今の自分を好きになれないまま、歳を重ねるということ。

 今の自分を好きになれないまま、歳を重ねた。

 29歳になった。ふと、過去の書類を整理していて、長年開けていなかった箱を見つけた。私は物心つく年齢から今まで、小さなメモ書きのようなメッセージも含めて、心に残ったものは全てとってある。それが入った箱だ。中身は例えばこんな具合。

 1番初めの手紙は、小学生1年生のときに母が書いてくれた1枚の葉書。当時、私は嫌で嫌でたまらなかった空手の習い事をしていた。多分、人生で初めて感じた「憂鬱」だと思う。それでも無理やり通い続け、白帯からオレンジ帯への昇格試験(いわゆる1段階から2段階)の前の日に母が手紙をくれたのだ。そこには「空手を頑張ってるあなたが好きだ」と書かれている。
何かを頑張るのはもしかしたら誰かのためなのかもしれないと、そのときの強烈な気づきは今も忘れていない。

 また、中学校の入学式の前日には、私の小学校の入学当時の母の思い出が書かれた手紙をもらった。ランドセルを背負って通学路を歩く自分の姿を、毎日マンションから見えなくなるまで目で追いかけていたと。目に見える優しさが全てじゃない、見えないところで人を案じること、想うことの大切さを教えてもらった手紙だ。

 チラシの裏紙も大事にとってある。高校受験で疲れ果てた私は気を紛らわすために「ものごとから逃げない」とA4チラシの裏紙に書いていた。真相は知らないが、酔って深夜に帰ってきた父親がその机の上にあった紙を見て、その下に「君は日本を変える男だ。おやすみ。」と机にあった私の赤ペンを使って殴り書きしてくれていたそんな裏紙も大事にとってある。人は信頼や期待を寄せてもらった時に輝く準備ができるのだと、そんなことをチラシの裏紙から教えてもらった気がする。
 
 これらはほんの一部だが、家族から、仲間や先輩や後輩、お世話になった方々から人生の節目節目で、たくさん言葉をもらってきた。その言葉には、その言葉をもらった当時の自分が色濃く投影されている。その言葉で、前に進んできたはずだ。同時になぜか胸が痛い。

 私は、今の私を好きになれない。私は、自分に自信がない。会社の代表としても、ビジネスマンとしても、1人の夫としても一児の父親としても。
「私は、過去に自分に言葉をくれた人たちを裏切っていないか?」と1つの疑問が頭に浮かんでいる。

 結論、私には誰かの期待や信頼を裏切っているだろうという自覚がある。昔の自分とは変わってしまったという自覚がある。信じてくれていた人を傷つけたこともあるだろうし、誰かの期待にも十分に応えられていない。
見たくないことから目を伏せて逃げたこともある。いつか絶対に謝りたいけど、まだ謝れていない人がいる。でもしかたない、全員にいい顔なんてできない。大人になることはそういうことだと、割り切ってきたことがある。なりたくなかったかっこ悪い大人の典型なのかもしれない。要するに、振り返ると後ろめたいことが増えてしまったのだ。だから今、過去にもらった手紙を読むと胸が痛い。

 大人になるということ、歳を重ねるということは、何かを諦めることだと思っていた。見てみぬふりをすることだと。

 でも、本当にそうなんだろうか。散々ここまで自分を卑下してしまったが、私に自信がなくたって、私は今たくさんの人に支えてもらっている。
何があっても大丈夫だと想わせてくれる妻がいる。
存在そのもので愛は無償であることを教えてくれた子供がいる。
そして、一緒に進んでくれている仲間がいる。
歳を重ねても、多分私はきっと何も諦めていない。

大人になるということ、歳を重ねるということは、
きっと過去が美しく映ることだ。

消したい過去も、また味わいたいほど最高な過去も、全部ひっくるめて良かったと、美しいなあと言える「今」をつくることが大事なんだと思う。

私は私のことを好きになれなくても、
過去が美しく映る「今」を生きている。

それでも今の私は弱い。立ち止まることが怖い。結果が出せないことが怖い。期待を裏切ることが怖い。信用を失うことが怖い。夢を叶えられないことが怖い。

その怖さを、描く大きな夢で紛らわせている。
夢は前向きな時もあれば、
逃げるように描く夢があってもいいじゃないか。

私は今の自分を好きになれないまま、歳を重ねた。
今の私は、今の私の人生を未来で肯定できるように生きようとしている。
必死に。

今を生きる私へ。
過去はきっと美しく映る。
歳を重ねるとはそういうことだ。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?