反抗期がなかった理由。
小3の時、身近で可愛がってくれてたおばあちゃんが亡くなった。生前、おばあちゃんが病気であることは、両親から聞かされていたが、それがどれだけ深刻なものであったか、小学生の私にはわからなかった。そして、よくわからないまま、おばあちゃんは、ガンで亡くなった。61歳という若さだった。
この時、私は、生まれて初めて、身近な人の死を目の当たりにした。
死んだら、体が動かなくなるんだ。目は開かないんだ。白い服を着せられて、白い布を顔にかけられて、霊安室に連れていかれるんだ。そこのろうそくは仏壇のものより長いんだ。この箱が棺桶っていうんだ。棺桶には花とか生前好きだったものを詰め込むんだ。なのに、火葬でそれもすべて燃えてしまうんだ。出てくるのは粉々になった骨だけだった。そういえば、スタッフの人がどこの部分の骨なのか、教えてくれたなあ。
それと、人はいつか必ず死ぬ、みんなこうやって骨になっていくんだ、ということが初めてよくわかった。そして、死んだら、あんなに一生懸命に生きてきたのに、何もかも無くなってしまうんだと思い、悲しくなった。ああ、自分も絶対に死ぬのに、どうして生まれてきたんだろう、どうして今生きているんだろう。そう思い始めたら、悲しくて悲しくて、ある夜、ベッドの上で涙が止まらなくなった。小3の6月か7月かな。
とにかく、人の人生は、いつか幕を閉じるということがよくわかった。どんなに愛している人でも、いつか自分の目の前からいなくなってしまう。それが怖くて怖くて。大好きな家族がいなくなるなんて嫌で嫌で。
だからね、もうそれ以来、家族を大切にするようになったの。少しでも具合が悪くなったら、心配で心配で仕方ない。そう思うようになると、反抗期なんかも来なかった。単発で喧嘩したりはするけれど、基本的に、毎日、家族には、「大好きだよ」って言ってる。ヨーロッパ人の挨拶みたいに。いつか、この幸せな日々が当たり前じゃなくなる、そうなることがわかったから、だったら、今のうちにこの幸せを大切にしておこうと思って。愛情表現はずっとするようにしてる。離れて暮らすおじいちゃん、おばあちゃんには、毎週電話するし、手紙も送ったりする。できるだけ、おうちに遊びに行くようにもしてきた。
あと、何かあると必ず写真を撮るようにしてる。写真はずっと残るから。誕生日パーティー、おじいちゃんおばあちゃんちに遊びに行った時…などなど。
小3でおばあちゃんが亡くなってから、人が生きる意味について考えるようになり、結論は23歳の今でも出ていない。よくわからない。ただ、もう生まれてきて人間生活を送っていることには変わりないのだから、とりあえず、楽しもうって思ってはいる。そして、愛する人たちには、日頃から感謝や愛の気持ちを伝えることで、いつかお別れの時が来ても、後悔しないようにしている。それが、人の顔を伺うことにも多分繋がっている。愛する人たちが何か悲しんでいたら、嫌だなって思って、人の顔をめっちゃ見るようになったと思う。
私は、我ながら、素直だったり、人を大事にする性格だな、マメだな、なんて思ってるんだけど、それは全て、愛するおばあちゃんが目の前からいなくなってしまった、という幼少期の原体験から来ています。
このおかげで、何でも考えすぎて辛い想いもたくさんしているんだけど、思慮深いからこそ、合う人とはとことん共感しあえたり、私もいろんな人に大切にしてもらえるようになってるんだよね。最近では、いろんなタイプの人の心に寄り添えている感じもしてて。カウンセリングの勉強なんかもしてみようかなって思ってる。
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