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景福宮、そこはむかし訪れた場所だった 【世界旅行記003】

2012年7月16日(月) 韓国 ソウル

ソウルから中国へ入るルートを調べた結果、天津行きのフェリーが出ていることがわかった。ところが韓国語のサイトしかなく、直接港へ行く以外、自分で予約できない。宿のおばさんに相談したところ、直接電話をかけてチケットを確保してくれた。わたしの代わりに、パスポートのコピー送付や代金振り込みまでしてくれた。幸運なことに、チケットは最後の1枚だった。これで明日、中国へ向けて旅立てることになった。宿のおばさんに感謝。

時間ができたので、午後はソウル観光へ。景福宮や伝統家屋の集まる北村などを見てまわる。景福宮までたどり着いて、「ここは学生時代にツアーで来たときに訪れた場所だ」という事実に気がついた。それほどに記憶は薄れていた。

2回目の訪問となった景福宮。
以前に訪れたときも、同じような角度で同じような写真を何枚も撮ったことだろう。
韓屋と呼ばれる伝統家屋の集まる北村エリア。 道に迷ってさまよい歩いた。

韓国は地下鉄の車内にモノ売りがいる。ペンライトやガムなどを大量に持って売り歩いている。日本だったら絶対に買う人などいないと思うのだが、けっこう買う人がいるのに驚いた。寄付などの申し出にも、それなりに応じる人がいる。文化や習慣の違いを感じる。

2024年7月16日(火)のつぶやき
国境を越えるとき、空路がいかに安全か、このあとの旅で何度も思い知ることになる。陸路や海路での国境越えは、ローカルの人にとっては当たり前だが、旅行者にはチャレンジングだ。言葉がまったく通じなかったり、とんでもない僻地に着いたり、税関で平然とワイロを要求されたり。それもまた旅の醍醐味と言ってしまえば、それまでだが……。

今日は体調が芳しくないので、オフィスに行かずに仕事をしている。世界旅行から帰国して半年近くのあいだ、無職だったわたしは妻の実家に居候させてもらった。その後、知り合いづてにベンチャーの職を見つけ、2015年に自分の会社を立ち上げた。大きな計画があったように思われがちだが、本当に「たまたま」のできごとが重なっただけだ。それから今日に至るまで、わたしは走り続けてきた。一日も欠かさず、という表現が正しいかもしれない。昨日を振り返る余裕もなく、周囲を見わたす余裕もなく毎日を過ごしてきた。

そんな30代を全力で駆け抜け、40代に突入したいま、さすがに身体も無理がきかなくなってきた。すべてに全力を傾けることはむずかしい。なにかを減らさなくてはいけない。肩の荷物を少しだけ下ろそう。40代の生き方に思いを致しながら、12年前に書いた自分の日記を読み、エネルギーをもらっている。

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Travelife Log 2012-2013
世界一周の旅に出てから12年。十二支ひとまわりの節目を迎えた今年、当時の冒険や感動をみなさんに共有したいという思いから、過去のブログを再発信することにしました。12年前の今日、わたしはどんな場所にいて、何を感じていたのか? リアルタイムで今日のつぶやきを記しながら、タイムレスな旅の一コマをお届けします。


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