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こうして人々は人生を“Office”にかける

デジタル迷宮で迷子になりまして 第4話

 実は、WordやExcelで仕事をするのが好きではない。マイクロソフトが嫌いだとかそういった話ではなく、常に何か効率の悪い作業をしているような気分になるからだ。

 例えばWordを使っていても、多すぎる機能をUIが制御できていない印象を受ける。多彩な機能が搭載されているはずなのに、不勉強な私にはどこに何の機能が潜んでいるのか分からず、ちょいちょいGoogle先生のお世話になっている。そうやって使い方を調べるたびに思うのだが、まとまっているべき機能が分散していたり、メニューの名称からは想像できない機能が隠れていたりと、明らかにおかしい部分が散見される。操作していると、増築を重ねた結果として暮らしにくくなった豪邸の中をうろついている気分だ。そこに「きっともっと便利な機能があって、知っている人は効率よく作業できるのだろう」という無力感が加わり、(自分の努力不足はさておいて)暗澹たる気持ちになるわけだ。

 しかし、世の中の“できるビジネスパーソン”はその隠された機能を見つけ出し、すいすいと操っている。一応パソコン誌の編集者でもあったので、私もそれなりにソフトウェアの操作には長けていると思うのだが、Officeについてはおそらく初心者の域を出ていない。でもそんな“できる”人たちも、必死で努力しているに違いないのだ。その証拠に、WordやExcelの解説本は相変わらず売れ続けている。参考書でも読まないと、Officeでやりたいことができないということがうかがい知れる。

 Officeは、押しも押されもせぬキング・オブ・ソフトウェアだ。子供から大人まで、パソコンでドキュメントを制作するときにはWordを使うし、請求書はExcel、プレゼンはPowerPointと相場は決まっている。そんな風にOfficeで作られるファイルで学校や職場での成績が決まり、お金が計算され、ビジネスが動いている。それはもう、世界中でだ。もはや、世の中はOfficeで動いていると言っても過言ではない。何なら地球の未来はOfficeにかかっているだろう。

 ところが、そんな世界中の人たちの人生がかかっているソフトウェアであるにもかかわらず、何だか今ひとつなのだ。それでも世界中の人たちはあきらめることなく、このソフトウェアに人生をかける。

 デジタル技術は生活を便利にしているが、一方で人にいびつなルールを押しつけてくる。人は慣れの生き物だ。何か理由があれば、少々の不具合には慣れてしまう。例えば、Siriにやたら丁寧に話しかけてしまう姿は滑稽だ。明らかに人のほうが機能に合わせている。人がコンピューターに合わせられるからか、デジタル市場にはどうもコンピューターを人に合わせようという気持ちが足りていない。

 かつてMac OS Xが登場した直後、Omni Group社からリリースされた「OmniGraffle」を初めて操作して、その直感的なインターフェースに感動した。メニューやパレットのアイコンを頼りに操作すれば、やりたいことが大抵できてしまうUIは素晴らしく、ソフトウェアの操作が気にならない環境だと、こんなにもクリエイティブに頭を働かせることができるのかと驚いたものだ。

 そんな直感操作に慣れてしまった私は、もはやアプリの複雑なメニュー構造を紐解いたり、機能を探ったりする勤勉さを失ってしまった。だから私はWordではなく、愛用し続けているOmniGraffleで企画書を書いている。何せ人生がかかっているのだ。でもまあ、Officeもスゴくたくさん使っている。

Officeは、マイクロソフトがやらかしてしまったITの負の遺産の権化だと思っています。独自機能や操作方法、過去のファイルなどの莫大な資産との互換性を維持した結果、無駄な機能や整合性が破綻したUIを引きずりながら生かされているゾンビアプリです。このままでは、地球はOfficeに足を引っぱられ、さまざまな開発が減速してしまうのではないかと心配しています(していません)。

こちらの記事は月刊Mac Fanにて執筆しているコラムを一部修正して、コメントを加筆したものです。


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