう。
あるいは、時短が決まっているが故に、たとえ残れる時でも早く帰らなければならなかったり、あるいはもっと早く帰る必要が出てしまって、結果丸々休みを取らねば行けなくなったり、と言った状況も想定されます。
「月ごとの決まった時間範囲の中で、より柔軟に働く時間を調整できるようにする必要がある」
こうした「障壁」も存在しているようにも思えます。
このように、「乗り越えるべき障壁」にもさまざまなものが想定されます。複数の「障壁」をのりこえなければ、ありたい姿に辿り着けないということもあるでしょう。
課題を見つけようとすると、困っていることを1つ見つけたら満足してしまいがちなものです。もっと乗り越るべき壁、より良いルートがあるにも関わらず、それに気がついていないということも多くあります。
どのような「障壁」を乗り越えようとすることがより本質的かを、さまざまな選択肢の中から考えていくことが大切です。
課題のストーリーを「山の図」で、描き続ける
3つの関係の景色を描く「山の図」
「誰か」の「ありたい姿」と「乗り越えるべき障壁」
大切なのは、これら3つの要素の関係性の中に、どんな景色が浮かんでくるか、にあります。
単にワークシートを埋める形にすると、途端にどうやって記入するのが正しいのか、という正解探しモードに陥りがちで、それぞれをバラバラに考えてしまいがち、ということも少なくありません。
そこで私が以前から用いているのが3つの関係を景色として捉えるための「山の図」というキャンバスです。
あなたが喜ばせたい「誰か」は、どんな山に登りたいと考えているのか(あるいは山頂から何を眺めたいのか、見せてあげたいのか)、そしてその山頂に向かう道のりにはどのようなルートがあり、そのルートにはどんな「乗り越えるべき障壁」(図で言えば渡る必要のある池のイメージ)があるのか。
これらを1つの景色として捉え、向き合いたくなるような景色になるまで、試行錯誤しながら描き続けることが大切です。
新規事業でもそうなのですが、往々にしてどんな課題を見つけるとよいのですか?となりがちです。しかしながら、どこかに落ちているわかりやすい正解を探す姿勢から、魅力的なものが描かれるとは思えません。
3つの要素の関係性を試行錯誤しながら描くことが大切です。穴埋めしていけば良いというものではなく、そのため「描く」という言葉をこだわって使っています。
人々の心を動かす「課題のストーリー」を描く
これら3つの関係性を試行錯誤しながら、筋の通った景色を模索していくと、次第にそこに1つのストーリーが立ち上がってきます。
これを「課題のストーリー」と呼んでいます。
ストーリーとは、人の心を引き寄せるものです。アニメや映画、小説など、人々はさまざまなストーリーに引き寄せられ、共感し、没入していきます。
多くの人の心を動かすストーリーに共通しているものは何か。私は、それが「課題のストーリー」にあると考えています。
皆さんの好きな映画を思い出してみてください。ほとんどの場合、主人公が置かれた困難な状況と、それを乗り越えていく姿に心を動かされるはずです。
目の前に障壁が立ち塞がった困難な状況こそが「課題のストーリー」であり、それは、主人公となる「喜ばせたい人」が、願う「ありたい姿」の中に描かれるものなのです。
例えば、京セラの新規事業である「matoil(マトイル)」は、食物アレルギーを持っている子供たちは、自分が食べたいと素直に思う気持ちを発露できずに、疎外感を感じてしまっていることや、実はそうしたアレルギーを抱える世帯というのは、7家庭に1家庭の割合で存在していること、アレルギーを持っている子供たちも「これを食べたい!」と素直に言える世の中を作りたいという、事業に根ざす「課題のストーリー」を描いています。
魅力的な景色や、それが言葉として記述された「課題のストーリー」が他者の共感を呼ぶことで、一緒に取り組む仲間も集まり、変容に向けた動きも加速していきます。
そんな魅力的な景色やストーリーはすぐに描けるわけではありません。しかし絵画や映画などのストーリーと同じように、描いてみなければ、何も始まりません。描き始めてみる、試行錯誤してみる。この営み無くして、魅力的な「課題」と出会うことはできないのです。
現場を"見に行きたくなってしまう"という気持ちが、いかにして湧き上がってくるのか
1回目の研修では、こうした話を前提として共有しつつ、各テーマに分かれて、実際に山の図を描き始めてみるということをやっていきました。
東京の会議室に集まって、どんな人を喜ばせたいかと考えていても、そううまく描けるわけではありません。それぞれの参加者が自分の知っている限りの現場の声を思い返しながら、山の図を描こうとしてくれていました。
当然こうした課題を深掘りしようとすると、必ずと言って良いほど「現場を見にいく」ことが大切になります。だから盛んに現場に行けと言われるわけです。
しかし、現場に行けと言われた側は、そこに明確な答えがあるのだろうと、現場に直接明確な課題を探しに行こうとしてしまいがちです。私も過去の経験上、現場に行ってきてくださいと指示を出すと、必ずと言って良いほど「現場に行ったら何をしたら答え(課題)が見つかるのですか?」と質問されました。
しかしながらそこにわかりやすく答えが落ちているはずはなく、粘り強く現場で試行錯誤して探るほかないのです。当たり前のように思えますが、「行け」と言われて現場に行く人は、なかなかこれができません。
今回研修をやっていて面白いなと感じたのは、こちらから「現場に行け」と言わずとも、「現場を見にいきたいね」という声がちらほらと参加者の中から上がっていたことでした。
山の図を描いているうちに、より良い景色を描くためにも、もっと現場を見にいきたい、という気持ちが湧き上がっていたように思えるのです。
他者の共感を呼ぶような、魅力的なストーリーを描くということは、物語という作品作りに近い感覚です。こうした前提をもって山の図を描いていると、次第と現場を見にいきたくなってしまうのだと思います。取材しにいく感覚でしょうか?
単に「現場に行って課題を見つけてこい」というステップを示し、それをこなすだけでは、オリジナリティ溢れる課題のストーリーは見えてこないでしょう。自分の中に見にいきたくなる感覚が湧き起こってくるかどうかが、こうした正解のない状況の中で試行錯誤する上では欠かせないように思います。
未来につながるストーリーを描く
1回目の研修は、時間としてもたった半日。全国の各地から集まった初対面の人たちと、いきなり喜ばせたい人のことを考えてみましょう、といってそう簡単にできるはずはありません。
人の心を動かすようなストーリーを描けるようになるのは、きっとまだまだ先のことでしょう。トランスフォーメーションの景色を描くことが、そう簡単にできるはずがないのです。
しかしながらどんな描き手も、最初は拙いながらも自分の物語を描こうと試行錯誤することから始めていきます。魅力的な物語というのは、何度も何度も描いては誰かに語り、現場に行ってまた描いてを繰り返す中で、やっと生まれてくるというものでしょう。
さまざまな人と関わり合いながら物語を共創していくことが大事なはずです。この積み重ねの先にしか、より良い未来が描けることはないでしょう。
時事ネタに乗ってしまいますが、WBCでMVPを獲るという夢を叶えた大谷選手も、「人生が夢をつくるんじゃない。 夢が人生をつくるんだ。」という言葉を残しています。
当たり前のことかもしれませんが、試行錯誤しながら描き続けられるかどうかは大きな違いを生むことでしょう。
皆さんもぜひ、人々の心を動かすような「課題のストーリー」を描き始めてみませんか?
みなさんからいただいた支援は、本の購入や思考のための場の形成(コーヒー)の用意に生かさせていただき、新しいアウトプットに繋げさせていただきます!