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あなたの中にいい子はいる?

ごきげんよう、都花です。

今日は何となく体がだるくて、ベッドでだらだらしていたところ「いつまでだらけているの!」と言われた気がしました。
あら、「いい子」ちゃんのご登場です。

それぞれが持つ「いい子」とは

皆さんにも「いい子」の基準があると思います。素直な子、明るい子、従順な子、面白い子、外見が良い子、勉強ができる子、運動が出来る子……
「紹介したい人がいるの。すごくいい子だよ」なんて言われて男女とも紹介されたことが何度かありますけど、その基準は本当にまちまちですね。

私が思う「いい子」とは、誰とでも仲良くできて、あまり人の悪口を言わない、良く笑って、聞き分けが良い、我慢強い、大人びた子です。

なんだかやけに具体的。そうです、私の事です!笑
正確に言うと、子供の時の、私です。
もちろん子供ですので、上記のような完璧なクオリティではなかったかもしれません。でも、他人からはおおむねこの様に評されていたようです。

そうクオリティです。私は意識して、いい子を作っていたのです。
いつからなのかは覚えていませんが、関係する祖母との思い出があります。

祖母は、一般的に想像できるおばあちゃんと同じように、優しくて、孫にお菓子とかを買ってくれる人でした。
ある時祖母は「お菓子が欲しければ買ってあげる」と言ってくれました。しかし、私は知っているのです。そうは言っても「大丈夫、欲しくないよ」と言うと、たいていの大人は喜ぶのを。ママ友に「うちの子は我儘ばっかりなのに、都花ちゃんはお利口さんで、いいわね~」こう言われて、親が満更でもなさそうだったのを知っていました。
なので、この時も同じことを言いました。お菓子を我慢したのか、本当に欲しいのもなどなかったのか、もう忘れてしまいましたが。

しかし祖母はこう言いました。「なんだ、可愛くない子だね」
私は衝撃だったのを、はっきり覚えています。否定されたのもショックでしたが、それ以上に、人によって「いい子」が違う事に驚いたのですね。

これは小学校低学年くらいの話です。とするとこの時には、既に意識していたことになります。

普通ではない感覚をカバーする

私は自己紹介でHSS型HSPである、と書きました。

小学生の私がHSPなど知りようもないのですが、それでも、どこかで感じていました……というか、言われていました。「変わっている」と。笑
感覚や、言動、年齢の割に冷めた考え方、恐らく全体的に「変わっている」と思われたのでしょう。
これに対して親は「変わっているとは誉め言葉だ」と言っていました。この言葉には感謝しています。おかげで「変わっている」という言葉に傷つくことはありませんでした。(相手がどんな感情で言っていても)
ですが、気持ち的には大丈夫でも、実際に世間で浮いてしまうと弊害があるのですよね。からかわれたり、軽い仲間外れにあったり、何となく集中的に言葉を浴びたり。

これが嫌で、なんとかしようとしました。しかし私の場合、醸し出される「ちょっと浮いてる」感はぬぐい切れませんでした。笑
そこで「浮いている感」を、「いい子」でカバーしようとしたのです。いい子は大抵好かれます。好かれていれば、ちょっとした「変わっているところ」は愛嬌と受け取られるのです。だから、人間関係のトラブルに巻き込まれることも少ない。これが最大の利点でした。

恐らく最初は親に褒められたかったから。次に周囲から浮かないようにするために。そして誰にでも好かれるように。

しかし本当は、誰にでも好かれることなど不可能だとも思っていました。私は、自分で自分を否定していたのです。
私は矛盾していました。でも、それには気付かないのです。

私は歳をとるにつれ「いい子」を個人向けにカスタマイズするようになりました。本質的なところは変えず、向かい合う相手の欲しいであろう態度、言葉、距離感を少しづつ調整して提供しました。祖母にはお菓子をねだるようになりました。

そうして段々と、いつしか私は「私」を忘れてしまいました。作っていった「いい子」が私になったのです。それくらい自然に、無意識になりました。

「いい子」による弊害

こうなってしまっては、自分が誰なのか思い出せません。
思考、行動、感情全てが、「正しい」「間違っている」かで判断します。何に対して正しいか? 「いい子」に対してです。

社会人になった私ですが、少しずつ狂っていきました。学生生活は比較的順調に過ごしてきましたが、新社会人になったことで環境が大きく変わり、HSPである特徴が押し出されてしまったのです。

忙しい部署に配属になり、それなのに仕事が遅くて、理解に時間がかかって、追いつかなくて叱られ、早くやれば失敗し、謝罪して苦しくて、お客様の前で落ち込むなと言われ、笑顔を作れば反省してないなどと言われる。そして振出しに戻る。

私は学生時代は「いい子」であるため、困らない程度に物事をこなせていました。ある程度、何でもできると思っていたんですね。
ところが、それが崩壊しました。何でもできるどころか、社会人になった途端、何もできない。
私は「いい子」ではなくなりました。自己肯定感は地に落ちました。

私は段々感情が鈍っていきました。怒ってもいい状況で怒りが沸いてこない、笑っているのに何が可笑しいのか分からない。
今、何の感情が正解か、分からない。

こんなに合わない仕事でしたが、辞めることも出来なかったんです。すぐに辞めることが「正解」ではないと判断していたので。
いつか整理して仕事のことも書けたらな、と思います。またの機会に。

「いい子」の瓦解

その後、HSPについてネットで知り、自己紹介で書いた心の師匠に会いに行った際、師匠はこんなことをポロっとおっしゃいました。
「あなたは相手基準で判断して、気遣いしているみたいですね。でも、あなたはもっと独特の世界観を持っているように思いますよ。自分本位の価値観があるのでは?」
ドキッとしたと同時にギクッとしたように感じました。
しかし、この時の私は本当によく分かっていませんでした。そう伝えると、師匠は「そうですか」と穏やかに言うだけでした。

この言葉をきっかけに、自分自身についてよく考えるようになりました。
私は何が好きで、何が嫌いなのか。何がやりたくて、やりたくないのか。
「少しずつ自分を許可してください」師匠はおっしゃいました。嫌な感情を抱いても、それについて自分を責めないように、と。ただただ、自分を労わるようにと。

すると、変化がありました。何が食べたいのか、分かるようになりました。
もちろん好きな食べ物はありましたが、「今あれが食べたいな」「あの味を味わいたいな」という、今この瞬間に食べたいものが、はっきりと欲望として感じるようになったのです。
「何を馬鹿な」と思いますか? 分からなかったのです。そんなことも。
「何が食べたい?」と聞かれれば「なんでもいい」が鉄板の受け答えでしたから。たまに、そうは言いつつ食べたいものが決まっている天邪鬼もいますけど、笑 私は本当に何でも構わないと思っていたのです。

そうやって、自分のやりたいことだけをやる日々を過ごしました。すると段々と、自分の感覚がよみがえっていきました。
そして「いい子」がはがれていくのを感じました。私の、だいぶ気分屋で飽き性で我儘な部分が顔を出すようになったのです。

そして気付くのです。私の思う「いい子」とは私の正反対の姿だったと。

これが「私」でした。私の本性はこんなにも子供っぽいのです。
清々しい気持ちでした。目が覚めるようでした。
と同時に悲しい気持ちになりました。今まで無理させてごめんね。

「いい子」のその後

今、私はおおよそ「本来の私」で生活しています。
選手交代で「いい子」には引退してもらいました。追い出すのではなく、そっと物陰にいてもらう、仲良くなろうと思ったのです。私が社会の荒波で耐えられたのは、間違いなく彼女のおかげなのですから。


たまに、ひょこっと顔を出します。「いつまでだらけているの!」と私をいい子にしようとします。
「はいはい」と軽くあしらって、私は今日もベッドから起き上がる。

私は矛盾していました。あなたはどうですか?


あなたさえよろしければ、またお会いしましょう。





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