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メモ書き 木庭顕『クリティック再建のために』/第Ⅰ章 クリティックの起源 2 出現 —②

〔自分のための読書メモ。自分用手控えのため私見が混入しているので、同書を必ず参照いただく必要があります。加筆修正中です〕

木庭顕『クリティック再建のために』講談社選書メチエ,2022.


〇文芸の新しい形態と市民社会原型
デモクラシーを支えるもう一つの知的営みがある。

ホメーロス等の叙事詩は、P´の位置に立つ。これは、「⇒」を経てQを導出できる。つまり、直ちにではない。「⇒」は、P´に特殊なパラディグマティックな操作、すなわち、論拠付けないし結論導出の作業を加えることを意味する。

さて、この「P´がQに向かう」という方向ではない方向、というのがある。それが、P´たる文学を、まさにその平面のまま再び原クリティックⅢに晒す営みである。その限りで、Qという政治的決定の方向へとは初めから行かないと決めている営みである。

P´に原クリティックⅢを施し、P´´を生む。
*ホメーロスという文学なり文芸という基盤・素材・土壌から、例えばソポクレスが「オイディプス王」という新しい文芸を生み出す。これは多様に無数に派生していくだろう。
*文学と文芸を区別して用いているのかは不明。

P´に原クリティックⅢを加えるのであるから、P´´は、一層極端にヴァージョン対抗を増幅し極限に至ることになる。そして、前述したように、Qという政治的決定には向かわない方向をあえて追求するのであるから、現実の平面からは一層離れていく。
*文庫本を抱えながら、政治的演説をしないこと。
*アリョーシャに心惹かれても、だからといってツァーリに危険物を投げ込まないこと。

Qに向かわない文芸たるP´を「M1」と呼び、上記原クリティックⅢを加えて生まれたP´´を「M2」と呼ぶ。
*新しい記号を付けるのは、「文芸化された」(つまり、何かの行為指針や価値判断基準にはならない)という性質を強調するためであろう。

(M1に原クリティックⅢを施してM2を創造するという知的営みが、どうしてデモクラシーの社会構造を支えるかは、明示的に論証が省略されている)が、核となる理由は、「人々の意識を培養する」である。

M2は、クリティックが生きる土壌・育まれる土壌であり、デモクラシーの基盤たる「自律的な社会」の基盤となる。市民社会の原型、そこで育まれる情念、そしてモラル・フィロソフィーの基盤となる。
*自律的であることが、権威に抗する、権威を構築しない、権威に安住しないことの前提。
*(時空を大幅に離れるが)私たちは、夏目漱石が生み出した諸文学を読み、近代に直面した、そして直面し続ける日本人としての意識を養うはずである(漱石による近代との切り結びの営為は、つい最近ことであることは言うまでもない)。







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