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大恩

さて、久しぶりのブログで物々しいタイトルになってしまいましたが、現在、愛媛県松山市に来ております(TOP画像は飛行機から見た瀬戸内の海)。

というのも、昨年の11月に同市に住んでいた祖母が亡くなりました(なんと享年112歳だったので、大往生と呼ぶにふさわしい最期でした)。

祖母のお墓参りと、せっかくなので松山の街に立ち、祖母に思いを馳せてみようというのが、ここに来た目的です。

祖母について

祖母は、1909年生まれですので、第一次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦、高度経済成長期、などを経験していることになります。

祖母が生きた時代は、まさに激動の時代でした。

そんな中で、50歳の頃に夫(僕の祖父に当たる人)を亡くし、僕の母を含め6人の子供を一人で育て上げたと聞いています。激動の時代におけるその苦労たるや、想像を絶するものであったはずです。

祖母と僕

そんな苦労など露ほども知らず、僕は小さい頃から毎年夏になると松山を訪れて、母親と一緒に一週間ほど祖母の家に宿泊していました。

祖母は毎朝仏壇に向かってお経を読んでいて、しょっちゅう亡くなった旦那さんのお墓参りに行っていました。

僕のことはすごく可愛がってくれて、これでもかというぐらい食べ物を出してくれる人でした。松山には夏に行くことが多かったので、祖母の家ではやたらとスイカが出てきて食べていた記憶があります。

中学受験の時にお守りをくれたのを今でも覚えています。

母からも、祖母がいかに優しい人だったか、いかに無欲で清らかな人だったかというのを今でも聞かされます。

また、松山や今治にいる他の親戚たちも、僕が愛媛に来るたびにとても優しくしてくれ、全力でもてなしてくれていました。

以上の次第で、愛媛という場所は僕にとってはすごく特別な場所で、来るたびに優しい気持ちになれるのです。

大恩について

少し話は飛びますが、自分のこれまでの人生を振り返ってみると、「大恩」と呼ぶべきものを感じざるを得ません。

先人が作り上げた日本という国の平和な時代に生まれ、「生きるか死ぬか」といった状況に直面することなく、衣食住に事欠かぬ状況で、両親をはじめ然るべき人たちから愛情を注がれ、教育を受け、大人になり、資本主義や民主主義といった社会システムを活用し、会社や家族という共同体を組成して生活しています。

今自分が享受している、「幸せ」とか「豊かさ」と呼ぶ類のものは、まかり間違っても、自分一人の力で獲得したものではありません。

どう考えても、過去にこの国を豊かにしようと努力した人たちや、混沌の時代を必死に生き延びた人たち、自分に幸せになってほしいと願ってくれた人たちが必死に築いたものの上に立っているに過ぎません。

これを大恩と言わずして何と言うのでしょうか。

恩には報いなければなりません。それが恩義というものです。

TSLは、「Update Japan」新しい時代の弁護士像を確立し、この国のアップデートに貢献する)を理念に掲げています。

これまで受けた途方もない大恩に対し、「Update Japan」という形で報いるのが、僕なりの恩義の果たし方です。


温泉

下の写真は「道後温泉別館 飛鳥乃湯泉」という場所です。

※外から見てとても綺麗だったので写真だけ撮って満足して、中には入ってません。

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