見出し画像

【業界初!?】 新しい時代の弁護士像を確立するための人事評価制度を魂を込めて作った話

序論

憂い

2022年、僕はほぼ一年を通じて憂いていた

2018年9月に僕が開設した東京スタートアップ法律事務所(略称TSL)は、コロナ禍をはじめとした紆余曲折を経験しながらも、当時、順調に成長を続けていた。

にも関わらず僕が憂いていた理由は、人事評価制度にある。

当時からすでに、人事評価制度は存在していた。
事務所から弁護士へ毎月支払われる月額報酬を決定するため「報酬規程」があり、半期に一回、各弁護士の働きに対して査定が入り、その弁護士の報酬額を決定する仕組みだ。

しかしながら、その報酬規程は作成した時期が古い(と言っても2020年1月)ということもあり、会社の価値観(思想)が決定的に欠けていたのである

ミッション・バリューの再定義

当事務所では、2022年初頭から春にかけて、企業としてのミッションを定義し直した。
それが「UPDATE JAPAN」(新しい時代の弁護士像を確立し、この国のアップデートに貢献する)である。

※当事務所の企業理念である「Update Japan」。
当事務所のオフィシャルサイトから拝借。詳しい内容はサイトを参照。



そして、それを実現するための最も重要なバリュー(価値観)として、「For Client」という概念を打ち出した。

これは、クライアントに対して、単に法的知識を提供するだけでなく、クライアントから心から「ここに相談・依頼をしてよかった」と思ってもらえるように、心のこもった対応を行おうというものだ。

For Clientについて

理想論としてのFor Client

「For Client」とは、いわば理想論である。
現場で働く人たちは「お客さんを大事にしよう」というような経営陣のフレーズを、耳にタコができるほど聞いてきている。
様々なクライアントがいて様々な弁護士がいる。最終的な結果はやってみないとわからない。両者の相性が悪いこともあるだろう。ボタンのかけ違いで双方に溝ができてしまうことだってある。
お客を大事にしないといけないことなんてわかってる。ないがしろにしようなんてこれっぽっちも思ってない。それでもお客さんとの関係が上手くいかないことがある。それに何よりも、弁護士は忙しい。
こういった現実からすると、「For Client」なんていう言葉は、現実を忘れた経営者の世迷言・綺麗事にすら聞こえる。これが現場の本音かもしれない。


しかし、そんな意見は受け入れられない。
弁護士に相談したり依頼したりする人は、人生の岐路にいることが多い。人生を賭けた事業を成功させたくて顧問弁護士を探している人もいれば、子供を3人抱えて離婚を選択しようとしている人もいる。
そういった人たちと接する弁護士のスタンスは、相手の気持ちを慮ったものでなければならない。弁護士は、優しくて頼りになる存在でなければならない。
そうじゃない現実がもしあるんだったら、現実の方が変容するべきだ。現実を容認し理想を口にしなくなった経営者に価値などない。気に入らない現実を自分の理想とする新たな現実に作り変えるのが経営者の仕事だ。


経営戦略としての「For Client」

「For Client」は経営戦略でもある
我々の業界は、今変革を迫られている。弁護士数が大増員され競争が激化しているだけでなく、弁護士実務の一部若しくは大部分が人からAIへと代替されていく近未来が待っている。
そんな時代に人々が選ぶのは、単に何でも知っていて賢いだけの弁護士ではなく、優しくて頼りになる弁護士だと思う。

「For Client」は、集客に関しても有利に働く。
「For Client」な姿勢は良い口コミを呼び、紹介やリピーターを生みやすい。
時間はかかるかもしれないが、広告予算をたくさん割いて頑張って集客をしなくても、口コミを聞きつけたお客さんの方から事務所にアクセスしてくれるようになるはずだ。

クライアントが心から満足し、結果的に事務所が繁栄するためには、「For Client」の概念を事務所内に深く浸透させる必要があると信じた。


モヤモヤした気持ち

というようなことを考えながら、昨年の春、この理想を事務所内で高々と掲げた。

我々は「日本で一番For Clientな事務所になるんだ」と。
それにより、「新しい時代の弁護士像を確立するんだ」と。

これらの理想を掲げながら、僕の胸の中には正直、少しモヤモヤした気持ちがあった。

この理想を担保する仕組みがなかったからだ。
会社のミッションやバリューを絵に描いた餅にしてはならない。

でも、どれだけ僕が理想を語ったところで、このままではそれこそただの綺麗事や理想論になってしまう。

それこそが僕が感じていた「憂い」である。


現実と理想の架け橋となるもの

思想を組み込んだ評価制度の必要性

事務所には、理想と現実をつなぐためのシステム、つまり「For Client」の思想を組み込んだ人事評価制度が必要だった。

それが存在し、かつ正しく運用されれば、うちの事務所に所属している弁護士に対して「For Client」な行動を促し、優しくて頼りになる弁護士が評価される世界観を実現できると考えた。

「For Client」度合いを測る方法

さて、具体的な方法についてだが、「For Client」は、顧客の主観に重点を置いた概念だ。したがって、その弁護士の「For Client」な度合いというのは、売上や受任率(相談に入った弁護士が依頼を受ける確率)と違って直ちに数字として現れにくい。

そこで、評価項目の中に「顧客満足」という指標を設け、その弁護士が対応したクライアントに対して「その弁護士の対応の満足度を10段階で教えてほしい」という質問を直接行い、その回答を数値化することによって実現させた。


このような制度を導入すると、「クライアントの主観によって弁護士の評価が左右されるのはおかしい」、「無茶な要求をするクライアントは満足させられない」という声が聞こえてきそうだ。


それに対して、僕は以下のように考える。

クライアントの主観によって弁護士の評価が左右されるのはおかしい?
 否。クライアントの主観を満足させることこそが当事務所に所属する弁護士の職務である。適切な結果を出すこともそのための一手段に過ぎないと考える。そもそも我々の仕事の評価者は我々ではない。我々の仕事の評価者は、クライアントである。

無茶な要求をするクライアントは満足させられない?
 精一杯対応し、法的に妥当な結果を出したにも関わらず、クライアントの要求水準が高過ぎたがために不満を抱かれるという経験は、弁護士なら誰だってあるだろう。僕だってある。ただ、これまで満足してもらえなかったクライアントは全員そうだろうか。クライアントの気持ちを慮ることで回避できたケースはなかっただろうか。そうだとしたら、物事の一部だけを見て全体を語っていないだろうか。

一見正しい意見に対しても、時として「NO」と言わなければならない。

副産物

なお、弁護士の満足度を尋ねる質問と合わせて、その理由や改善点などの質問も投げかけるようにしたところ、業務改善に役立つ貴重な意見がたくさん得られた。副産物ではあるが、「For Client」な世界観を実現するために非常に貴重な意見である。本当にありがたい。

評価の比重

やはり悩む

さて、次に問題となるのが、「顧客満足」という指標を設けたとして、それにどの程度の比重を持たせるべきかということだ。

当然だが、会社が回っていくためには売上が必要である。売上を生み出すためにはクライアントと面談(法律相談)をして依頼を受けなければならないし、依頼を受けた案件で結果を出さなければならない。「顧客満足の追求」という理想論だけでは、事務所経営は成り立たない。現実問題として、売上や受任という要素は決して無視できない。

しかし、僕の知る限り多くの法律事務所では、売上や受任という要素ばかりが評価の対象となっているように思う。
人事評価制度自体が存在しないという法律事務所も多数あるが、存在していたとしても、程度の差こそあれ、売上や受任に対してインセンティブを出すという事務所がほとんどだ。中には、業務量を算出してそれに応じた報酬を支給するという事務所も存在する。

経営環境の悪化と勤務弁護士の売り手市場化の狭間で、所属弁護士たちの頑張りに精一杯応えようとする経営者たちの努力には、涙ぐましいものを感じる(当然、うちも必死であがいている事務所の一つである)。


もはやこれは正解のある話ではなく、その経営者が自分の事務所の弁護士にどうなってもらいたいか、ひいては今後事務所がどうなっていきたいのかという決断の問題であることに気づいた。


そして、弁護士人口が増え、弁護士実務の大部分がAIによって代替されていくであろう近未来において、IQよりもEQ(心の知能指数)の高い弁護士の価値が相対的に上がっていく。「For Client」な弁護士が勝ち残っていく時代が来ると確信している。

僕はその未来に張ってみようと決めたのだ。中途半端は良くない。

決断

そんな中で僕が出した結論は、「顧客満足」という指標に、売上や受任と同等の比重を持たせるということだった。


具体的には、

面談時顧客満足という指標を設け、評価において受任数・法律相談数の合計と同じだけの比重を持たせた。

終件時顧客満足という指標を設け、評価において売上と同じだけの比重を持たせた。


すなわち、法律相談にたくさん入って受任をして高い売上を上げていたとしても、顧客満足度が極端に低ければ、満点のうち半分しか点が取れないのだ。
※正確には、後述の「チームへの貢献」という項目があるので、こちらも低ければ4割しか点が取れないことになる。

受任率について

なお、受任「率」は評価の対象としないことにした。

無理に受任しない方が「For Client」な事案が存在するし、相談者の側に依頼意思がまったくないといったケースも存在する。にも関わらず「率」そのものを直接的な評価の対象とすることは、歪みを生むと判断したことが理由である。
なお、当事務所ではある程度その分野の受任確度が高い弁護士ほど法律相談に多くアサインされるという運用を行っているため、受任率という概念が完全に排除されているわけではない。

チームへの貢献

For Clientの文脈からは少しズレるが、当事務所の報酬規程では、もう一つ重要な指標を定義している。
それが、「チームへの貢献」である。
当事務所ではチーム制を採用しており、全メンバーが必ずどこかのチームに所属している。例えば書籍の執筆や採用活動への協力などのように、顧客満足や売上といった指標において捕捉できなかった貢献項目を「チームへの貢献」という形で評価するようにしている。


具体的な報酬算定の方法

さて、以下では具体的な報酬算定の方法ついて述べたい。

評価項目

評価項目は、以下の通りである。

合計:50点満点

過去6ヶ月間の実績をベースに、その弁護士の各項目におけるスコア及びその合計スコアを算出し、そのスコアレンジごとにS、A+、A、B+、B、Cの6段階の評価を付けを行う。

ただし、これだけではその弁護士の報酬額は決定しない。

後述の通り、等級制(報酬テーブル)を組み合わせて運用しているため、そのグレードに当てはめて運用される。

等級(報酬テーブル)へ当てはめ

大きく分けると、新人弁護士・経験弁護士・チーム長弁護士の三種類があり、それぞれに以下のように等級が定められている。

弁護士の等級種類

例えば、等級がA1の弁護士が、先の評価において「S」の評価を獲得した場合、三段階の等級UPが行われ、等級がA4となり、それに応じた報酬UPが実現する仕組みになっている。
他方で、A10の弁護士がS評価を獲得しても、2段階の等級UPに留まるなど、同じスコアを獲得したとしても、等級に応じて昇降幅の程度が異なるように設計されている。

また、当事務所がチーム制を採用しているのは先述のとおりであるが、各チームにはチーム長が存在する。チーム長は自身も弁護士実務を行いながら各チームのマネジメントを行う。そのマネジメント能力に関しては、同じように等級制を採用し、別途評価の対象とした。

インセンティブ

当事務所では、例えば売上に応じて歩合を支給したり、受任1件◯円という風に、インセンティブを支給するという制度は採用していない。何かの行動や結果に対してお金を渡すというのは、強烈すぎるメッセージ性があるため、使い時は限定的である必要がある。やりすぎると「For Client」な世界観が壊れてしまうリスクがあるからだ。

しかし、当事務所では、「For Client」の観点に則って支給しているインセンティブがある。それは、継続案件やリピーター案件である。例えば、1年間の顧問契約が更新された場合(継続案件)や、以前担当したクライアント等から別件で依頼になった場合(リピーター案件)である。

これは、その弁護士の案件対応に満足してもらっていたから再度の依頼があったものである可能性が高い。その弁護士は「For Client」な対応を行い、事務所は再びそのクライアントからの依頼を獲得できたのだから、このような結果をもたらした弁護士には、一定金額を支払って然るべきと判断した。

For Clientを推奨するインセンティブ


運用について

人事評価制度は運用が命だ。よく「制度3割、運用7割」と言われるが、本当にそうだと思う。「制度を定めたから後はこの通りに頑張ってね」だと絶対に上手くいかない。

当事務所では、本制度導入にあたって2回の説明会を開催した。第1回目では制度の背景や趣旨を説明し、その上で報酬規程を配布した。そこから少し時間をおいて、第2回目では事前に質問を受け付けてそれらに一つ一つ回答した。

評価決定のためのスコア算出に失敗すると制度の根幹が揺るぎかねないので、所内の総務メンバーら一緒に数字の算出について綿密に打ち合わせた。

マネージャー陣にも、運用の重要性を切々と説いた。事務所内のリーダーたちが報酬規程をしっかりと理解し、そこに書かれている評価項目を意識して普段からメンバーと対話を行うことが絶対に必要だ。

上手く評価基準に則った動きができない人が出ないように、各弁護士の受任力や顧客満足度を上げるための所内でのワークショップや模擬法律相談も行っている。こういった施策は今後も社をあげて行っていく予定だ。

運用を重ねていくと、評価制度の中身についてアップデートしなければいけない箇所も出てくるだろう。

人事評価制度は、アート作品のように作って終わりではない。ここからが正念場なのだ。


余談

人事評価制度作りは、正直本当に大変だった。僕がこれまで経験した作業で一番重たいものだった。着手してから完成・ローンチまでに、半年以上の時間を要した。

なぜなら、人事評価制度は「こういう人を評価する」というメッセージであると同時に、「こういう人は評価しない」というメッセージでもあるからだ。これによって報酬が上がる人もいれば、今までと同じ動きだときっと下がる人だって出てくる。メンバー全員が満足する制度なんてあり得ない。ただ、それに甘えることは許されない。評価されるべき人が評価されないという事態は避けなければならないからだ。これは大きなプレッシャーだ。

制度設計の難しさも経験した。「『For Client』な事務所を作る」と一言で言ったって、それが反映された、しかも弁護士事務所で使用されている評価制度なんて見たことがない。だったらオリジナルで考えるしかなかった。

報酬規程の作成は混迷を極めた。

途中までは所内でチームを発足して意見を出し合って考えていたが、「これは誰か一人が死ぬ気で頭を捻って考えないと到底できない」と気付き、そこからは僕一人のタスクとして預かった。

その後、時折他のメンバーに意見を求めることはあったが、基本的には自分一人で考えて作った。

評価項目として何を選び出すか、それらをどのような比重で評価するか、等級制度を採用するか、採用するとしていかにして評価項目との絡みを持たせるか。

作成の過程で、何度も既存メンバー全員の実績を新しい評価制度に当てはめて、計算してみたことがあった。当然、高い評価の人もいれば低い評価の人も出てきた。その評価を見て自分が違和感を感じるか、感じるんだとしたらどこか評価制度の中におかしな点があるに違いないと考え、再度制度全体を細かくチェックし、違和感を作り出している元になる要素を発見し、その部分を書き直すという作業を繰り返した。この作業も相当の思考体力を要した。

結果的にかなりの時間がかかったが、これらの一連の作業を通じて完成したのが、現在の報酬規程だ。

報酬規程の発表の日は、手塩にかけて育てた我が子を世に送り出す際はきっとこういう気分なのだろうという、期待と不安の入り混じった気分だった。

今後について

まだ新報酬規程での運用を開始したばかりでこれからどうなるのかはわからないが、評価制度が浸透し、正しく運用されれば、当事務所に所属する弁護士は、今以上に、クライアントの気持ちに沿った対応を心がけるはずである。

弁護士の素晴らしい対応が良い評判を生み、その評判を聞きつけたお客さんから新たな相談や依頼が生まれ、結果として事務所も繁栄すると信じている。

再掲(当事務所ウェブサイトより)

何も難しいことを言うつもりはない。
優しくて頼りになる弁護士こそが、「新しい時代の弁護士像」なのだ。

この国でそんな弁護士がたくさん活躍できるようにして、この国のアップデートに貢献することこそが、我々のミッションである。

当事務所では経験弁護士・司法修習生の方を募集しております。
この記事を読んで当事務所に興味を持った方は、以下の採用サイトよりご応募ください。
皆様からのご応募を心よりお待ちしております。
TSL採用サイト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?