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反効率的学習のための法律学入門「ビジネスの基礎にあるものと法の役割」ビジネス法務① #8

1 はじめに


今回は少し角度を変えて、ビジネスの基礎にあるものと法の役割、を考えてみたいと思います。法の働きを捉えるうえでも欠かせない視点を提供してくれる領域となります。

*前回の記事



2 全ての人間にとってのビジネス


ビジネスは一部の人々、例えば、事業者やビジネスパーソンと呼ばれる方たちだけのテーマではありません。もちろん、さまざまな事業をする会社で働く会社員や役員、起業家、個人事業主やフリーランサーは、毎日ビジネスの最前線で頑張っています。他方、私たちの誰でもが消費者です。買った食材を料理して食べたり、調理済み食品を買って食べて生きている以上は、消費者でない人間はいないと思います。もちろんその他にも様々な物(財)やサービスを買って、あらゆる人間は生活しています。そうである以上、すべての人間は(少なくとも消費者として)、ビジネスという巨大な営みに日々接触しており、その営みを形成する一員であるとみてよいと思います。つまりは、全ての人間にとって、ビジネスは無関係ではありえないということです。関わり方や濃淡の差はあれ、すべての人間にとって関係があるのが「ビジネス」という営みです。



3 ビジネスとは何をしているのか


ビジネスの実態の中心は「取引」です。では一体「取引」とは何なのか。人々が取引をするのは、取引するとよいことがあるからですが、その内実は何か。なぜ「よいこと」が起こるのでしょうか。

経済学の知見により、「取引は利益をもたらす」ということが知られています(ポール・クルーグマン、ロビン・ウェルス『クルーグマン ミクロ経済学 第2版』16頁(東洋経済新報社,2017)では、「取引は利益をもたらす」ことを「原理5」と定めています)。これによれば、人々が自分の必要とする財やサービスを自給自足するのではなく、それぞれが異なる生産活動を行う分業をすることで特化が生じ、こうして創出された財やサービスを相互にやり取りする、つまり「取引」することで、自給自足するよりはるかに多くのもの(種類も品質も)を手に入れることができるという利益がみんなに生じる、みんなが豊かになる、ということです。

この点、すなわち、異なる生産活動により創出される財やサービスをやり取りする、「取引」する、ことの意味理解を深めるために、すこしおかしな思考実験をしてみたいと思います。



4 レクサスをレクサスと交換する…?


レクサスとレクサスを交換する「取引」?

Aは新車のレクサスを所有しています。Bも同じです。両者のレクサスは、製造日もグレードもデザイン・色調も全く同じです。隠れた不具合があるとかいうことも一切ありません。まだ走らせてもいません。そのAとBが、それぞれのレクサスを交換する(相互に代金を支払って相手のレクサスを取得する、というケースでもよいです)、ということはあるでしょうか?

「ない」と言っていいと思います(「ある」場合を考えれば、かなり興味深いミステリー小説のシナリオが出来上がります)。なぜか。当たり前のようですが、Aはレクサスを有していますから、それを失ってまた同じレクサスを手に入れる必要はなく、Aに何らの「効用」も生じないからです(「効用」とは消費による主観的な満足感)。鏡のような関係ですから、Bにとっても同じです。このレクサス交換は完璧な「等価交換」ですが、AにもBにも価値が生じません。ですから、A・B間のレクサス交換は生じません。同じもの(物でもあり者でもある)の間では取引にならないのです。

「同じものを持っている人同士の間では、互いの持ちものを交換する理由がない」ということです。

稲葉振一郎『「資本」論―取引する身体/取引される身体』90頁,ちくま新書,2005年

そうすると逆に、「取引」の本質が見えてきます。すなわち「取引」とは、「違い」「差異」があること、その間において、これを交換することをその本質としているということになります。「違い」「差異」があるから、相手にとってはそれが価値となり、その間で交換が生じることで効用が発生するのです。だからこそ、相互に相手に対して「ありがたいな」という気持ちも生じることになります。

私は一生努力しても、自力でPC1台も作り上げることはできないでしょう。しかし、PCメーカーは、日々多数のPCを製造しています。PCメーカーは、自社のためにそんなにたくさんのPCはいりません。欲しいのは金銭です。他方で、私が欲しいのはリーズナブルな金額のPCです。私とPCメーカーでは、欲しいもの、価値を感じることが違います。効用の対象が違います。だから、この間に取引が生じる。それゆえ、相互に相手が「ありがたい」のです。

このように、取引の前提に「違い」「差異」という原理があることを銘記することが大事です。



5 取引の本質から導かれる法の役割

(1)「違い」「差異」間のやり取りであるから「共通」のルールとしての法が必要となる

レクサス交換の例では、AとBとの関係が鏡像のような関係ですから、こうしたミラーイメージ間のやりとりでは、AがすべきこととBがすべきこととが全く同じになります。このような場合にルールなど必要ありません。同じことをするのですから、お互いがすべきことは一義的に明確です(先ほど見た通り、ミラーイメージ間のやり取りは通常ありえないのですが)。

しかし、先ほど見たように、「取引」は「違い」「差異」があるもの同士でするやりとりです。「違い」がある、それでもその間でやり取りしなければならない、やり取りしたい、だから「共通」の何かが必要となるのです。それが、「共通」のルールとしての法です。

「違い」「差異」がある取引の当事者は、その感性や考え方、財・サービスの提供力を含む経済力や情報力等の諸力が、それぞれ千差万別です。相手とやり取りするもの(財・サービス)が、相手のそれと違います。このような場合に、何をどうやったら「取引」が成り立ち、何をどうしたら「取引」に問題が生じたときに解決できるか。「違い」「差異」の存在にも関わらず当事者間に対等性を生み出す、そのためにお互いがなすべきことを明らかにする。これにより「取引」がスムーズに実行・完了できるようルールを定める。これが法が果たすべき一つの役割だということになります。

(2)「違い」「差異」間のやり取りであるから「明確かつ透明」なルールとしての法が必要となる

前述のとおり、「違い」「差異」がある取引の当事者は、その感性や考え方、財・サービスの提供を含む経済力や情報力等の諸力が、それぞれ千差万別です。このような場合、(相対的には必ず)優位者と劣位者という関係になります。これを前提に「取引」をすれば、劣位者が不利益を被ります。取引は、取引当事者のみならず社会全体が豊かになるべき経済の営みです。それで不利益が生じるようではやがて取引という経済活動が停滞し、社会全体が衰退します。

優位者は、その力を不当に行使しようと意図するときは、曖昧・不透明な状態を好みます(以前の記事を参照)。そこで法は、これを「明確かつ透明」にして、優位者の恣意を解体してしまい、劣位者の利益を守る。法の本質に属する極めて重要な役割を果たすことになります。




*以下の記事につづく



【参考文献】
・ポール・クルーグマン、ロビン・ウェルス『クルーグマン ミクロ経済学 第2版』(東洋経済新報社,2017)
・岩井克人『資本主義を語る』(ちくま学芸文庫,1997)
・稲葉振一郎『「資本」論―取引する身体/取引される身体』(ちくま新書,2005)



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