本質を追求しない日本人
新聞記事の寄稿で印象が強かった記事について、22日の産経新聞朝刊「日曜経済講座」の中で「経済が専門の拙論にズシンときた」と書かれていた。
こんにちは、サラリーマンOBの谷です。
寄稿内容
「本質を突き詰めようとしないのは日本人の特徴である。問題が起きたときに事の本質を徹底的に問いただそうとしない。和を乱すことになるからだ。物事も突き詰めて考えようとしない。」
*数学者、藤原正彦さんの8月15日産経新聞朝刊への寄稿「ワクチンを恵まれる屈辱」より
この記事から日本人の過去から現在まで犯した過ちを鋭くエグっていてる内容に、うなずくしかなかった。
問題の本質を徹底的に追求しない
なぜ?
和を乱すから。
突き詰めると個人攻撃になり「そこまで追求しない」風潮になった。
攻撃する側とされる側の構図をはっきりさせたくないから。
「何もそこまで・・・」
ある程度の追求はあっても絞られてくると先程の言葉で終わってしまう日本の社会。
うやむやにする
喉元過ぎれば・・・で忘れる
喧嘩両成敗で終わらせる
特に白黒決着をつけず、あうんの呼吸で終わってしまって本質は何もわからないまま。
わかった様な気になって追求もおわり。
これが日常でも当たり前になっている。
教育現場でも
小学校時代に国語の授業で感想を話すことがあり、同級生と意見がぶつかった。
そのとき先生は白黒はっきりさせなかったことを覚えているが、思い返すとすでに小学校の教育現場ですでにそう教え込まれていたんだと思う。
そんなことを思い出していると、娘が留学する前「世界中の学生相手に意見をぶつけ合って納得させる英語力と考え方を勉強してから」と言って留学前の1年間猛勉強していたことを思い出す。
すでに高校時代に外国人との意見交換で、ズケズケ反対意見を言ってくる、そしてあなたの考えはどうなんだ?と普通に議論が始まることを経験していた様です。
これからの日本を背負って立つ若者たちが、早く誇りを取り戻すためにも本質から目をそむけず、真正面から取り組んでいくことを願う。
そして大人たちが意識改革を受け入れることを望む。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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